ヤマトタケルという方がいたということになっています。実在したのか、それはわかりません。立場によっては、「実在された方であります」とシレッとおっしゃる方もいるでしょうけど……。
でも、お墓はありますし、公園だって整備されています。
誰のお墓なのか、そもそも日本という国はどのようにしてできてきたのか、そこのところがイマイチはっきり分かりません。考古学的なこと、文献的なこと、どちらも限界があるので、科学的に証明する何かが欲しいけど、そういうことがわかっても、あまり得にはならないかな。
今の中国と一緒で、その国の歴史やルーツうんぬんよりも、今ある条件でどれだけ豊かになれるか、それさえあればいいのだ、という考え方って、あるんでしょうね。
けれども、日本各地に文書としての記録は残っていないけれど、たくさんの古墳があり、三世紀から四世紀、各地の実力者が自らの巨大なお墓を作らせていた。これは事実として存在するし、実はお墓なんだけど、造成工事のために破壊されていくお墓もあることでしょう。
土器などが発見されても、お金にならないから業者の人たちはそのまま蹴散らしていくでしょうね。これが金の剣とか、宝石の塊だったら、大騒ぎになると思うけれど、そういうのが見つかっても秘密にされていくのかな。
三重県の亀山市の能褒野(能煩野 のぼの)というところに、宮内庁が1879・M12年にヤマトタケルノミコトのお墓と定めた古墳があって、その横には神社も整備されて、公園になっているところがあります。
先日、知人に勧められて、この暑い日々の中で、ムチャクチャだけど訪ねてみました。とても暑かったし、しんどかったので、古墳と神社があるだけで、私には何のイメージも湧いてきませんでした(やっぱりね、ただのヒマツブシだ! 知人はたまにボンヤリするために、心穏やかにするために行くということでしたけど)。
倭建命(やまとたけるのみこと)というお名前で、そういう方を勉強したのは高校2年の「古典」の授業でした。『古事記』が採録されていて、古典文法の通じない、独特の言葉づかいで、イマイチ好きになれない内容ではあったけれど、「やまとはくにのまほろば……」という歌だけは印象に残りました。
ミコトさんは、九州、関東と遠征続きで、なかなか故郷で穏やかな生活を送れなかったそうです。
どうして彼のお父さんの景行天皇さまは、彼が故郷に落ち着くのを許さなかったのか、そのあたりは不明なんですけど、旅から旅の一生であった。人をだまし、だました相手からいろんなものを奪い、少しずつ父親のために貢献しているというのに、それでも許されなかったなんて、そもそも彼に付き従う部下はどれくらいいたんだろう。わからないですね。
九州には単独で乗り込んで、女装してそちらの王様の命を奪ったということですけど、ひとりで行かされたんだろうか。だったら、ウソもつかなきゃいけないし、いろんなものを奪わないと、生きていけなかったでしょうか。
私は三重県の名前のルーツとなる、ヤマトタケルさんの足が「三重(みえ)」に曲がってしまったというところを訪ねようとしていたんでした。
でも、ヤマトタケルさんの白鳥陵というのは鈴鹿の方にもあるし、他のところにもあるようです。三重郡というのは、三重県の北側にあります。南側は三重郡とは何のかかわりもありません。
実在したのかどうか、それさえわからない伝説的な人ですから、そういう人をしのぶところは、伝説として人々が伝えているのであれば、おまつりしてもいいわけだから、各地にあってもいいわけです。
それを無理やり、政府の決定によって勝手に問答無用で決めるというのはどうなんだろう。
かくして、誰かのお墓であったのは確かであった古墳は、突然に「ヤマトタケル」さんのお墓になり、皇室関連の方だから柵でおおわれることになりました。中に入れないし、管轄はすべて宮内庁ということになりました。この辺りの使い分けというのか、区別の仕方も政治的でイヤですね。心はあまりありません。
本当であれば、学術的な調査が必要だと思われますが、すべてにフタをしてしまう政府のやり方では、皇室関連の土地はすべてタブーになりました。
ちゃんとした発掘調査をしても、結局誰のお墓かもわからないだろうし、わからないのであれば、皇室関連のお墓は立ち入り禁止にする、すべては古事記・日本書紀にあるとおりである。日本の国の成り立ちは、ニニギノミコトが天下りして二千数百年以上経過しているのである、というふうに取り澄ましていればいいわけです。
かくして、私たちは、自分たちはどこから来て、どこへ行くのか、わからなくなりました。
そもそも、私たちをひとくくりにすることから間違っているのだから、地域地域に今いる人たちを訪ねて、そこであれこれお話を聞かせてもらって、各地域にいる人たちは、どこへ行こうとしているか、何を考えているか、それを知ろうとする民俗学的なやり方の方が、真実に近づける気がします。
世の中を何か一つのことでまとめ上げようとすること、これまでも何度も繰り返されてきた手法です。
今は非常時である、だから我慢しろ、だからお前のところの子どもを兵士として召集する。だから、とにかく国民一丸となって敵に立ち向かえ。
今は非常時である。だから、ステイホームでオリンピックをテレビで見ろ。人と街中でお酒は飲むな。会食するな。ワクチンを提供するから、有り難く注射してもらえ。
ああ、私たちは、そんな風にしてまるめ込まれるようです。私は喜んで注射を受けたかったのに、9月まで受けられないし、まるめ込まれたいのに、諸事情でそれも有り難く待っていろ、だなんてね。