写真で人を感動させることはできそうもないけれど、それでも、ムダな写真を撮り続けていたいと思います。
整理もしていないし、どんどんデータがたまるばかりで、本人の技術も心意気も上がらず、同じようなことを繰り返しています。
けれども、写真を撮ることが、とりあえず生きがいになっているので、せいぜい写真を撮り続けていくつもりです。
それが生きがいなんですね。それがどういうわけなのか楽しく、どういうわけか突然電車を追いかけて走ってみたり、とんでもないところを歩いてみたり、とにかく自分でもわからない変なアドレナリンをあふれさせて、自分なりには生き生きしているようです。
本当はヒトを撮りたいと思っています。でも、今の若い人じゃないので、ヒトを撮るということに抵抗があります。失礼だと尻込みしてしまいます。
そんな、関係のないヒトを撮るということは、何かの魂胆があるということです。それはとてもズルイというか、イヤラシイ行為です。とにかくダメです。
一声掛ければいいのだろうけど、それも作為的です。相手が構えている人物写真なんて、つまらないのです。もっと自由な人物像が欲しいな。
だから、ヒトは撮りません。家族でも、記念写真はつまりません。アリバイづくりというのか、ここに来た記念みたいで、つまらない。そのヒトだけの記念で終わってしまう。もっと普遍性のあるものが欲しいな。
ということで、電車を撮ろうとしますが、ワンパターンです。あえて白黒にチャレンジしているのはいいけど、広がりがないです。ザンネンだなあ。
1 秋の夕日ガラス戸に触れる空気
2 秋のひかり家族との時間にこがれ
3 秋の日や山の向こうも人がいて
4 秋の夕日何度も何度も過ちて