防音シートのうらには八代目五重塔があるはずです。
そんなに収穫はなかったけれど、とにかく年中行事のように、年に2回四天王寺に行きます。せっかくだからお参りだってします。でも、今回は本堂伽藍の方は修理中だったらしく、防音シートにくるまれています。たぶん、内部は拝むことができるのだと思われますが、私はたいていスルーします。
古本を見る前に、わざと古本市とは反対側に目を向けると(そんなひねくれたことをしているから、本の神様からも嫌われて、今回はそんなに恵まれなかったんでしょうか? いや、そんなことはないですね。たまたま見つからなかっただけかも……)、そうしたら五重塔の写真がありました。
もっとすべてを写真に撮ればよかったのに、その時はうっかりしていて、気に入ったものしか撮りませんでした。それで、気に入ったのが、江戸時代の五重塔です。
シンプルでスラッとしています。これなら善男善女として、何か寄進したくなるような、ここから海をながめたり、瀬戸内海に舟を出したり、そんなことがしてみたくなる、心誘われる五重塔です。江戸時代の人々も、大坂の四天王寺さんは、海からすぐそばにあって、建物はシンプルだし、みんなが拝みに来ているし、社交場でもあるし、そりゃもう、観光名所として輝いていたことでしょう。
今も、それなりには輝いていますし、ごく自然に神仏混淆になっているし、おもしろいところだなという気はするのですが、今の金堂ほかの建物は、コンクリート造りで、少しだけ興ざめな部分もあるのです。まあその分をほかでカバーしているので、私はこれからも何度も訪ねてみたいんですけど、写真で見ただけでも魅力的です。
それが壊れて、1940年に木造で作り出したのが七代目です。
戦争で焼けてしまい、今の五重塔は八代目だそうです。すごい歴史ですね。これがあと何十年つづくのかわからないけれど、1つの建物を時代を超えて維持していくのは大変なことです。地震や火事・人災その他いろんなことが起こるので、永遠の建物なんて、なかなか見つからないし、それが維持できません。個人の家なんか、住まなくなって数年で屋根に穴が空くことだってあるでしょう。それくらいムズカシイことだと思います。
この前、四天王寺に行ったときに、目についたのがこののぼりでした。字体がゴツゴツしているし、デザイン化された文字で、かろうじて「南無阿弥陀仏」というふうに読めますが、何かいわれがありそうでした。今までここで見つけたことはありません。
それで、南大門のところにこの文字の解説がしてありました。なんとこの一画一画が大工道具になっているそうで、いろんな道具を使ってナムアミダブツにしているそうでした。大工さんたち職人仲間で、デザインするのが得意な人がいて、こうした遊びで作り上げたようでした。本堂その他が工事中で、その期間を示す意味でも、職人さんたちも仕事をしながらナムアミダブツを唱えている感じです。なかなかおもしろいと思いました。
それから、東の奥の聖徳太子さまをおまつりするお堂の方で、太子絵伝を公開しているということだから、そっちにも行ってみました。お坊さんが説明をされていて、その話を聞くと記念品をいただける、しかも無料ということなのに、ケチの私なのに、さすがに古本が見たくなっていて、とりあえず夢殿のような建物を撮り、お参りだけして、いよいよ古本です。
鳥居もちゃんとくぐったんですけどね。
本は4冊でした。
・武田百合子さん「ことばの食卓」ちくま文庫……奥さんへのプレゼント?
