香港は、またまた締め付けが厳しくなる。中国政府はいくつかの法律を用意して、香港の人々の自由・発言・行動を抑えつけようとしている。アメリカのトランプさんだって、その締め付ける中国政府に対抗する手立てをあれこれ用意しているとかいないとか。さすが自由主義を守るアメリカのトップはたいしたものです!
自由な発言は確保されねばならないし、集会の自由も保障されねばならない。自由主義の国々では、そういう権利は保障されているし、今はたまたま三密禁止ということで、人が集まるのは問題視されるけど、本来は自由にできる、ということになっていました。これが自由のある社会であり、中国では許されてないらしい。
たまたま、アメリカのミネアポリスの一警官が、とんでもないことをしてしまった。その責任は、社会にあるのではなくて、その警察官にあるのだと思われます。けれども、そんなことをしでかしかねない人が警察内部の中にいて、ちょっとしたきっかけで、とんでもないことが起きてしまう。自由な社会も、人間は少し危なっかしいところがあります。
コロナ対策だけでも大変なのに(トランプさんは興味なかった?)、デモが起きたり、略奪が起きたりして、これはちょっとした無政府状態でした。指導者としては、秩序を取り戻すため、軍の導入も考える、というのはあるのかもしれない。州兵というのがどういう組織になっているのか、ちゃんと知らないのに、私があれこれ言えないですけど、ムチャクチャになってるのを抑えなきゃいけない、と考えるのは当然です。
ただ、トランプさんは、格差を認め、経済が好転し、移民は来ないようにし、国内にいる人たちも、実は区別して、自分の支持者のみなさんの権利を拡大する方向だけに動いてなかったかな? 有色系や貧しい人たちの声を聞いてたかというと、それは疑問です。弱者切り捨てをしていて、自分の支持者だけを相手に好きなこと言ったり、書いたりしていた。そんなことが大統領として許されるのが不思議でした。
今回のこと、責任はトランプさんにあるわけではありません。ただ、トランプさんは、支持者でない人たちは切り捨てていた。そこにたくさんの不満のある人たちはいたでしょう。
火事場泥棒はいけない。そういうのがどんどん動画で流されれば、さらに便乗する火事場泥棒も増えるでしょう。コロナ禍でも大変なのに、トランプさんはちゃんと対策を取れたのか、それはわからないけど、あまりたいしたことはしてなくて、とにかく再選されるための作戦を考えている。火事場泥棒もトランプさんも、自分のことしか考えてないのか。何だか寂しいなぁ。
秩序は回復する。暴動許さない。謝って人を殺した警察官はいきすぎだ。中国は自由をないがしろにする国家主義的な国だ(まさにその通りの一党独裁の市場主義なのかな)、すべてその通りだけど、あなたみたいな人が大統領としてどうなの? 大統領としての品格はいらないの?
本人は、あれでも品格はあると思ってるだろうし、自分のやること、言うこと、すべて正しいと思ってやってるんだろうな。
とんでもない大統領を選んでしまったけれど、アメリカには、とりあえず集会の自由、トランプさんに対して文句を言う自由はあります。略奪する自由は許してはならないけれど、それは自由ではなくて、ただの犯罪だしな。でも、集まりたい、なんか騒ぎたい、バカなことしたい人たちもいるでしょう。
1989年、歴史的な節目の年、東西ドイツが秋には一つになり、ソビエト連邦が崩壊し、ルーマニアが大変なことになり、6月には、中国の北京では天安門事件が起きた。
その少し前、人々が集まったところに、戦車が待機して、様子を眺めている場面もあったと思うのです。軍隊にも命令は出ていなくて、あまりにたくさんの人たちが自由を求めて政府に向かってこなければいいがと、軍の幹部も思っていたでしょう。
その頃、ゴルバチョフさんが北京を訪れたり、鄧小平さんが相変わらず権力は握っていたらしいけど、趙紫陽さんとか、胡耀邦さんとか、若者たちの声を聞く指導者もいました。
やがて、趙紫陽さん、胡耀邦さんは失脚し、締め付けが行われ、鄧小平さんの面目丸つぶれで、もう政府としても、穏やかに収めることができないので、多少の犠牲者を出してもいいから、鎮圧させる、そういう命令が出された。
かくして31年間、暗黒の共産党支配は続きました。江沢民さん、習近平さんと指導者は変わったけれど、共産党第一、党の指導で13億の人たちを束ねていく、これは変わっていません。集会をするということは、それは政府への批判につながるから、個々が経済発展を模索するのは奨励されるけれど、政府や党の指導方針を云々することは一切認めなくなりました。ものすごい力と費用をかけて、意見やら自由やら、外交やら、政治に関わることはすべての人が無視するよう指導され、不平不満のある人は厳しく指導されたことでしょう。チェック体制も日々更新され、高度な監視社会を築いてきたと思われます。
2008年のオリンピック、あれは国家の管理のもとで行われたので、異分子はなかったのでしょう。コントロールされた熱狂だったのかな。いや、熱狂してたのかどうか、それさえあやふやです。人々は長く耐えねばならなかった。許された窓は経済だけでした。
2002年のサッカーのワールドカップにおいて、韓国はベスト4に入ります。そりゃ、サッカー先進国だから、地元開催の時、そこまで行けたのは当然かもしれない。そして、人々は、広場に出て、自国の快進撃を心から喜んでいるように見えました。
この写真は、2006年のワールドカップの写真だそうで、この時も韓国は快進撃したんだったかな。とにかく、熱狂的ではありましたし、韓国には人々が集まる広場がありました。
