つづきを書いてみます。といっても、とても有名なお話だから、もうバレバレではあります。でも、私は「無善」の発見者というのか、これを取り上げ、世の中に伝えてくれた人が小野篁さんだったのか、というのがおもしろかったんです。千年前に篁さんがいなかったら、「無善」は埋もれてしまってたでしょうね。
篁さんは、ただ博学なだけじゃなくて、不勉強な若い時があったり、そこから発奮して猛勉強したり、わりと人間臭い人だなと思ったんですけど、それでも、やはり、何だか世渡りは上手くないというのか、人の気持ちや知識を試すというのか、知ってるんだか知らないんだか、わざとらしいことを平気でやれたりする、少し危ない人だったようです。
私みたいなボンクラは、相手にしてくれないし、権力者とか、お金持ちとか、そういうところに立ち向かうチャレンジ精神というのか、挑発的なところはおもしろいですけど、一緒にいたら疲れるでしょうね。
さあ、嵯峨天皇との対決です!
帝、「さて、何も書きたらんものは、よみてんや。」と、仰せられければ、
「何にても、よみ候ひなん。」と、仰せられければ、
「何にても、よみ候ひなん。」と、仰せられければ、
片仮名の子文字を十二書かせ給ひて、「よめ。」と仰せられければ、
嵯峨天皇さまは、「あなたは、文字で書いたものなら、どんなものでも読むことができますか」とお尋ねになりました。
「はい、どんなものでも読むことができます。」とお答えしました。
それではということで、天皇さまは、
子子子子子子 子子子子子子
という十二文字をお書きになって、「読んでみなさい」とおっしゃいました。
もう、これはどういう意図で出されたクイズなんでしょう。お答えを用意して質問されたのか、そういう頓智クイズの種本みたいなのがあったのか、それとも嵯峨天皇さまオリジナルのアイデアだったのか?
さあ、質問が帝から出されました。どうしたらいいんでしょう?
「ねこの子のこねこ、ししの子のこじし。」
とよみたりければ、帝ほほ笑ませ給ひて、事なくてやみにけり。
ということで、篁さんは簡単に解決してしまいました。
こういうことを、いつも考えてたのが平安貴族のインテリのみなさんたちだったのかもしれないなと思います。私なんて、クイズを作ろうと思っても根気がないし、そんなのどうでもいいやと思ってしまいます。
執念がないんですね。
いろんな平安時代の知恵みたいなものは、現代の世のなかにどれくらい伝わっているんだろう。もっとあれこれ伝わってたらいいのに、鎌倉時代の『宇治拾遺物語』に載ってるくらいで、それ以前の話なんて、どれくらいあるんだろうなあ。
それにしても、かわいらしい答えでした。「子子子子子子」を「ねこのここねこ」と読みました。確かに、そう読めないこともない。次の「子子子子子子」を「ししのここじし」と読みました。こねことウリボウを取り出すなんて、たいしたものだと思います。