ずっと気になっていました。今もやり残した感じがあるので、もう少しちゃんと準備をして訪ねたいと思っています。
三重県の南から、国道1号線に乗り、滋賀方面に出ようという時、昔の伊勢別街道をもとにした道路を走りました。でも、最近は滋賀県にも行ってませんし、新名神道ができて、滋賀県にはあっという間に行けるようです。
昔のメインストリート、江戸につながる東海道は、三重県を通っていました(ヤマトタケルさんの歩いた道でもあります)。今の四日市あたりから、お伊勢さんにお参りしたい人は伊勢街道というのを通って行きます。津のお城とか、お餅屋さんとか、津の観音さんとか、そういうところを楽しみに歩いたことでしょう。
京都方面からは、鈴鹿峠を降りて、関の町に入り、そこから伊勢別街道というのを通ると、津の町までたどり着けて、伊勢街道と合流したら、そのまま道なりにお伊勢さんをめざせばよかったんですね。
津の町に着いたら、街道からほんの少し外れたら、海が見られるし、伊勢湾がぐっと名古屋まで切れ込んでいるのが見えて、対岸は愛知県の知多半島、はるか向こうに見えるのが朝熊山で、そのふもとにお伊勢さんが見えるという寸法でした。
阿漕の平治さんの塚だってあるから、親孝行の息子をしのんだりしたのかな。とにかく、道を歩けば、立派な人たちの記憶がたどれたでしょう。
さて、伊勢別街道をたどり、しばらくしたら、山の方に行くと「石山観音」というのがありますよ、というのはずっと前から見てきました。
でも、なかなかお参りするチャンスはありませんでした。
先日、たまたま、ものすごく暑いのに、時間があったものですから、少しだけ寄ってみようと思い立ちました。ひとりでクルマを走らせてると、封印が解けるみたいなことを思いつくみたいでした。
何となく、既視感は持っていました。山全体の花崗岩層を利用して、人々が観音様を刻んできたようです。
観音巡りができるんですから、33の観音様がおられるのは確かで、一体だれが作り上げたものなんでしょう。
パンフによりますと、「ここ石山観音は長い年月にわたって逐次追刻されたため、仏像の大きさ、お姿、立像や坐像の違い、浮き彫りの仕方、彫刻範囲の大小など、バラエテイに富んでいて、これが石山観音の大きな特色と言われている」ということでした。
作られた年代がわかっているもので、1848年のものがあったり、大正・昭和に作られたものもあるようです。
そんなに、人々から愛され、刻まれしているのであれば、たくさんの人たちが見に来ているでしょうと思われました。
(これは香川の栗林公園で、少し違うかな)
駐車場にはクルマが1台。どうやら、女性がお参りを済ませて、装備を外して、それから帰ろうとするところでした。それを見てまずくじけました。とてもサンダルばきのオッサンでは、装備が足りないし、心構えも足りない感じでした。
それに、ものすごく暑かった。森の中に駐車場はあるのに、気をすり抜けて暑さはふんだんに届いていました。クルマの外に出ても、全く山登りできる気配はありませんでした。
そう、私はサンダル履き、水も持たない。タオルはかろうじて持ってたけど、とても観音様にお会いする準備はできてなくて、ただ少し寄ってみたというばかり。来る人はもう誰もいない。真夏のお昼ごろ、誰が物好きな岩山めぐりをするでしょう。案内者もいないのです。
でも、入り口のところの如意輪観音様は、拝むことができました。あとどれくらいの観音様がいるのかわからないけど、ほんの少しだけ、行けるとこまで行ってみよう。
さっきの観音様のわりと近くに、お地蔵様。この方は観音様ではないみたい。だったら、次の観音様は?
その時です。不届きな私を追い出すため、アブがやって来て、「こら、出直してこい」という感じ。
そりゃ、そうだね。いい加減な気持ちで来てはダメでした。こんなに暑い時にお参りしようとしたのは貴重だけど、とてもお参りする気分にはなれなかったでしょう。
仕方がない。また、いつか、チャンスが巡って来る時に、お参りしようという気持ちで来ようと思いました。