ボクは、少しうらやましかった。2002年の時、日本チームが先に決勝トーナメント進出を決めて、もし韓国が進めなかったら、どうしよう。仲良く進めたらいいのに、と心配してたら、そんな心配ご無用でどんどん勝ち進んでいきました。日本は、1回戦で3位になった(?)トルコにぶつかり、惜敗してしまったけれど、トルシエさんみたいな、実績のない監督さんでよくぞあそこまで持っていったものだと感心しましたっけ。
でも、韓国みたいに広場に集まったか? そこが不安なんです。
日本って、もともと広場に集まって、何かの集会を持つこと、そういうことはしてきませんでした。お正月に皇居での一般参賀というのがあるらしくて、あそこにたくさん集まると思うけれど、何万人もの人が、天皇万歳を叫んでましたっけ? そう叫ぶ人もいるだろうけど、そんなに熱狂は感じないし、エネルギーが出ている気がしませんでした。
日本では、集会は自由でしたっけ? いや、すべて届け出なくちゃいけないし、警察に管理されながら集会するシステムにはなっていると思います。第一、そういう広場がありません。コンサート会場に何万人を動員するイベントはあるけれど、あれも管理されながら、集まり、秩序を持って解散していくのでしょう。
日本では、人々が集まって、そのエネルギーが政治的な色合いを持つことは、上手に抑えられていたのかもしれません。それは中国と同じです。人種差別はないかもしれないけど、格差は広がっているし、爆発的な不平不満はないけど、不公平感はみんなが抱えている。抱えつつも、そんなのは、自己責任ということで、みんなが辛抱させられている。だから、みんな集まって、世の中を変えようなんて思わないのです。
今から50年ほど前の日本、人々が政治に熱狂した時代があったのかもしれません。その時のトラウマが政府関係者にはあったからか、徹底的に管理して、抑えつけて、方向性を持たないようにさせられていると思います。自由な集会はなくなり、散発的な、管理された、動員でどうにか形になる集会しか持てなくなりました。人々は、政治に希望を持たず、何とかしてくれるだろうという漠然とした希望しか持たなくなった。自分たちで社会を変えようなんて、そんなのバカらしい、と片付けてしまっていた。
だから、今の日本に住んでいるほとんどの世代が、政治をテーマに集まり、抗議し、行動しようという考えそのものを持たないようにさせられてきたし、自分でもそういうことを考えるのを忘れていた。何年かごとに国政選挙はあるけど、興味を失っていた。半分以上の人々が、そんなの関係ない。関係のある選挙しかいかない、というふうな社会の雰囲気づくりがなされてきたようです。
最近、ハロウィンが暴徒化するというウワサがあって、政府としても目を光らせていましたっけ。でも、すぐに鎮静化し、秩序を持った烏合の衆にみんななってるけど、たぶん、少しだけ楽しいんでしょう。お祭り騒ぎなんですもんね。東京のテーマパークとか、大阪のUSJとか、ドームの中のライブとか、みんな限定されたところで、何か今までとは違う自分になって、それでストレスを発散させるらしいけど、たくさんの人たちがたまには爆発したいとは思っていて、限定的に一瞬爆発して、それでまた日常に戻るということがあるようです。
政府は、無政府なのはキライだから、いつも自分たちの権限が及んでいるのを見るのが好きで、若い人々が渋谷の町に集まることも、いろんな方法でコントロールして、暴徒化しないように管理しています。
人々のエネルギーって、動き出したら止まらないのは、中国でも、アメリカでも、韓国でも、たぶん北朝鮮でも、ロシアでも、どこも同じです。日本だって、どんなことがきっかけで動き出すのか、それはわかりません。過去には、軍部というところが暴走し、政府が抑えられないということが日本でもあったんですから、私は群衆の怖さを感じます。昔も今も、政府・お偉方って、自分のわがままをしたいから、そこに上り詰めたわけですし、人々は大人しくしてもらいたいのであって、無政府なのだけが困るのです。あの人たち。つまり、烏合の衆ですね。
だから、為政者は、人々をどう抑えつけ、コントロールするか、その力を自分の支持に向けることばかり考えているでしょう。寝ても覚めても、そのことばかりのはずです。
日本では、集会はできません。中国もできません。アメリカは、すぐ不満が爆発します。北朝鮮は、徹底的に管理されているはずです。ロシアは、どうしてみんながプーチンさんを支持するのか、ボクにはわかりません。やはり、秘密警察のソフト版でもあるのかも。
うまくコントロールできていて、いつほころびが出るのか、長い時間の中では、爆発する時もあると思います。それがいつになるかですけど。
でも、烏合の衆になりたがる若者・人々は、どんな社会にもいると思います。うまくコントロールされない時だってあるでしょう。みんなが一つのなって歓喜するのも、何とも言えない喜びがあります。人々はそんな集まりを心のどこかで求めている気がする。
なのに、日本ではもう何十年もそういう人々の気持ちは管理され、押し込められ、不必要なものとされてきました。少し若者たちが暴走したら、非難され、つるし上げられていました。まるで若者たちが秩序を乱す無法者という扱いでした。
もう、そんなことはしないで、自由に何万人も集まって、みんなで何かの方向性を見つけられる社会できないのかな。なかなかムズカシイですけど……。いつもそういうところには扇動者がいて、仕掛人がいる。その人たちに踊らされてるだけなのかもしれない。だったら、やはり烏合の衆ではダメかもしれない。
いや、烏合の衆でもいいから、みんなで何万人も集まって、何かできたら、それはすごいことなんです。そういう広場、日本にはありません。あるとしたら、町に繰り出して、大通りに人垣を作り、練り歩くだけです。そういうチャンス、なかなかないですねえ。その中から、新しいものできないかな。それが私の希望の一つです。