
今から12年前の3月初め、金沢の友人の自宅にノーアポで押しかけたことがあります。
彼はそれまで元気ものでマラソンに出たり、コスプレをしたり、よくわからないけど、元気ものなのだと思っていました。……何となく、ハッチャケてる人、私と通ずるような、オッチョコチョイで、うわすべりなところがあったんです。

それがいつだったか、パタリと音信不通になり、ずっと気になっていたんでした。……何か理由があるはずなのに、何だか気になるし、それではと彼に電話をするきっかけはないし、バタリと連絡は絶たれてしまいました。彼とは学生時代の友だちでした。
たまたま、2011年の3月の初め(何日後かに大震災が起こるのも知らないで)、仕事の皆さんと金沢にやって来ました。それで一瞬の自由行動をもらって、兼六園近くの彼のおウチを探して、ピンポンしたんでした。
しばらくして、彼が現われました。ノーアポとはいいながら、ハガキで何日に金沢に行きますというのは知らせていたので、私とわかったかもしれませんでした。「こんにちは」と声かけもしたような記憶があります。祈るような気持ちではありました。彼の顔を見たかったんです。
彼は、自宅でご両親の介護をしていました。
何分ほどいさせてもらったのか、お父さんから話しかけられ、お母さんは初対面ではないはずだけど、全く私なんか無視してムシャムシャと食事をされていました。お二人それぞれ状況が違うから24時間まともに寝ないで、ヒマを見つけてごろ寝などする24時間介護をしていました。
昔から彼はフトンで寝ないでコタツで寝たり、ごろ寝・うたた寝など得意ではあったけれど、それがずっとというのはさすがに大変だなとは思いました。でも、それは口に出していえませんでした。

そんな話を聞かせてもらったら、やがて電車の時間も近づいて、彼のおウチを後にしましたけど、彼には当たり前だし、覚悟の上とはいえ、ワガママでグータラを身上とする私には、どうしようにも何もできなくて、彼のおウチを出たら泣けてきたものでした。私は無力で、何にも彼の助けにならなかった。ただ心配だし、連絡するしか、ハガキ書くくらいしかないのか、とか、だったのかなあ。
あれから12年が過ぎました。彼は介護からは解放されてしまいました。それはどういうことなのか、私にはわかりませんけど、ポツンとひとりになっていました。私なら、どんな形であれ、親にはそばにいてもらいたいと思うんですけど、甘いかもしれません。
現在は、私に毎日出勤前にショートメールをくれるようになりました。なんだか不思議です。……そういう業務報告のメールをする人たちが10人ほどいるということでした。
あと1時間くらいしたら、ホテルに来てくれるそうです。あまり話せないとは思うけど、精一杯話そうと思っています。