甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

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お七夜に参加してみた! その2

2022年01月15日 22時56分23秒 | 三重・熊野さんぽ

 先日、三重県の津市にある高田本山専修寺(せんじゅじ)に行かせてもらってから、もう五日経ってしまいましたけど、まだお七夜は続いています。明日が最終日になっています。七日間親鸞さんのことを偲ぶんですから、お七夜なんですもんね。明日が最後なのか……、何だか遠い昔のようです。

 私みたいなイラチ(せっかちな人間)は、クルマだとイライラするでしょうから、JRで行くしかないんだけど、あえて行こうとは思わないのは、私にとっての必然性がないからでしょうか。


(紀勢線の一身田という、今は無人駅ですが、お寺の行事がある時には職員さんが派遣されて来るみたいでした)

 この前は、18キップの最終日だから、仕方なく、遠くでなくて、どこか行けるところと思って、行かせてもらいました。少し失礼ですけど、久しぶりに興味はあったんです。

 それに、どうして三重県の平野の真ん中に、どうしてこんな大きなお寺を建てたのか、それがイマイチピンと来ていませんでした。


 寺内町として、町のまわりにはお堀がめぐらされています。戦国時代の本願寺さんみたいに、戦国大名と戦ったことはあるのかないのか、たぶん、戦いはなかったと思うんですが、こんな平らなところにどうして大きなお寺を建てたんだろうと思ったけれど、これは戦略的にはいいところなんですね。

 津のお城からまっすぐ北に向かって江戸に向かう街道があります。その最初の橋として江戸橋という橋と地名もあるくらいだから、津の藤堂藩としては江戸へ向かう街道を大事にしたでしょうし、この街道にはお寺から少し東(海側)に行くとたどり着けます。街道は現在の国道23号線に重なっています。

 お寺の西側(山側)は、京都から東海道を通って鈴鹿の峠を越えて関という宿場から参宮街道が出ていて、こちらへもアクセスできます。このルートは紀勢線が重なるでしょうか。都にも江戸へも街道があり、それらが合流する手前のところにお寺を建てたようです。

 本願寺さんとか、お東さんとかと、高田派はどう違うんでしょう。

 そこで、親鸞さんのプロフィールに戻るわけですが、鎌倉時代初期の少しずつ平安貴族たちから鎌倉武士たちが権力を獲得していく中で、わりとストレスを抱えておられた後鳥羽上皇様がいて、その女性スタッフやお気に入りの子たちが、上皇様よりも坊主をとって出家するんだから、上皇様の怒りは簡単に沸騰して、それらを陰でそそのかした坊主どもをすべて流罪にせよという処分をされたそうです。



 親鸞さんは越後に流されたけれども、奥さんの恵信尼さんとお子さんたちとで、そちらで土地の人々とともにあったということでした。結構タフに過ごしておられたんでしょうか。

 そして、一応のお許しは出ました。

 聖人は悩まれましたが、もともと、仏法は、「辺鄙(へんぴ)の群萌(ぐんもう)」(田舎の文字も読めぬような人々)を救済するべきものであらねばならないという考えのもと、家族共々越後より関東へ移られる決心をされたのでした。

 活動は茨城の草庵からスタートします。やがて栃木の真岡市高田の本寺専修寺というところを根拠にして布教活動を行われたそうです。ここが高田派の起源になったそうです(伊勢の専修寺は本山専修寺というそうです)。それなりに成果はあったと思うんですが、やがて六十を過ぎた時に都に帰ることになって、都で三十年過ごして、1262年の新暦でいうと1月16日に九十歳で往生を遂げられたそうです。

 関東の本寺専修寺は災害等で規模が縮小し、高田派は本拠地を伊勢の国に興し、ここで代々後継者が後を継いで守って来られたということですが、どこでもそうだけれど、後継者争い等もあって、いろんな対立関係も抱えていたりするそうです。



 まさか、親鸞さんはそんな自分から出た人々が別れていくことは望んでおられなかったかもしれないのですが、あまりに大きな力になれば、組織化され、対立し、権力と戦ったり、妥協したり、いろんな形で変化していくのも仕方のないことだと思われたでしょうか。

 そして、関東の高田山は起源ではあるけれど、本山は江戸時代以来ずっと伊勢の国にあって、伊勢の国では大きな勢力になっているようです。

 浄土真宗はいくつかの流れができたそうで、真宗十派ともいうそうです。

 最大は本願寺派で、ネットで見た時には、694万人の信者さんがいるそうです。次が大谷派で553万人、ほかにもそれぞれ宗派があって、高田派は27万人とありました。

 真宗以外の天台宗は153万人、真言宗は548万人、浄土宗は603万人、曹洞宗は157万人、日蓮宗は358万人、霊友会は183万人、金光教は43万人、天理教は191万人と、いろんな宗教の信者さんの数が載っていました。変動はあるだろうし、どれくらいの信仰の深さがあるのか、それもいろいろだと思われますが、私の住んでる三重県で、高田派がこうして頑張っておられるのには歴史があったのだと改めて知りました。



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