
今年の家族のお参りは、大紀町の滝原宮にしました。まあ、私はあちらこちらでお参りはしてますけど、家族のお参りはこちらになりました。お伊勢さんは、人込みもあるし、駐車場はお金を取られちゃうし、ついついもっと気ままにお参りできるところがいいなって、こちらになりました。
伊勢神宮の系列のお社なので、二十年に一回の遷宮はあります。ということは、二十年間、この空間はそのまま保存されています。外国の人たちがお参りに来たとしたら、ここは何? どうしてこの区画には何もないの? 何のための空き地ですか? あれやこれや質問したくなるでしょう。
私たちは、「ここではこういうものなんだから」と思ってはいます。でも、改めて訊かれたら、「そういう決まりなんです。二十年ごとに生まれ変わるから、人間が生きている限り永遠にリフレッシュされていくのです」と説明するかな。不思議だなと思いつつ、それがいろいろと受け継ぐための期間としてギリギリのところなのかなと思ったりします。
ドナルド・キーンさんは、伊勢のことをこんな風に書いておられたようです。
何世紀にもわたって、伊勢には数えきれないほどの巡礼者が訪れた。国中がお伊勢参り熱の波に洗われて、何万何千という人々が歌いかつ踊りながら伊勢路をたどったことも何度かある。日常生活のほとんどすべての面が厳格に管理されていた封建時代に、当局は抜け参りを黙認していたので、庶民は、この自由を味わえる唯一の機会を活用することが多かった。伊勢の町は、そうした参詣者たちに宿ともてなしを与える必要に応じて大きくなっていき、参詣客たちに寄食する「伊勢乞食」たちが、いくどとなく皮肉な物笑いの種にされたほどだった。
伊勢は、封建社会においては、数少ない自由を得られるところだったそうです。でも、平安時代とか、戦国時代とか、奈良時代とか、みんながお参りしていたのか、わからないですね。平安時代は、都の貴族からは憧れの目で見られていたのでしょうか。皇室のお嬢さんは、斎王として若き日々を都から切り離されてそれは心細い思いをされたんじゃないのかなあ。
伊勢という土地が、そこを訪ねてみようと思っている人たちに及ぼす魅力は、今日、過去のいかなる時代よりも大きいものだろう。たとえ、今のたいていの日本人を取り巻く熱にうかされた環境と対照的な、安らかな美しさのためだけだとしても、伊勢は、日本の風景の独特な特質と、日本建築の完璧な実例とを併せ持っている。その取り合わせには、神道の信仰とはいかに無縁の者といえども、抗しがたい魅力を感ずることだろう。
過去にも熱狂の時代はあった。でも、今の時代は、みんなが一生に一度はお参りしたいという気持ちで来られているのは確かです。かなりすごい熱量です。なんだけど、外国の人たちにはわからないかもしれないなあ。わかるんだろうかなあ。