テレビをいっぱい見ました。お昼あたりから、ラグビーとかでずっとテレビを見ていて、とうとう23時半まで見てしまいました。(十時間くらい見たことになるのかな?)
19時あたりは、日本がアイルランドに勝って、うれしかったのだけれど、そこからすぐに路線バスの旅を見てしまい、お風呂に入ったらすぐにお風呂を出て、そこからずっと「ダークナイト」でした。ノンストップテレビでした。
この映画は何回か見ていますが、ほとんど内容は覚えていませんでした(ですから、あとしばらくしたらまた内容は忘れているでしょう。何の意味があってテレビを見ていたのでしょう? もちろん無意味に見ていたのです)。
バットマン役がクリスチャン・ベールという人、警察の本部長にまでなる人がゲイリー・オールドマン、若き検察局の敏腕がやがては悪の道に踏み出してしまう人で、何という役者さんか不明です(アーロン・エッカートという人でした)。あとは大ベテランのマイケル・ケインさんが執事役、モーガン・フリーマンさんが兵器作成係など、役柄はだいたいは知っていました。有名どころがそれなりに出ている映画でした。
この秋、「ジョーカー」というスピンオフ(発展した別話)が作られるくらいに作品の中で光っていたヒース・レジャーさんは、狂気を演じていたと思われますが、少し演技に入り込みすぎたのかな、と今となっては悔やまれます。
あまりに打ち込みすぎて、狂気が自分の身近にありすぎて、まるでジョーカーが日常生活にでも飛び出てきてたりしたのかもしれません。それを抑えるためには睡眠薬の摂取などしかなくて、それが高じてインフルエンザとかも重なり、薬品を大量に摂取するうちに亡くなってしまったということでした。
すごい演技ではあったけれど、自らもそれによって命を削ってしまったのかもしれません。役者が芝居の中で命を落とすというのはある意味本望なのかもしれないけど、何もそんなにまでしなくてもよかったのにと、私なんかは思うのです。本人は本望半分、悩み半分ではなかったのかなあ。
映画の内容は、たくさんの悪い人たちの中から、ただのチンピラだったジョーカーがのし上がり、他の親分たちを押しのけて、犯罪都市のゴッサムシテイで悪名を高めていくというお話で、次から次と人を苦しめるためのアイデアを実現していくお話でした。どちらかというと、バットマンはその攻めてくる悪に防戦一方でした。
今振り返ってみると、コツコツ真面目に悪いことを仕込んでいる場面は全く描かれてなくて、それらが唐突に爆発したりして彼らの悪事が進んでいく。悪い手下もいるはずなんだけど、手下どもはただ弱みを握られているから働くけれど、手足となって働く意味は見出せていなくて、ジョーカーだけが楽しんでいる、というふうに描かれています。
警察、検察、政治家、バットマンなど、みんなの力で取り締まろうとするのに、結局はたくさんの被害者が出て、次から次と人の命を奪う狂気と恐怖だけを売り物にするジョーカーが、最後のところで人々の良心に敗れ、バットマンにも逮捕され、悪の道に引きずり込んだと思われた検察のエースは転落死し、すべての責任はバットマンになすりつけられ、バットマンは日陰者になり、暗闇の騎士(ダークナイト)になる、という形で終わるのでした。
この前のティム・バートン版が好きだった私は、新シリーズのクリストファー・ノーラン版にはついて行けなかったのです。
でも、この作品と次の作品で、見直して、こちらにはこちらの味があるのだと思うようになって、もう何年か(十年くらい)経ちます。
ただそれだけのことで、そこから新しいものや、新しい何かを見つけてはいないのです。でも、この暗闇がテーマになるなんて、魅力を感じてしまいます。
人の暗い部分を拡大して、その大きな暗闇の塊がどんどん大きくなってジョーカーというキャラクターになり、十一年後にとうとうスピンオフが生まれるくらいに私たちの心に残った悪の演技ではあったのです。
と、ここまで書いておいて、明日また書き直しますね。いや、もう今日かな。
★ 私たちの悪の部分はどんどん拡大されています。他人なんかどうでもいいや。自分の国、いや自分に関わるところの利益さえ守られたら、あとはどうなってもいい。困っている所は自助努力で何とかしろ、たぶん、そういうところも何とかなるだろう。自分たちは自分の利益を守る、それが正義だという時代です。
でも、先日の国連総会で若い人たちが、あなたたちが私たちの未来をメチャクチャにしているというメッセージがありました。スウェーデンの女の子の発言でした。
メディアはその真剣さを取り上げ、政治家は何か言っているなあという風に流している。
私は、割と真剣なメッセージなのだから、素直に受け止めて、できるアクションを起こした方がいいとは思うのです。でも、あまりにささやかすぎて、何の広がりもありません。私が小さく考えても何もできやしない。
だからといって、諦めていいわけではなくて、何かしなくてはならないと思うのです。
それで、米国です。「ジョーカー」という映画が公開されるのを前に、警戒態勢が取られているというヤフーニュースがありました。おもしろおかしく取り上げているんでしょう。
おもしろおかしく映画を楽しむ人はいるのでしょう。人の狂気は、現実の世界にはたくさんあふれている。映画も現実も狂気がいっぱいです。
だから、そういう映画を取り締まれ! ではなくて、どうしたらいいのか、自分の心の中に落とし込んでいかなくてはならない。
私たちはいくら正論を聞かされても、そのままでは受け入れられないひねくれた心を毎日の生活の中で育てているのかもしれない。
自分の中の悪、人々の中の狂気は、もとからあったものではないと思うのです。それは長い歳月によって育てられてきたものです。
だったら、それがあるというのをしっかり見つめなきゃいけないし、人はそういうのを抱え過ぎたら、本人もパンクしてしまう事実を思い知らなくてはいけない。