先生に案内されて、△△大学の中を歩いています。学生たちはいません。土曜日の大学は、ポカーンとしている感じです。お昼下がりの太陽がサンサンと降りそそいでいます。構内を歩く一般の人が何人か、道の行き止まり、てっぺんの公園みたいなところで遊んでいる家族が何組か。確かに、市民に開かれた大学ではあるようです。
ここは毎朝、散歩するんやけど、みんなそれぞれに通り抜けて行くんやな。この公園みたいなところは、市民の公共の場になっている。もう少し高いところまで、見晴らしのいいとこまで行こうか。
まわりが見渡せそうですね。(公園ではたくさんの家族が遊具で遊んでいます。私と先生は、変なオッチャン二人連れです。遊んでる家族なんて無視して、見える風景を見ようとしている。とにかく、山々が目に入ってきます!)
うちの学校はな、海の方にあったけど、軍事教練をこっちの方でやってたんやで。みんなここまで何キロも歩いてやってきて、こっちの方で演習してたんや。それがそのまま現在の自衛隊の駐屯地になっててなあ。
先生が新制高校のご出身であるというのは知っていたので、旧制中学の軍事教練をされたのはおかしいと思いました。少し早すぎる……?
あれ、先生! 先生が軍事教練されてたんじゃないんですよね。時代が合わないですもんね。
ああ、そういう歴史があったということや(そういう歴史を経験してきた学校に、先生も私も通い、その歴史を今につないでいるということなんだと思われます)。
ハイ、私たちの学校って、歴史はあるんですよね。
そのつながりで、ボクはこっちの方に引っ越してきたし、大学もそうやったし、何度か引っ越しはしたけど、こっちとの縁を感じてきたんや。
ハイ、そうだと思います。
ここらに引っ越してきたときは、あたり一面野山と田んぼと、この坂から向こうは少し古い集落があって、街道もあるんやけどな。とにかく、あまり住宅もなかったんや。
ハイ、四十年くらい前、あまり住宅もなかったんですね。この大学もなかったんだ。この大学、弟が通ってたころは、別のところにありましたもんね。電車の駅から歩いて通ったというのを弟から聞いたことがありました。私は、彼の大学に行かせてもらったことはないんですけど、話は聞いてましたから。
小高い丘のてっぺん。大きな大学の巨大な建物が邪魔をしているけれど、ようやく葛城山が見えました。もう少し歩くと、金剛山も見えました。ああ、大阪府民の憧れ、大阪府の中で一番高いお山が見えます。その名の通り、みんなに憧れられるピラミッド型のお山です。葛城山は一つ谷を隔てているので、もう大学の建物の影に隠れてしまった。
その金剛山からずっと南西側、和泉山脈の山々が見えるやろ。あの、てっぺんがはげ山になっているところが、岩湧山なんや。なんではげ山にしているかというと、カヤ場になっていて、切り出したカヤをいろいろ利用するんやな。道もできとって、クルマでも行けるんや。
あんなてっぺんまでクルマで行けるんですか? 私たちが耐寒登山で登ったところはあのてっぺんなんですか?
キミらはあの山の左側まで登って、そこから降りていったんやな。それからずっと通常の登山のコースを歩いてもらったんやわ。
(あれ、何だか、聞いたことがある山の名前だし、私たちはそこに真冬に歩かされたんですけど、その仕掛け人は先生だったんだろうか?)
あそこに私たちは登りましたけど、あれは先生のアイデアだったんですか?
私とF先生とで、あれこれ登って、ここはわりとよう来るし、だいたい分かっているし、歩いてもらおうと思ったんや。
(入学当初から、上級生の間では非難ゴーゴーだった耐寒登山の仕掛け人は、三年の時の担任の先生だったのか。知らなかった。知らないままに参加して、知らないままに歩いたけれど、たまたま私たちが歩いた時は、それほど寒くはなかったけれど、でも、凍って滑るところとか、縄づたいに歩いたところとかあったし、ワイルドな冬山歩きという記憶はあるんだけど、それがあの山で、その企画はこの先生のものだった! ああ、びっくり!)
先生と、このあと先生のお散歩コースを歩かせてもらい、私の家のことも話したり、私のこれからのこと、クラスメートのことも少し、だいたいは先生のお話を聞かせてもらう形で歩いて、歩き疲れて先生のおうちにも入れてもらって、奥様にも会わせていただきました。
奥様は先生のことを「ジイサン」と呼んでおられた。何だかビックリでした。少しドキッとしました。
だったら、先生は「バアサン」と呼んでいるの? それは聞かなかったけれど、昔話のおふたりみたいで、住宅街の不思議なおうちに迷い込んだような錯覚も感じました。あれこれお話を三時間ほどしていただき、もう申し訳ない気持ちで帰ることにしました。
そうしたら、買い物があるからと、先生は駅まで来てくださいました。雨が少しパラパラ落ちてきて、お帰りが心配だったんです。そうしたら、
帰りはバスやから大丈夫。
と、おっしゃってくれて、42年ぶりに会わせていただいた不肖の弟子の私は、トボトボと電車に乗り込んだのです。帰りはやたら時間がかかって、意識を失ってたら、いつの間にかナンバに着いていました。
ラピートは、行く時も待ってたけれど、私がナンバに戻ってきたときにも、車両は違うけど、ちゃんと待っていてくれました。一度乗りたいですね! 関空って、縁がないもんな。