甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

啄木と 年末を一緒に過ごす その2

2014年12月27日 09時53分38秒 | 本と文学と人と
 昔、啄木くんに興味がありました。昔は彼と同じように若死にして、みんなに認められないで死んでしまうのだ……とか何とか(悲劇の主人公を気取っていたのです。そんな劇だからいいけど、実際に20代で自分が……と思ったら、それはもう想像をできない悲しさです。それが昔は想像できなかったんです……)思ったこともありました。

 彼の時代と社会や環境は違っていますし、私と彼とは何の関係もないのだから、自分が若死にするなんて、そんなことはないようです。今はその倍以上生きています。ひょっとすると、彼の三倍以上生きるかもしれない。

 でも、人に与えられた寿命よりも、どれだけいい仕事をするかですね。私も、生きてる間に、いろんな人を幸せにできるように、いい仕事をしていきたいと思います。寿命なんか考えません。とにかくいい仕事です。



 さし当たって、年賀状を書いて、奥さんとお買い物をして、実家に電話をして、家の掃除をして……。どれも内向きの仕事ばかりです。そういえば、この前に買ってきた巣箱を木にくくりつけるというのもあります。この前拾ってきた石を庭に敷くという仕事もあります。ああ、どれも内向きだ。

 お昼の温かい頃に、歩いて郵便局に行けるように、先ず年賀状です。その前に、啄木の北海道時代の日記です。

12月26日
 朝澤田君に手紙を送り、釧路新聞を如何(いか)に経営すべきかに関する予の意見を述べたり。

 夜、奥村君を呼び、もし白石社長にして予の意見を容れなば共に釧路に入らむことを約したり。釧路の地、繁栄未(いまだ)だし、然(しか)るが故(ゆえ)にもしこの際大(おおい)に為すあらば、多少吾人が会心の事業の緒に就くをえむ。

 予は予自身の性格乃至(ないし)天職が果して何等か物質上の事業に身を容るるを許すや否やを知らず、然れども何等らかの地に於て幾何(いかが)なりとも「自由」を得んとするの希望は遂に虚偽(きょぎ)ならざるを知る。

 予は予の書かむとする世界史、個人自由の消長を語る一の文明史につきて語り、亦、郷校にありし頃の事共を語りぬ。




 啄木は、次の就職口の釧路の新聞社に期待もあったでしょうが、どんどん都落ち感もあったでしょうね。

1906・M39 4月から渋民の小学校で代用教員を始め、月給8円。12月に長女・京子さんが生まれる。

1907・M40 4月末・ストライキを実施して免職され、6月から函館で代用教員をする。月給12円。8月には新聞記者も始める。8月15日の函館大火で、9月に札幌に出た。しばらくして小樽日報の記者になる。3ヶ月で社の内紛があって、退社。その悶々とした日々の中で、まわりの人たちが釧路新聞社を紹介してくれて、翌年の1月に単身赴任をする。

 そんな慌ただしい21歳の年末です。仕事はないけど、希望と理想があって、今はまだその途上である。人に何を言われようと、わりと平気で、好きなことを言い、好きなことを書いていた。短歌は書いていたのでしょうか。




12月27日
 大硯君来り談ず、君も浪人なり、予も浪人なり、共に之天が下に墳墓の地を見出さざる不遇の浪人なり、二人よく世を罵(ののし)る、大(おおい)に罵りて哄笑(こうしょう)屋を揺がさむとす、「歌はざる小樽人」とはこの日大硯君が下したる小樽人の頌辞(しょうじ)なり、淵明(えんめい・中国の詩人)は酒に隠れき、我等は哄笑に隠れむとするか、世を罵るは軈(すべ)て自らを罵るものならざらむや。
 
 読淵明集。感多少(かんずることたしょう)。嗚呼淵明所飲酒(ああ、えんめいいんしゅするところ)。其味遂苦焉(そのあじついににがし)。酔酒酔苦味也(すいしゅはにがみにようなり)。酔余開口哄笑(すいよかいこうしこうしようす)。哄然与号泣(こうぜんとごうきゅうにくみす)、不識孰是真惨(しらずいずくにかこれしんにみじめか)。

 噫、剣を与へよ、然らば予は勇しく戦ふ事を得べし。然らずば孤独を与へよ。
 人は生きんが為に生活す、然ども生活は人をして老いしめ、且つ死せしむるなり。予に剣を与へよ、然らずんば孤独を与へよ。




 この最後の一節。今日の自分に向けたいと思います。「剣を与えよ」そうすれば私は勇ましく戦うだろう。そうじゃなかったら、孤独を与えよ。生活することは生きることだけれど、それは人を死に追いやる。生活など関係なく、私1人だけにさせてくれ。……かっこいいけど、啄木くんも私も無理ですね。私は大事な奥さんや家族がいるし、生活もしなきゃいけないし、孤独は十分孤独です。家族といても、すぐに自分のカラに閉じこもってしまうし、十分孤独です。

 啄木くん「いや、そうじゃなくて……。そういうのは孤独じゃなくて、心を閉ざしているだけで、私のいう孤独はもっと違うものなんですよ」

 私「どこが違うんだよ。同じじゃないの。たくさんの中でも孤独は味わえるよ」

 啄木くん「いえ、もういいです。私はあなたみたいなオッサンは無視して、短歌を作ります。ここで孤独を体現します」

 私「みんなの中でも、パソコンの中でも、ノートの前でも、孤独はあると思うけど……」

 啄木くん「あなたは恵まれているんですよ。何も考えないで日々の仕事をしているんでしょ」

 私「何も考えないって、それなりに工夫して生きているつもりだけど、でも、まあ、あまり緊張感がなく生きているかもしれないね」

 啄木くん「そうです。緊張感です。私なんか、いつも細い糸の上を歩いているようなものなんですよ。それをみんながワイワイはやしたてている。できれば、糸渡りなどやめて、翼でもって飛び上がっていきたいのです」

 私「なんだかそれ、よくわからないなあ」

 啄木くん「そうかもしれません。まあ、私の短歌でも日記でも読んでください!」

と、啄木くんと「孤独」をめぐる会話をしてみました。

★ 自分の知ってる方と、無理矢理会話してみるというのは、自分ではおもしろいです。まあ、凡百の会話だと思われますが、チャレンジするのは楽しいかも……。まあ、自分との対話になるんですけどね。(2015.12.28)


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