夕方になりました。少しだけ太陽光線が斜めになりました。でも、外に私は出られていません。
ついさっきまで、書棚から見つけた岡本太郎さんの発言集を読んでいました。
特に、どれというわけではありませんが、TAROさんは言葉においても立ち向かっていました。
有名な「芸術は爆発だ」というのもありますけど、「芸術は破壊だ」ではないのだと改めて思います。
古い概念、古い考え方・発想、そういうものを壊して新しいものを打ち立てるのではないのです。
自分に誠実に生きて、名誉や地位を求めず、自分らしく生きる。自分に向き合う。命を懸けて自分と格闘する。そして、落ち込み、くじけ、立ち上がれなくなる。
TAROさんはいつも落ち込んでいたそうです。そして、自分と向き合った。そして、そうした自分を落ち込ませるものをぶち壊すのではなくて、自分の中のエネルギーを解放することを大事にした。それが「爆発」だったのかもしれません。クリエイターだから、ベースにあるのは自分ですね。
今日みたいな暑い日、ものすごい太陽、ものすごい温度、やる気のなくなる毎日のニュース、世界情勢、もうすべてが虚しくなるではないですか。
そして、落ち込む。でも、そこから立ち上がり、自分の求めていたものを、自分の声を聞き、それに形を与える努力をする。
だから、この暑さに立ち向かい、汗かきながら必死になってお金儲けをする、というのも戦っていると認めてくださると思うんですけど、それは芸術なのか、それは何のためなのか、地位や名誉や自己満足や、みんなにちやほやされ、やがてはそれが自分のお仕事につながるのか?
そういうこともあるだろうけど、たいていは、世の中はそういうのを認めてくれないし、見てくれてないのだと思われます。
自分では、ものすごく頑張ったという思いはあるだろうけど、やがては消えてしまう。
それは、まだ自分の人生を生きて来られてないのかもしれない。いや、自分の人生なのかもしれない。
わからないけど、「自分の人生を生きてみなさい」というのは単純なことではないようです。
就職する、結婚する、何かを表彰される、大金を手に入れる、家族を持つ、旅行をする、誰かとおしゃべりする、それらすべて自分の人生を生きているんじゃないの? ねえ、TARO先生、と訊きたくなるけど、そんな誰かに確認したくなるなんて、自分の人生を生きてることにはならないかな。
そう、常に自問自答し、これでいいだろうか、これではまだ足りないな、どんな風に工夫したいかな、もうずっと思い続けなきゃ、自分の人生にはなりはしないですね。そうしましょう。
とりあえず、太陽の下で何かをすること、今日は全く拒否してしまいました。気力がありませんでした。
とても自分の人生どころではありませんでした。残念でした。
太陽の下に出て、自分のやれること、考えたいです。でも、すぐに気力がなくなってしまうから、とてもやりきれないですけど……。