何だか、十月末から、ずっと回想的になっています。
以前は、もう少し現在のことについて言いたいことがあったのです。でも、最近はそんなのは「ツマラナイカラ、ヤメロ」みたいな気分になって、何も書かなくなりました。
サクラをみる会、そんなつまらない行事が行われていたなんて、それさえ知らなかったけれど、それが明るみに出た瞬間に、すべての情報を消去して、それで「わからないですねえ」で済ませる精神、もうそんなのに私は耐えられません。
まともにそんな話をフォローする精神はなくしてしまった。それが許されると思っている本人はもう私の理解を越えているし、その顔を見ただけで気持ちが悪くなります。
口では誠実と言いますが、自分で「誠実」を言うヤツに、まともな人間がいないというのはよくあることで、ウソをさらに強化するために、「誠実」を言葉だけで安売りする。言葉はものすごく軽くなっている。私だって、もう少し気を使って話していると思うけど、あの人の言葉って、悲しいくらい無意味です。
そんなデタラメを私たちは許し、他に担当するヤツもいないからと、相変らずのわがまま放題を許している。
どうして私たちは怒る気持ちを失ったのか。そこが本当に悲しい。怒る気力さえ、糸口さえ見つからない。何でボンヤリしたままなんだ! わからないなあ。
サクラを見る会、だけではなく、他にもいろいろあるでしょう。
世界が石炭火力発電所を止めよう、と決議しても、相変らず、よその国でも石炭火力発電所を建設しようとし、自国でも推進している。世界は世界、自分のところは自分のところ、使い分けているようです。
そういうすべてのことに、私たちは自分の意見を持たないまま、何にも言わないで、自分の生活のことを考えている。それは教育であり、経済であって、政治ではなかった。政治って、利益はないし、どうだっていい、となってしまう。
どうして毎日政治って、ならないのだろう。つまらないで済ませている私は大丈夫か。政治に興味はないのか……。離合集散・合従連衡などの政治屋さんたちの動きは本当にどうでもいいです。
政治って、その人たちのくっついたり、離れたり、ケンカしたりするのを、お客である人々がハラハラして見るつまらないドラマではありません。
本当は、日本全体で未来に借金をして、いろんなものを作っていることを議論する場であり、エネルギー政策について、宇宙開発について、子どもたちのスマホ漬けの問題、若者が本を読まないことについて、オリンピックのあとの経済対策、新幹線の延伸問題(私はこれ以上赤字と借金はしてほしくないと思っています)、そういうことをして欲しいのに、誰もやってはくれません。
ロシアとの平和条約の問題、北朝鮮の拉致問題、何も進まない問題はたくさんあります。世の中は、そんなものであって、進んでいないように見えて、少しずつ変化していくんだろうけど、個人としては、被害者の家族はどんどん年老いていくし、何とかしてもらいたい。でも、「そんなことは簡単には進みません」という一言で切り捨てられちゃうのかな。
いつか、自給自足の生活を、ポツンと一軒家みたいなところでやりたい、という夢は持っているけれど、そんなことができたとしても、電気と水と道路は気になるでしょう。
そういうこと、私はどう考えているんだ。こんなに町や村に太陽光パネルが建設されているけれど、それでも電気は火力なんだろうか。やがては原子力を稼働させるということなのか。
私は、シンプルで原始的な生活を送りたいという希望はあります。でも、水も電気もトイレ欲しい。それだけは原始的なのはイヤ、なんて、私ほど口先だけの人間はいないか……。