甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

人を知ることって? 中歴57-1

2017年11月06日 21時50分13秒 | 中国の歴史とことば

 今回は、晋の予譲(よじょう)という人が主役です。項目を立てましたが、今でも少しだけわからないところがあります。こんなに有名な方で、復讐のためにすべてを尽くす人、中国の歴史の中にはたくさん出てきます。その最初の方の、1つの型を作り上げた人です。刺客のパイオニアです。

 中国の歴史は、ある意味暗殺の歴史の上に成り立っている部分もあるので、今までにもたくさんの暗殺者・刺客は出てきたと思われます。戦争が終わって、やっと平和になったと思ったら、すぐに敵討ちをしようという人たちが出てきたり、王様を暗殺する人を養成する人が出たり、もうたくさんたくさんいると思います。

 こういう人を見本にしてしまったら、壮絶な死というのもありかな、となってしまいますが、できれば私は敬遠したい。命を捧げて何かをするということが賞賛されていいものかどうか。できれば、暗殺の歴史なんてない方がいいのです。でも、人間の1つの面ではあり、私たちはできればそうした人間の陰の歴史を知りたくないのに、知らず知らずに知ってしまうようです。

 私には自信がないのです。すごいとは思うけれど、こういう生き方は特別な人ではあります。その人のためには命さえ惜しくない、それくらいお互いを知り合えたら、それはすばらしいことでしょう。でも……。

 それとも、人を認めてくれることが、それほどに貴重だったのかどうか。たぶん、認めたらとことんまで行ってしまう、その生き方はすごいとしか言いようがありません。

 晋では頃公(けいこう)(在位前525~前512)のころから、六卿(りっけい)とよばれた韓氏・趙氏・魏氏・范氏(はんし)・中行氏(ちゅうこうし)・智氏の大臣たちが王族を抑えるほどの勢力をもつようになります。


 予譲さんは范氏、中行氏に仕えますが、適切な待遇をされませんでした。転がり込んだ智伯さんのところでは国士としてたいそう尊重されたそうです。

 しばらくすると智伯さんは、韓氏と魏氏に裏切られ、趙襄子(ちょうじょうし)包囲作戦で敗れて、頭蓋骨(ずがいこつ)に漆を塗って酒杯にされるという屈辱を受けます。一説には杯ではなくてしびんにされたという話もあるそうです。人間はどれくらい他人を傷つけたら気が済むのか、もう恐ろしくなります(前453)。

 信長さんは、この歴史的なお話を参考にして、浅井長政さんと朝倉義景さんを杯にしたという話が残ってますが、彼のオリジナルのアイデアではなかったんですね。すでに見習うべき歴史が二千年前の中国にありました。

 予譲さんは敗戦の混乱の中で逃げ落ちて、主君の仇(あだ)を討つ機会を待つのでした。
『戦国策』『史記』刺客列伝などで予譲さんのことは取り上げられています。


65【(     )は己を知る者のために死す】……自分のことを理解してくれる人のためなら、たとえ自分の命がどうなろうともかまわない。いや、むしろ自分の真の理解者のためには積極的に犠牲になってもよい。それくらいの心意気を持つということ。《史記・刺客列伝》

 66【予譲呑炭】……自らの目的達成のため、人がやらないことをやり、自分の体を傷つけて姿を変えてでも達成しようとすること。「予譲炭を呑む」とも。「予譲呑炭」の読みは? 

 さあ、続きと答えは、その2に書きます。

★ 画像検索をしていて、橋本雅邦さんの予譲さんを見つけたりしましたが、一番いいのは平福百穂(ひらふく・ひゃくすい)さんの絵でした。屏風になっているのかな。でも、なかなか適当な借りれるモノがなくて、中国の画像を探したいんですけど、それが見つけられません。

★ 予譲さんは、「豫譲」と書いてあるのが、たくさんあります。旧字体はそうなんだろうけど、私には何のメリットもないので、「予譲」で表記しておきます。





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