・ラフカディオ・ハーン「日本の面影」角川ソフィア文庫……有名な作品ですなあ。
・桂 米朝「米朝ばなし 上方落語地図」講談社文庫……関西ガイドとして買いました。
・玉村禎「伊勢路のはなし」1981 三重県郷土資料刊行会 ……三重県ものとして買いました。
そして、その後、今まで行ったことのない庚申堂というお堂にも行き、ここでもお参りして、
最後は、天王寺駅北側の古いアーケード街に足を踏み入れました。ここが元気だったときにも、来たことがあるような気がするんですけど、今はあまり訪れる人はいないみたいです。でも、スナックみたいなのがいっぱいあったから、夜になると元気なんだろうか。とにかくまだまだ私の知らない大阪は、今も何とかつづいている。だから、どんどんあちらこちら行かなくちゃいかんなあと思うわけです。
古本市にも行かなきゃいけないですしね。
そんなに収穫はなかったけれど、とにかく年中行事のように、年に2回四天王寺に行きます。せっかくだからお参りだってします。でも、今回は本堂伽藍の方は修理中だったらしく、防音シートにくるまれています。たぶん、内部は拝むことができるのだと思われますが、私はたいていスルーします。
古本を見る前に、わざと古本市とは反対側に目を向けると(そんなひねくれたことをしているから、本の神様からも嫌われて、今回はそんなに恵まれなかったんでしょうか? いや、そんなことはないですね。たまたま見つからなかっただけかも……)、そうしたら五重塔の写真がありました。
もっとすべてを写真に撮ればよかったのに、その時はうっかりしていて、気に入ったものしか撮りませんでした。それで、気に入ったのが、江戸時代の五重塔です。
シンプルでスラッとしています。これなら善男善女として、何か寄進したくなるような、ここから海をながめたり、瀬戸内海に舟を出したり、そんなことがしてみたくなる、心誘われる五重塔です。江戸時代の人々も、大坂の四天王寺さんは、海からすぐそばにあって、建物はシンプルだし、みんなが拝みに来ているし、社交場でもあるし、そりゃもう、観光名所として輝いていたことでしょう。
今も、それなりには輝いていますし、ごく自然に神仏混淆になっているし、おもしろいところだなという気はするのですが、今の金堂ほかの建物は、コンクリート造りで、少しだけ興ざめな部分もあるのです。まあその分をほかでカバーしているので、私はこれからも何度も訪ねてみたいんですけど、写真で見ただけでも魅力的です。
それが壊れて、1940年に木造で作り出したのが七代目です。
戦争で焼けてしまい、今の五重塔は八代目だそうです。すごい歴史ですね。これがあと何十年つづくのかわからないけれど、1つの建物を時代を超えて維持していくのは大変なことです。地震や火事・人災その他いろんなことが起こるので、永遠の建物なんて、なかなか見つからないし、それが維持できません。個人の家なんか、住まなくなって数年で屋根に穴が空くことだってあるでしょう。それくらいムズカシイことだと思います。
この前、四天王寺に行ったときに、目についたのがこののぼりでした。字体がゴツゴツしているし、デザイン化された文字で、かろうじて「南無阿弥陀仏」というふうに読めますが、何かいわれがありそうでした。今までここで見つけたことはありません。
それで、南大門のところにこの文字の解説がしてありました。なんとこの一画一画が大工道具になっているそうで、いろんな道具を使ってナムアミダブツにしているそうでした。大工さんたち職人仲間で、デザインするのが得意な人がいて、こうした遊びで作り上げたようでした。本堂その他が工事中で、その期間を示す意味でも、職人さんたちも仕事をしながらナムアミダブツを唱えている感じです。なかなかおもしろいと思いました。
それから、東の奥の聖徳太子さまをおまつりするお堂の方で、太子絵伝を公開しているということだから、そっちにも行ってみました。お坊さんが説明をされていて、その話を聞くと記念品をいただける、しかも無料ということなのに、ケチの私なのに、さすがに古本が見たくなっていて、とりあえず夢殿のような建物を撮り、お参りだけして、いよいよ古本です。
鳥居もちゃんとくぐったんですけどね。
本は4冊でした。
・武田百合子さん「ことばの食卓」ちくま文庫……奥さんへのプレゼント?
・ラフカディオ・ハーン「日本の面影」角川ソフィア文庫……有名な作品ですなあ。
・桂 米朝「米朝ばなし 上方落語地図」講談社文庫……関西ガイドとして買いました。
・玉村禎「伊勢路のはなし」1981 三重県郷土資料刊行会 ……三重県ものとして買いました。
そして、その後、今まで行ったことのない庚申堂というお堂にも行き、ここでもお参りして、
最後は、天王寺駅北側の古いアーケード街に足を踏み入れました。ここが元気だったときにも、来たことがあるような気がするんですけど、今はあまり訪れる人はいないみたいです。でも、スナックみたいなのがいっぱいあったから、夜になると元気なんだろうか。とにかくまだまだ私の知らない大阪は、今も何とかつづいている。だから、どんどんあちらこちら行かなくちゃいかんなあと思うわけです。
古本市にも行かなきゃいけないですしね。