甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

自分らが住んでた土地を訪ねては 変わらぬ姿を探して歩く HSD-05

2014年03月06日 22時00分00秒 | High School Days
 Kが住んでいた小さなアパート。今はもうない。何もなくなって駐車場になっている。とても狭くて、車が四台置けるか、五台置くには少し苦しいような、とても狭い空間だ。ここに一、二階合わせて八世帯の家族が住んでいた。各家庭には子どもたちがいたので、大人と子ども合わせて約三十人ほどの夢が、こんな狭い土地から広がっていたのである。

 子どもたちには夢はもちろんあった。たぶん、大人たちにもそれぞれ夢があったはずだ。そして、何年か住んだ後、それぞれの家族は新たなステージへ旅立っていくのだった。そんな新たなステージへの踏み台となるアパートに、Kの家族は、Kが幼稚園に入る4月から小学校・中学、高校二年までの合わせて十二年間、この小さなアパートに住んだ。なかなかKたちの新しいステージは、ことおうちに関してはなかなか訪れなかったのである。

 通りに面して灰色の壁を見せて、小さい窓が一つ二つあって、奥へ奥へと細い路地を入っていく建物。それがKたちの住みかであって、その細い路地を入らないと自宅の前には行けなかった。アパートの反対側の長屋は今も健在で、そこには昔の面影が少し残っているが、あの細い路地の一番奥にKたちの生活の本拠があった。

 けれども、現在の駐車場からは、そこにKたちが住んでいたとは、感じ取ることはできにくくなっている。確かにKたちの生活がそこにあったはずなのだが……。ただの駐車場では、イメージも起きないかもしれない。

 鹿児島から都会に出てきた田舎者だったKの父母は、何回か住む所を変えている。それがどういう理由だったのか、それはいろいろな事情があったのであろう。たぶん、お金か、仕事の関係か、それとも人の関係だったのか。とにかく、同じ地域のあちらこちらを転々としていた。それなりにステップアップをしていたのはずなのである。だから、かつて住んでいたあちらこちらは、Kの母には、都会に出てきて苦労していた頃の思い出につながり、そして今は、あの時代から少しだけ上向きになった暮らしをしているはずだった。だから、かつて住んでいた場所にKたちと一緒に通りかかることがあれば、Kの母は、思い出したように昔話をするのである。回想はいつも同じネタで、同じオチとなるので、Kはまたかと思いつつも、母の忘れられない思い出を共有してあげていた。

 お決まりの話にも関わらず、たいてい前の話は忘れているので、いつも新鮮な話としてKには聞くことができた。Kの母にすれば、それは子どもたちに伝えたい、自分たちの若い頃の苦労話だったはずだ。だが、そういう話は伝えようとすればするほど伝わらないのかもしれない。父母の苦労話、それがわかるのは何十年か後と決まっているのである。ただ、その雰囲気さえ伝われば、それはそれでよし。ただ伝えたいという情熱を感じてもらえたら、親にしても子にしても、それはそれでよいのである。

 幼稚園に上がる前のアパート。ここをKはかろうじて覚えている。小学校の前の、二階建てで階段からすぐの部屋がKの家族の一室だった。今でいうワンルームのトイレなしである。けれども、六十年代を過ごす、田舎から出てきた若夫婦には適当な場所だったのだろう。しかし、弟も生まれてさすがに手狭になったのか、二部屋あってトイレも共同でない(これは子ども心にも画期的なことであった! 初めての自分ちトイレ!)アパートの生活が始まる。長男は幼稚園に行かせて、次男は二歳になり。夫の仕事場は歩いて五分ほどのところにあり、妻である母は仕事はまだしていない、そんな新生活は、一九六五年の四月にスタートしたのである。

 入居したての頃はトイレは水洗式ではなかった。くみとり式トイレを何年か経験して、O市の下水道整備が進み、いつの間にかアパートは水洗式化の工事が行われた。アパートの前の道路が舗装されたのも小学校の低学年ごろ、六十年代後半、日本の都会では生活整備のためにさまざまな工事が行われていた。Kたちは、そんな高度経済成長の時代を、無意識ではあるが、目に見える形で、次から次と目先の変わることで受け入れていくのだった。

 古い建物は取り壊され、低い土地はかさ上げが進み、街には至る所に土管が置かれ、街は活気にあふれ、エントツからはモクモクと煙が立ち上り、路面電車が少しずつ姿を消し、バスがカラフルでしゃれた乗り物に変わり、小汚いガキどもも、変にこまっしゃくれたようになり、情報通が現れ、古い運河が埋め立てられ、新しい港も建設され、ダンプが街を走りして、変化は押し寄せた。

 たくさんの夢を育み、二十一世紀を前に姿を消したアパート。
その空き地にはいつか、何かが建つかもしれない。けれども、半世紀ほど前のあの空間……台所を含む六畳と四畳半の二部屋、それに一畳くらいのトイレ。それがKにとって大切な「我が家」であったのである。


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