甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

白山信仰 山田野白山比神社

2014年05月17日 22時41分00秒 | 俳句や短歌たまには詩
 今日は、ものすごくあたたかな日射しとさわやかな風が吹いていました。もう5月も半ばを過ぎてしまいました。こんなにあたたかで、さわやかなのに、心はもう梅雨の心配をしていて、梅雨になったら毎日雨雲の下の世界にいることになる、というのを何となく想像してしまいます。というか、今のさわやかでステキな感じというのは、仮の姿で、本当の姿は梅雨にやってくるぞ、5月の晴れなんて信用してはいけない! みたいな気分です。どうしたのだろう。

 梅雨になれば、もちろん気分もパッとしないし、アタマもボサボサになり、何もなくても私の髪は元気がないのに、雨の季節になれば1日ペッシャンコの髪で過ごすのだなと思います。沖縄地方はもうずっと前から梅雨に入っていて、天気予報などではいつも梅雨前線の下にあるようです。本州のわれわれも、あと少しで梅雨を実感することになるでしょう。

 ということで、今日のさわやかな日には何もしなかったのです。仕方がないので、何日か前の雨の日に、白山町の比神社(ひめじんじゃ)を訪ねたときのことを書いておきます。

 白山町には、いくつかの比神社というのがあります。確かに「白山」といえば、それは石川県と岐阜県の間の二千メートル級の山であり、山岳信仰の対象の山です。そこが本場であって、三重県には「白山」と呼べるような、いつも雪を頭にいただいている山はありません。

 それなら、どうして三重県に「白山」が生まれたのかというと、ある人が北陸の白山信仰を持ち込もうと、ご神体のようなものを分けてもらって、はるばる三重県まで持ち込んだというのです。休憩か何かをしようとして、少し休んでみたら、そのご神体様は、プィッと入れ物の中から飛び出てしまわれて、7羽のしらさぎになって消えてしまった。それぞれが降り立ったところにお社を作り、神様としておまつりすることになったので、いくつかの神社ができた地域を「白山」信仰の地域として扱うようになり、現在の三重県の白山町につながっています。


 さすが北斎さんです。白鷺も上手に描いてありますね。たいしたもんだ。細部にも手を抜かないのが大事ですね。


 それで、素朴な疑問は、お伊勢さんへの信仰のある伊勢の国に、どうして白山信仰を持ち込もうとしたのか、だれがそんなことを考えたのか、地域として求めていたのか、そもそも白山信仰とは何なのかなど、わからないことがいっぱいです。白山信仰とは、もう少し勉強しないとわからないです。



 とにかく、私の訪ねたのは、山田野という集落の白山比神社で、衰退の危機も乗り越えて、現在もこの集落で守り続けられているお社です。最近になって作られた鳥居やら、集落のおばあさんの百いくつの記念のこま犬など、日々進化しているお社なのだなと思いました。


 そこからもう1つ行きたかった薬師如来さんの所にも行ってみましたが、開帳はされていなくて、とにかくお参りだけしてきましたっけ……。




1 雨上がり 水田空を 写しをり


2 仲良しや 野に咲くアザミ 雨上がり


3 五月雨や 鳥居の向こうの 里の森


4 ムーミンの ニョロニョロみたく 草萌える


5 常夜灯 五月の里の 雨止みぬ



★ 七白山のお社の中で、今のところナンバーワンは川口ひめ神社です。ここは規模といい、社殿といい、なかなか立派です。当時は神社とお寺が一緒の所に存在していて、それは楽しくもありがたい場所だったようです。今の人みたいに、神社は神社であり、お寺はお寺と変な潔癖さに慣れてしまっている私たちですが、日本人が作り上げたものは、そんな狭いものではなくて、神も仏も混在する世界で、それぞれが助け合い、政治権力とも張り合い、宗教そのものが自分たちの力を持ち、人々の中にあったような気がします。

 それを明治になってから、無理矢理にひっぺがして、どれか1つを信じろという、不寛容な宗教ができてしまいましたが、日本の伝統はそうではなかったと思います。

 ということで、山田野のひめ神社がナンバー2で、家城神社はナンバー3かな。私の勝手なランキングです。また変動するかもしれないし、ランキングをつけるというのも、これまた狭隘なこころですね。失礼しました。


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