前回、宣長さんは、お父さんとやっと気持ちで通じ合えたと思ったんですよね。そのあと、どうするんです? 歩きの旅だから、すぐには帰れないしな、また、あれこれ見て帰るんですか? どうなんだろう。
かの度は。むげにわかくて。まだ何事も覚えぬほどなりしを。やうやうひとゝなりて。物の心もわきまへしるにつけては。むかしの物語をきゝて。神の御めぐみの。おろかならざりし事をし思へば。心にかけて。朝ごとには。こなたにむきてをがみつゝ。又ふりはへてまうでまほしく。思ひわたりしことなれど。
十三歳でお参りしたとき、私は若くて、何ごともわかっていませんでした。ただ行きなさいと母に言われるままにお参りしただけでした。少しずつ大人になって、世の中のいろんなことが分かってきて、昔のお話を聞き、神様のお恵みの本当の有り難さみたいなのを感じるにつけ、これは、心から感謝しなくてはならないと思い、毎朝、吉野の神様に向かって拝ませてもらい、もう一度お参りさせてもらわなくてはならない、とずっと思い続けてきたのでした。
何くれとまぎれつゝ過(すぎ)こしに。三十年をへて。今年又四十三にて。かくまうでつるも。契(ちぎり)あさからず。年ごろのほいかなひつるこゝちして。いとうれしきにも。おちそふなみだは一ッ也。
それから、日々の忙しさに追われて過ごしていて、三十年の歳月を経た今年、四十三歳になり、こうしてお参りできるのも、この神様との契りが深いものだからでしょう。何十年も思い続けていた願いがやっと叶う気がして、とてもうれしいのですが、そこにはやはり涙がこぼれてしまいます。
そも花のたよりは。すこし心あさきやうなれど。こと事のついでならんよりは。さりとも神も。おぼしゆるして。うけ引給ふらんと。猶たのもしくこそ。
花と私のつながりというのは、簡単に言い切ってしまうことはできないのですが、どこかでつながっている気がして、あれこれと私に神様もつなげてくださっているのではないかと思われ、慕わしく感じてしまうのでした。
かゝる深きよしあれば。この神の御事は。ことによそならず覚え奉りて。としごろ書を見るにも。萬(よろず)に心をつけて。尋ね奉りしに。吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)と申せしぞ。この御事ならんと。はやく思ひよりたりしを。
深いつながりを感じていた吉野の神様、こちらとの関係はよそ事ではなく、自分に関係のあることだとお思い申し上げてきました。長年見てまいりました書物においても、どうか見逃さないようにと気を付けてきましたけれど、その吉野水分神社というお社が、今目の前にあるのだと思えたのでございます。
續日本紀(しょくにほんぎ)に。水分峯神(みくまりみねがみ)ともあるは。まことにさいふべき所にやと。地のさまも見さだめまほしく。としごろ心もとなく思ひしを。今来て見れば。げにこのわたりの山の峯にて。いづこよりも。高く見ゆる所なれば。うたがひもなく。さなりけりと。思ひなりぬ。
続日本紀にも、「水分峯神」と書かれているのは、本当にそういうところがあって、その様子をずっと見たいと懇望してきたところなのですが、今そこにたどり着いてみますと、他の山々よりも少し頭抜けていて、高いところで、書物に書いてあった通りだと納得するのでした。
ふるき哥(うた)に。みくまり山と讀(よま)るも。この所なるを。その文字を。みづわけとひがよみして。こと所の山にしも。さる名をおふせたるは。例のいかにぞや。又みくまりをよこなまりて。中比(なかごろ)には。御子守(みこもり)の神と申し。今はたゞに子守と申て。うみのこの栄えをいのる神と成給へり。
古い歌で「みくまり山」と詠まれているところもここであるようですし、その文字を「「水分(みずわけ)」と読み間違えをして、よそのお山を想定したりしている例もあるようですが、間違いというもののせいなんでしょう。
また、「みくまり」を取り違えてしまって、「みこもり(御子守り)」の神としたり、「子守り」というふうに解釈して、子どもの幸せを祈る神様にもなってたいるようです。人が歴史や伝統を伝えてくる間に起こすおもしろさというべきなんでしょうか。
さて我が父も。こゝにはいのり給ひし也けり。この御門のまへに。桜おほかる。いまさかりなり。木のもとなる茶屋に立ちよりて。やすめるに。尾張国の人とて。これも花見にきつるよし。から哥このむ人にて。名もからめきたる。なにとかやわすれにき。
さて、私の父上もここにお祈りをしなさったのです。お社の門の前にはさくらがたくさんあって、今を盛りに咲いています。近くの茶屋に立ち寄り、のんびりとしているところへ、尾張の国から来た人がいて、やはり吉野の桜を見に来たということでした。漢詩を詠むということですが、お名前も中国風の方でした。
その妻は。やまと言の葉をなん物するよし。それもぐしたる。やゝさだすぎにたれど。けしうはあらず見ゆ。さるはをとつひ。いがの名張にやすめる所にて。見し人也けり。きのひたむのみねにも。まうであひつるを。
その尾張の国の人の妻という人は、やまとことばで作品などを作るそうで、そうした作品を持ってきているということでした。少し季節に合わないところはあるようですが、そんなに悪くもないようです。
というのは、一昨日、伊賀の名張で見かけましたし、昨日は多武峰でも会ったんでした。ずっと、この何日か同じところを歩いているわけでした。
けふ又竹林ゐんなる所にも。ゆきあひて。かの男なん。小泉にかたらひつきて。ふみつくりかはしなどしつゝ。おのれらがことをも。くはしうとひきゝなどせしとかや。
今日、竹林院でもご一緒することになりました。旦那さんは、私たちの一行の小泉さんからあれこれ話を聞き、文章を書くことなども質問をしてきたということですし、私たち一行のこともいろいろ聞いてきたようです。
さる事はしらざりしを。又しもこゝにきあひたる。しかじかのよしいひ出て。物語などする程に。春の日も入相のかねの音して。心あわたゝしければ。立わかるゝこの本にて。
そういうこととは何も知らなくて、この茶店でも会うことになりました。あれこれと言葉を交わしなどしているうちに、春の日も入相の鐘が鳴り、慌ただしい気分になって、お別れすることにしました。