昨日、ノブナカさんの誕生日だったそうです。うっかりしていました。
まあ、私はそんなにノブナガさんを尊敬しているわけではなくて、とにかく新しい時代を切り開いた開拓者であるという認識です。そこはすごいと思います。そして、ずっと「信長と天皇」(今谷 明著)を読んでいます。なかなか読み終わらない。
できることなら、もう少しノブナガさんには、いろんな人を受け入れられる包容力が欲しかったです。ノブナガさんって、なんだか短気で、恐ろしくって、こっちが部下だったら、いつもビクビクしなきゃいけないので、そりゃ上司として有能かもしれないけど、やはり光秀さんと同じように、私だって裏切ってしまいそうです。ついていけないかもしれない。
実際はどうだったのか、それはわからないけれど、もう少し長生きしてもらいたかった。そうしたら、もう少し新しい世界が開けていたでしょうか。それとも、今と変わらない日本へとつながるんでしようか……。それは三代目次第だったのかもしれません。
何が言いたいのかというと、信長さんは足利義満さんにならうところが多かったのだと最近知りました。義満さんといえば、室町幕府の三代目です。高校生の時、日本史の先生が「三代目が有能だとその政治体制は長持ちする」というのを聞きました。だから、室町幕府の義満さん、江戸幕府の家光さんなど、この人たちは有能な三代目でした。
藤原氏は、鎌足さんから数えると冬嗣さんは五代目で、ルールに合いませんね。でも、冬嗣さんから見てみると、基経さんは三代目だから、この人のおかけで藤原氏の隆盛は保証されたといってもいいかもしれない。
信長さんも秀吉さんも、三代目までたどりつくことはできなかった。初代や二代目でダウンして、徳川さんにすべてを持って行かれてしまった。平家さんちも、清盛さん・重盛さんまではよかったけれど、三代目は維盛(これもり)さんでずっこけますし、源氏も、頼朝さんのあと、息子同士でうまくいかなくなり、短命政権になりました。まあ、三代目は大切ですね。
義満さんは、天皇になろうとしたそうです。長生きしたら、もう少しのところで、天皇になれそうなところまで行けた。日本国王にはなったようですが(対外的には王だったのです!)、国内的には即位するまでには至らなかった。
あと何年か、王として君臨して、国の内外にトップの力を示していけば、日本国皇帝となり、子どもがあとを継ぐ形ができたのかもしれません。でも、それができなかった。信長さんも、個人崇拝やら、正親町(おおぎまち)天皇に譲位を迫ったり、いろんな形で、新しい政治システムの形を探ろうとしていたようです。
1568年に京に上り、1582年に本能寺で亡くなるまで十四年間、模索をつづけたけれども、とうとう王にはなれませんでした。もう少し時間と寛容な精神があれば、将軍にはなれたかもしれませんが、二代目がダメだった可能性もあるので、また国内は混乱して、天皇をかついで家康さんが天下をさらったかもしれないし、どうなったかわかりません。
それで、ふと、つい先日まで三十何年ぶりの党大会とやらを開いた国があったそうで、そこのトップは三代世襲です。社会主義というのは基本的に世襲なのか、まさかそうではないと思うのですが、そこでは世襲が行われていて、いっそのこと王政にして、王として即位すればいいのに、その方がスッキリするのに、そこにウソっぽい「社会主義」の看板を付けるから、なんだかわからなくなります。
三代目ルールはどうなるのか? 私は、外国でも通じるものがあると思います。今の三代目でずっこける可能性はあると見ています。また、今の三代目が頑張って、王朝が代々続く可能性もあると思うし、それは現在進行形なので、私は三代目さんより年寄りだから、結果を見ることはできませんが、壮大な実験、とてつもない虚構実験をやっているのだと思っています。
社会主義で世襲はあり得ない。でも、社会主義とは、20世紀の実験では、不公平で、独裁的で、やがてパンクするという結論は出ているので、その通りになるのか、それとも社会主義というのは看板だけであって、実質あの国は実は王政をひいていて、人民は王を戴いている、そういうシステムである、ということなのかもしれません。
だったら、三代目が頑張れば、王政はつづく。ダメだったら、早晩システムは崩壊する。せっかちな私は、早く答えを見せて欲しいと思っています。でも、あと何十年も答えは出ないかもしれないので、私は答えがわからないまま、この世からいなくなるかもしれない。
