もう毎日は、本当は新しいはずだし、いろいろとその日を生きる人間には大切な瞬間なのに、ニュースで流れてくるものは、もう既視感ばかりで、
「お前は、ニュースに何を求めているんだ。ニュースというのは、現状維持が続くんだよ、というのを伝えるためのもので、新しい動きなんて一切ないし、政治とか、経済とかに夢を抱いたって、それらはすべてうたかただし、信じられるものは一切ない。ニュースのあれこれを期待せず、まわりのことに注意も払わず、ありのままに流されることを選べばいいのだ。細かく文句を言うな!」
そういうのを伝えるために、ニュースを作る人たちは工夫している。
たまたま始まった戦争は、世界中に独裁者がいて、そういった人たちは自分の欲望を貫き通そうとする。そういうのを確認するためのものでした。
反撃する勢力があったり、国際支援組織が生まれたり、いろんな発信が続いている。でも、そういった声は何にもならなくて、延々と戦争は続いている。仲間割れがあったり、原発のような怖ろしいものを盾として危なっかしい作戦があったり、ヤツらは手段は選ばないんです。
フランスの若い人の暴動、フランスでも、人種差別はある。それを乗り越えようとする人たちと、何をよそから来たわけのわからないヤツらめ、と差別をし、それを行動で示す権力者側の人たち、本音と建前が揺れている。
権力者は、本来は差別はあってもいいし、人々は分断され、適当にいがみ合ってもらって、とりあえず私どもを支持し、信頼してくれたら、何でもいいやと思っている。
フランスだけではなくて、他の国の権力者たちも同じなんでしょう。若者は、そういうのを乗り越えようとするけど、そういう若者の声がどれだけ形になったのか、選挙でそれを示す場合でも、大抵はまるめ込まれて、若者たちの願う形にはならない。
世界は、いつも不公平な形に進む。なぜならそうすると都合がいい人たちがいて、その人たちの画策はぼろもうけを生む。虫がたかるように儲けにありつこうとする人たちがやって来る。まあ、そういうのはニュースでは流れれません。儲かっている人たちを取り上げたって、不平が生まれるだけですし、ぼろもうけはこっそりやるから儲かるんでしょう。
リニアでごねていた静岡県の知事の川勝某という人、だれかの応援演説で問題発言をした(というのがあったそうです)。そうすると、県議会は退職勧告案を可決する。問題発言で退職を迫るのもどうかと思うけれど、知事さんを支持する人はそんなにいないようです。
知事さんは、退職はしない。今後は問題発言を気を付ける。二度と問題発言はしないと宣言し、反省の意味を込めて、給料とボーナスを返納すると述べた。それで県民の理解を得ようという作戦だったそうです。
ところが、返納もせず、取材されたテレビには、「議会が私の返納を許さず、それよりも退職をしろ」というので、何もかもできないままに今に至っている。私も困っていると弁解していました。
これもどこかで見たような、つまらない弁明芝居でした。それなら、議会を解散させるか、自分が退職して、再び選挙で勝ってみせるとか、いろいろと手があっただろうけれど、川勝某は、もと大学の先生ということでしたが、そんなこともできず、モタモタとしている。県民は、「ああ、こんなことをしている。そういうつまらない芝居を見せられて、もうウンザリ」というのを味わわせられている。
何もかもに私たちは耐えなきゃいけないですね。そして、しっかり記憶して、選挙で自分たちはどう判断したのか、それを示さないといけない。
でも、みんなが既視感につかまって、「何を考えても無理だし、どうせどれも同じだ」と思っている。確かに、ずっと金太郎あめ状態は続きます。
選択肢もあまりなくて、他人とのつながりよりも、自分で楽しいことを見つけよう、というのが多くなってないかな。
リニアはトンネルの中を深く潜行しているみたいです。どっちにしろ作られてしまう。もう決まっている。万博は、府民は特に求めているわけではないけど、一発逆転のギャンブル政党の推し進める政策に乗って進んでいく。
みんなが求めていないものを、誰かの利益のために受け入れさせられ、その負担もしょい込んでいる。「ツマラナイカラ、ヤメロ」という当たり前のことが言えなくなっている。
私たちは、ずっと抑えつけられているのです。何も言えなくなっているのです、知らないうちに。