「ベン・ハー」(1959)は、三度目くらいになるでしょうか。三日のNHK-BSで見ていて、二回ほどウッと感動したんですが、二回とも、瓢で水を差しだす場面でした。私も年ですから、そういう何でもないシーンに感動してしまうみたいです。戦車レースの場面は有名だし、壮絶なんだけど、何だか悲しかったですし……。
お水をどうぞ!
ただのそれだけなのに、そのシーンが象徴的に使われていました。
一つ目はベンハーが無実の罪を着せられて、ガレー船の漕ぎ手にさせられていく場面、イエルサレムから砂漠を越えて港まで行く時でしょうか。その時にある青年からお水をもらい、生きる気力をもらうのでした。
二つ目は、その青年がみんなに慕われているから、それを見逃すわけにはいかなかったローマの総督が、青年を磔の刑にすることにして、ゴルゴダの丘まで木材を背負って歩かされる場面で、ベンハーが青年にあの時の恩返しとして水を差しだす場面でした。
ベンハーは一回目は、自分の未来が分からず、これからどのようにして自分が貶められていくのか、母や妹はどうなるのか、とにかく復讐することしか考えていませんでした。護送されるうちには、気力・体力ともに衰え、どうなるのかわからなかったけれど、青年との出会いによって生きる力を与えられます。
やがて、ベンハーは数奇な運命によって、ローマで有力な将軍の養子になり、そのままローマにいればいいものを、ふたたびエルサレムにもどり、幼なじみで宿敵になったメッサーラと戦車レースで対決し、勝利するものの、母と妹はハンセン病にかかり、死の谷へ入ったということを聞かされてしまいます。何もかも絶望的に見えた。
友でもあった宿敵は戦車レースの事故で命を落としますし、母と妹は隔離された洞窟で生活していた。その時、ナザレでベンハーに水を与えた若者は、人々を扇動する危険人物としてとらえられ、はりつけにされる。いろんな人たちの運命がベンハーのまわりで回っているけれど、あの若者につながっていくんです。
不思議な運命に導かれて、ベンハーはゴルゴタの丘に向かう最中の青年に出会い、青年はそのまま殺されてしまいますが、直後に嵐は起こり、奇跡は起こる、そういうお話でした。
このお水を差しだす場面、とても心穏やかな気分が見ている私にも感じられて、ウッときてしまった。言葉じゃなくて、心を通わせている場面だから、感動したんだろうか? よく、わからないけど、大事な場面であったのだと今では思います。
三時間半にもおよぶ映画の後半から戦車レース、その後の奇跡のシーンは最後の40分くらい使っていました。史劇映画でもあったけれど、宗教的な映画でもあったようです。とてもキリストさまが大事な働きをしていました。
もちろん、キリストさまはベンハーと同じユダヤの子であったし、年齢も同じだから、いろいろと重なるように演出していたんですね。
ベンハーは、ベンハーの不屈の魂を追いかける映画ではあったけれど、実は劇中ひとこともセリフのなかったこの青年のイエス・キリストの映画でもありました。そういうことを今さらながら気づいたんでしたね。
さて、西暦では、イエス・キリストさまが生まれたとされる年を元年とするのか、キリストさまがユダヤ人として割礼を受けた日を紀元とするのか、とにかく、キリストさまをスタートにしているようです。
というので、ラテン語の「A.D.」または「AD」が使われるそうですが、私はキリストさまが死んでしまって、After Dark の略かなと勝手に決めてたけれど、そうではなかったようで、「アンノドミニ (Anno Domini)」の略だそうで、「主(イエス・キリスト)の年に」という意味なんだそうです。
それをパクって、アンナ・ドミノという女性ボーカルがいて、1枚だけうちにCDはありますけど、そんな深い意味の名前を付けるなんて、大胆過ぎて、名前負けしそうですね。
そういえば、私の大好きなアン・ハサウェーさん、この人も最近はパッとしないけど、やはり、シェイクスピアの奥さんの名前だなんて、あまりにできすぎていて、これまた名前負けしそうです。彼女、名前を変えてくれたらいいんだけど、まあ、無理だろうなあ。
あれ、だったら、BCは何の略でしたっけ?
キリスト教に基づく表現であるAnno Domini(AD)、Before Christ(BC)でしたっけ。
今ではそれを、キリスト教的ではない、中立的なものとして、英語ではCommon Era(共通紀元)、 Before Common Era(共通紀元前)とする動きが起きているそうです。
これもまた、少しずつ変化していくことでしょう。
ともかく、ベンハーによって、キリストさまと、ユダヤの人と、チャールトン・ヘストンと、ハンセン病を思い出しました。
すっかり忘れてたけど、何かの形でお話の世界を自分たちの世界につなげなきゃね!