でも、どっちかなのは確かです。王政がつづくか、三代目でずっこけるかです。人間って、中味的には同じだから、国民性は違っても、出てくる答えは予想できる気がします。
ノブナガさんは天皇にはなれなくて、仕方がないから、自分を神格化し、個人崇拝を奨励したそうで、滋賀県の各地のお寺から、それっぽい雰囲気のある建物を移築して、宗教施設を無理矢理作ったそうです。天皇にはなれないけど、その埋め合わせに、神様仏様信長様になろうとした。
そういう話を聞くと、革命児・開拓者というよりは、晩年は何だか疲れていたんじゃないのと思ってしまう。未来は、それなりに天下は取れるかもしれないけれど、新しい時代のビジョンはなくて、とりあえず天下は取る。そのあとは見えない。それで、自分はやがて死ぬ。そうしたら、自分の子孫が世襲してトップでありつづける政治システムをどのようにつくればいいのか。それは見えていなかったのではないかと思えるのです。
家康さんは、古典的な幕府というシステムを、時代に合わせて作り上げていった。秀吉さんは、とりあえず大名たちの集合体を組織し、対外戦争で国内を1つにまとめようとしたのかもしれないけれど、その政策が裏目に出て、みんなから嫌われてしまう。
ビジョンって必要ですね。この国のトップにビジョンはあるのか? 個人的な思い入れはあるようですが、それは時代に合っているのかどうか、あまりに内向きで、外に向かっていないので、国際社会の中で孤立しているような気がします。外遊は好きだけど、ニュースのための外遊で、実質は何もない気がする。つまらないセールスといいかげんな約束ばかり。
国のトップって、大変ですね。日本のトップになるには、国の中で国民にこびを売らないとトップになれないので、つい内向きになってしまいますし、そこには開かれた社会なんていうイメージはとても生まれない。どうしたらいいんでしょう。
まあ、政治に頼らず、自分のことは自分でやっていくしかないのかもしれない。政治は助けてくれないし、私たちから取り上げることが国家だと思っておく方がいいのだと思います。
ノブナガさんでさえ、晩年は開拓者ではない部分が芽生えていた。それなら凡人の私たちはなおさらビジョンは生まれない。私たちは目先のことしか考えないのです。
まあ、私はそんなにノブナガさんを尊敬しているわけではなくて、とにかく新しい時代を切り開いた開拓者であるという認識です。そこはすごいと思います。そして、ずっと「信長と天皇」(今谷 明著)を読んでいます。なかなか読み終わらない。
できることなら、もう少しノブナガさんには、いろんな人を受け入れられる包容力が欲しかったです。ノブナガさんって、なんだか短気で、恐ろしくって、こっちが部下だったら、いつもビクビクしなきゃいけないので、そりゃ上司として有能かもしれないけど、やはり光秀さんと同じように、私だって裏切ってしまいそうです。ついていけないかもしれない。
実際はどうだったのか、それはわからないけれど、もう少し長生きしてもらいたかった。そうしたら、もう少し新しい世界が開けていたでしょうか。それとも、今と変わらない日本へとつながるんでしようか……。それは三代目次第だったのかもしれません。
何が言いたいのかというと、信長さんは足利義満さんにならうところが多かったのだと最近知りました。義満さんといえば、室町幕府の三代目です。高校生の時、日本史の先生が「三代目が有能だとその政治体制は長持ちする」というのを聞きました。だから、室町幕府の義満さん、江戸幕府の家光さんなど、この人たちは有能な三代目でした。
藤原氏は、鎌足さんから数えると冬嗣さんは五代目で、ルールに合いませんね。でも、冬嗣さんから見てみると、基経さんは三代目だから、この人のおかけで藤原氏の隆盛は保証されたといってもいいかもしれない。
信長さんも秀吉さんも、三代目までたどりつくことはできなかった。初代や二代目でダウンして、徳川さんにすべてを持って行かれてしまった。平家さんちも、清盛さん・重盛さんまではよかったけれど、三代目は維盛(これもり)さんでずっこけますし、源氏も、頼朝さんのあと、息子同士でうまくいかなくなり、短命政権になりました。まあ、三代目は大切ですね。
義満さんは、天皇になろうとしたそうです。長生きしたら、もう少しのところで、天皇になれそうなところまで行けた。日本国王にはなったようですが(対外的には王だったのです!)、国内的には即位するまでには至らなかった。
