昨夜、22時にコテッと寝て、そのまま朝までグッスリ眠れるかというと、そうではなくて、2時、3時に目が覚めてしまいます。(ギリギリおばけの時間は逃れています。危ない、危ない!)
もう、私は父の領域に入ってきたんだろうか。まさか……、ふたたびスヤスヤ眠れる時代がやって来るとは思うのだけれど、最近はこの時間に目が覚めて、眠れなくてイライラして、ガバッと起きることがあります。
何を焦っているのか、どうして焦る必要があるのか、ただ、何にもしていないから目が覚めるのか。確かに、昼間は体は酷使していなくて、ダラダラしているから、ちっとも快い眠りというのにはならないです。眠るためにはもっと筋肉を使わなくちゃいけないな。
本当なら、眠れない! って、外に飛び出せばいいんだろうけど、それは少し寒いしなあ。ちゃんとスヤスヤ眠れる工夫が必要です。(パソコンのしすぎかな? いや、違うと思いたいんだけど……。)
何だか、大きなリズムを失っているのかもしれない。
それを無くして、小さな波でワチャワチャしていて、自分を見失って、落ち着きのない日々になっている、という気もします。
そうだ、何だか海みたいなリズムが湧きおこらないかな。海みたいなリズム、もう一度見つけなくてはいけない気がする。
与謝野晶子さんの短歌がありました。彼女にとっては、今となっては不本意なのかもしれないけど、私たちにはもう切り離せない、海のリズムの短歌がありましたよ。
〈ここで、しばらく『みだれ髪』を取り出して、探してみたんですけど、あの歌が見つかりませんでした。もっとふんだんに海の歌があると思ってたのに、京都とか、乙女の生活の切り売りなのか、全く海が出てきませんでした。あれ、どうしたのだろう。〉
海恋し潮の遠鳴り数へては少女(おとめ)となりし父母の家
彼女は、『みだれ髪』を1901・M34年に出していて、その時は23歳。「海恋し……」の歌は、『恋衣』(1905・M38)で27歳だったそうです。
そうかぁ。デビューは、乙女の生活よ! という感じで売り出して、そこからあれこれ模索して、ふるさとやら、思い出やら、家族やらをテーマにするようになったみたいです。ちょうど日露戦争もやってきますので、弟さんに「君死にたまふことなかれ」という少し反戦の詩みたいなものだって書いたころですもんね。
お勉強しましたね。
晶子さんとしては、「海恋し」の歌は、どれほどの大きさを占めていたのか、それはわからないけど、私は、この歌を胸に何十年も生きてきました。
そんな、海が恋しいと言える環境で育ったわけではないけれど、彼女と同じ大阪の海側で育ち、時には大阪湾で遊び、人生で一度だけ、二色の浜という海水浴場にも出かけ、浜寺のプールには何回か行ったりして、この歌は私のこころの歌にさせてもらってた気がするんです。
少し、海のリズム、取り戻せそうな気分がしてきました。
私の中の海といえば、この詩になるのかな。これは詩のつもりだったんだけど……。
吹上松林 [1975.8.7 吹上浜を旅して]
その長く続く松林を通り抜けていった。
さいはての海。
もう緑の大地はなくなって、静かに終わりを告げる。
はてしなく遠い。
もう緑の大地はなくなって、静かに終わりを告げる。
はてしなく遠い。
雲は、向こうの水平線の上に浮き、
波は、水平線のかなたから流れ落ちてくる。
波は、水平線のかなたから流れ落ちてくる。
雷鳴が海をさらってガガガガーッとやってくる。
松林をおもいっ切り振るわせ、光り、
そして、海と一つになって消えてしまった。
松林をおもいっ切り振るわせ、光り、
そして、海と一つになって消えてしまった。
緊張を破って、
潮風が湿気をかすかに含んでそよいできた。
心がやすらいで、ほっとそちらへ微笑みかけたら、
突然また光り、消えた。
潮風が湿気をかすかに含んでそよいできた。
心がやすらいで、ほっとそちらへ微笑みかけたら、
突然また光り、消えた。
浜は硬く足跡を拒み、
いつかまた海が迎えにくるとき、
その時を待っているみたいだ。
いつかまた海が迎えにくるとき、
その時を待っているみたいだ。
向こうに、海に突き出た笠沙(かささ)からは、
憩(いこ)うべき島もない大海だ。
いつか陸は果てて、海に呑まれてしまう。
憩(いこ)うべき島もない大海だ。
いつか陸は果てて、海に呑まれてしまう。
吹上はさびしく、
少女もいない。
ただうらがなしく風が寄せ来るだけ。
寄せ来る風は山を越し、また海に帰っていく。
少女もいない。
ただうらがなしく風が寄せ来るだけ。
寄せ来る風は山を越し、また海に帰っていく。
少女もいないし、
冷たくただ海があるだけ。
でも松林は生きている。
風に吹かれても、
長く長く松林は続いている。
冷たくただ海があるだけ。
でも松林は生きている。
風に吹かれても、
長く長く松林は続いている。
夕立の雲がやってる。
もうすぐ雨がふりそうだ。
作文みたいな、詩のつもりの作品でした。
ここに海のリズムはあるのかな?
風景に対するあこがれはありますね。一生懸命、その時にあることを自分なりに書こうとしている。
そういうことなのかな。一生懸命さかな。二度寝するチャンスはある? もう諦めてこのまま起きることにします。海のリズム、今日ふたたび寝る時間まで、考えてみたいと思います。