あと何年か、王として君臨して、国の内外にトップの力を示していけば、日本国皇帝となり、子どもがあとを継ぐ形ができたのかもしれません。でも、それができなかった。信長さんも、個人崇拝やら、正親町(おおぎまち)天皇に譲位を迫ったり、いろんな形で、新しい政治システムの形を探ろうとしていたようです。
1568年に京に上り、1582年に本能寺で亡くなるまで十四年間、模索をつづけたけれども、とうとう王にはなれませんでした。もう少し時間と寛容な精神があれば、将軍にはなれたかもしれませんが、二代目がダメだった可能性もあるので、また国内は混乱して、天皇をかついで家康さんが天下をさらったかもしれないし、どうなったかわかりません。
それで、ふと、つい先日まで三十何年ぶりの党大会とやらを開いた国があったそうで、そこのトップは三代世襲です。社会主義というのは基本的に世襲なのか、まさかそうではないと思うのですが、そこでは世襲が行われていて、いっそのこと王政にして、王として即位すればいいのに、その方がスッキリするのに、そこにウソっぽい「社会主義」の看板を付けるから、なんだかわからなくなります。
三代目ルールはどうなるのか? 私は、外国でも通じるものがあると思います。今の三代目でずっこける可能性はあると見ています。また、今の三代目が頑張って、王朝が代々続く可能性もあると思うし、それは現在進行形なので、私は三代目さんより年寄りだから、結果を見ることはできませんが、壮大な実験、とてつもない虚構実験をやっているのだと思っています。
社会主義で世襲はあり得ない。でも、社会主義とは、20世紀の実験では、不公平で、独裁的で、やがてパンクするという結論は出ているので、その通りになるのか、それとも社会主義というのは看板だけであって、実質あの国は実は王政をひいていて、人民は王を戴いている、そういうシステムである、ということなのかもしれません。
だったら、三代目が頑張れば、王政はつづく。ダメだったら、早晩システムは崩壊する。せっかちな私は、早く答えを見せて欲しいと思っています。でも、あと何十年も答えは出ないかもしれないので、私は答えがわからないまま、この世からいなくなるかもしれない。
でも、どっちかなのは確かです。王政がつづくか、三代目でずっこけるかです。人間って、中味的には同じだから、国民性は違っても、出てくる答えは予想できる気がします。
ノブナガさんは天皇にはなれなくて、仕方がないから、自分を神格化し、個人崇拝を奨励したそうで、滋賀県の各地のお寺から、それっぽい雰囲気のある建物を移築して、宗教施設を無理矢理作ったそうです。天皇にはなれないけど、その埋め合わせに、神様仏様信長様になろうとした。
そういう話を聞くと、革命児・開拓者というよりは、晩年は何だか疲れていたんじゃないのと思ってしまう。未来は、それなりに天下は取れるかもしれないけれど、新しい時代のビジョンはなくて、とりあえず天下は取る。そのあとは見えない。それで、自分はやがて死ぬ。そうしたら、自分の子孫が世襲してトップでありつづける政治システムをどのようにつくればいいのか。それは見えていなかったのではないかと思えるのです。
家康さんは、古典的な幕府というシステムを、時代に合わせて作り上げていった。秀吉さんは、とりあえず大名たちの集合体を組織し、対外戦争で国内を1つにまとめようとしたのかもしれないけれど、その政策が裏目に出て、みんなから嫌われてしまう。
ビジョンって必要ですね。この国のトップにビジョンはあるのか? 個人的な思い入れはあるようですが、それは時代に合っているのかどうか、あまりに内向きで、外に向かっていないので、国際社会の中で孤立しているような気がします。外遊は好きだけど、ニュースのための外遊で、実質は何もない気がする。つまらないセールスといいかげんな約束ばかり。
国のトップって、大変ですね。日本のトップになるには、国の中で国民にこびを売らないとトップになれないので、つい内向きになってしまいますし、そこには開かれた社会なんていうイメージはとても生まれない。どうしたらいいんでしょう。
まあ、政治に頼らず、自分のことは自分でやっていくしかないのかもしれない。政治は助けてくれないし、私たちから取り上げることが国家だと思っておく方がいいのだと思います。
ノブナガさんでさえ、晩年は開拓者ではない部分が芽生えていた。それなら凡人の私たちはなおさらビジョンは生まれない。私たちは目先のことしか考えないのです。