今日、わりと早く帰って来たつもりでしたが、もう日は暮れかけていました。でも、早く梅の実を収穫しなくちゃ、そして、伸びすぎた枝を切らなきゃと焦っていました。
脚立を出して、南側の枝の下にセットしました。そして、一番上に座ってみると、もうあるわあるわ、イヤになるくらい小さい梅の実がありました。取り込む気力もなくなるくらいいっぱいありました。手の届く範囲の梅は収穫したのだけれど、脚立に上ってみると、もう恐ろしいくらい実がついていました。
そして、どんどん夕暮れていきます。そして、せっかちな私は、収穫と同時に、伸びすぎた枝を切りたくて、実を数個手にして袋に入れ、今度はハサミで枝を切り落とし、せわしなく切ったり取ったりしていました。
高い枝を、脚立のてっぺんに立ち上がって切り落とすと、ガサゴソと枝が自分の方に降りかかってきました。ブホブホで、災難続きの右目に、枝の枯れたような小さな破片が入り込みました。
イテテテ、右目をゴシゴシしてみても、痛さは変わらなくて、ひよっとして眼球の上に何かが付着したのかもしれない。でも、しばらくゴシゴシしたら、痛くなくなったので、ああ、ゴミは取れたのだと思って、そのまま収穫作業を暗くなるまでやり続けました。
作業が済んで、家の中に入って手を洗っていたら、右目が充血しているのが気になり、奥さんに見てもらうと、なんと右目の下に黒いものが入っているということでした。
それで、あわてて目薬したり、水をすくって目をパチパチしたり、シャワーを顔にかけたり、何をしても取れないということでした。
それで、奥さんは綿棒を用意して、「上の方を向いてなさい。眼球を動かさないで!」と、すばやく梅の切れっ端のゴミを取り除いてくれた。私は、少しホッとしたものの、小さい災難は続いています。
昔、奈良から京都に行くディーゼル列車の窓を全開にしていたら、鉄のゴミが、これもたぶん右目だったのかに付着して、眼科で拷問のような施術を受けたことがありましたが、あれほどキビシイものではなくて、サッと取ってくれて、すごく嬉しかったけれど、身の不運がつくづくイヤになり、何となくションボリした気分です。
舛添さんも、どうしてあんなになってしまったんでしよう。猪瀬さんといい、2人連続で都知事さんはダウンです(舛添さんはまだ踏みとどまっているけど、時間の問題でしょう)。オリンピックまではやるつもりだった都知事という仕事、もうできないでしょう。
2人ともバカではないのに、私みたいな凡人が見てもダメなことを平気で行い、平気で言い訳し、そのままやれるような気分でいるみたいです。やはり、これは都知事というポストに問題があるのかもしれない。どんなに賢明で、謙虚で、節約家で、控えめな人であっても、都知事というポストについてしまったら、平気で魔が差してしまい、都民のお金という感覚もなくなり、税金でどこかで家族旅行に出ても、自分の選挙戦のことを話し合っても、それはみんな都民のためということになるらしい。
これは、そういうものらしいのです。石原慎太郎さんは特別で、上手にやれる何かを持っていたけれど、成り上がり者の2人には落とし穴が見分けられなかった。
どんな人であっても陥ってしまいがちなワナがあるらしいのです。
さて、それでアシモフさんはどうなったんでしょう?
1941年の「夜来たる」という短編で名をあげ、そのまま突っ走ったようで、デビュー作で地位を築いたということです。
その小説、6つの太陽が輝く惑星ラガッシュというところ、6つも太陽があるので、いつもどこでも太陽に照らされて、夜というものがなかったそうです。有り難いような、少しゾッとするような設定です。
何が起こるのかというと、二千年に一度という日食が起きたというのです。6つある太陽のうち、その時のそらにある太陽のすべてに何かの星がかぶさった。そうなると、夜というものを経験したことがなかったラガッシュは、明かりをつけるという感覚がないし、突然に真っ暗闇になった。
人々はその暗闇におびえ、なんとかしなくてはと、町に火を付け始めた。またたく間に火は広がって、ラガッシュは炎の中に消滅したというお話だそうです。
荒唐無稽で、ある意味おバカな人々の姿が笑えます。これは、悲劇を笑う喜劇なのか、皮肉的な作品なのか、本文を読んでいない私はわかりません。
でも、これは、私たちのストーリーなのだというのはわかります。たまたまラガッシュという星を設定して、状況をわかりやすくさせてありますが、私たちの社会も、このお話と変わりないようもので、他者から見ると笑えるようなことを、次から次とやっているような気がします。
他者としては笑えるけど、ふと振り返ると、それは自分たちのことであった。とんでもないことになっているのに、それに気づかないで太平楽を鳴らし、状況が変わるとパニックになって、とんでもないことをしでかす。まさに私たちの本質という気がします。
三重県の若い人や、ネットの世界では、昨日、南海トラフが地震を引き起こすというウワサが流れていて、かなりの人たちがそうしたうわさに右往左往したり、おもしろがったり、どこどこのガッコーは地震が起こるから休みにしたらしいとか、あり得ない情報が流れていたそうです。
これも、私たちのしでかす愚かしい出来事です。私たちは、もっとやるべきことがあるのに、デマに流され、地位に流され、パニックを起こし、特権を得れば天狗になり、もうつけるクスリはない感じです。
とことんおバカになるしかないんでしょうか。そりゃ、東北、九州・熊本、関東・茨城、日本の西と東が大揺れなら、真ん中が揺れないのはおかしいし、いつかは大地震も起こるでしょう。
でも、それを、シロウトが勝手に変な情報を流してオタオタするのは違うだろうと思います。
だけど、みんなオタオタ、ソワソワしている。私なんか、時間がないから、痛めた右目にゴミまで入れて、バタバタしている。
5月だというのに、とてもいいお天気ではあったのに、何だか落ち着かないのです。明日、がんばりましょう。ゆっくり何かしようと思います。思いつきで行動しないことにします!
脚立を出して、南側の枝の下にセットしました。そして、一番上に座ってみると、もうあるわあるわ、イヤになるくらい小さい梅の実がありました。取り込む気力もなくなるくらいいっぱいありました。手の届く範囲の梅は収穫したのだけれど、脚立に上ってみると、もう恐ろしいくらい実がついていました。
そして、どんどん夕暮れていきます。そして、せっかちな私は、収穫と同時に、伸びすぎた枝を切りたくて、実を数個手にして袋に入れ、今度はハサミで枝を切り落とし、せわしなく切ったり取ったりしていました。
高い枝を、脚立のてっぺんに立ち上がって切り落とすと、ガサゴソと枝が自分の方に降りかかってきました。ブホブホで、災難続きの右目に、枝の枯れたような小さな破片が入り込みました。
イテテテ、右目をゴシゴシしてみても、痛さは変わらなくて、ひよっとして眼球の上に何かが付着したのかもしれない。でも、しばらくゴシゴシしたら、痛くなくなったので、ああ、ゴミは取れたのだと思って、そのまま収穫作業を暗くなるまでやり続けました。
作業が済んで、家の中に入って手を洗っていたら、右目が充血しているのが気になり、奥さんに見てもらうと、なんと右目の下に黒いものが入っているということでした。
それで、あわてて目薬したり、水をすくって目をパチパチしたり、シャワーを顔にかけたり、何をしても取れないということでした。
それで、奥さんは綿棒を用意して、「上の方を向いてなさい。眼球を動かさないで!」と、すばやく梅の切れっ端のゴミを取り除いてくれた。私は、少しホッとしたものの、小さい災難は続いています。
昔、奈良から京都に行くディーゼル列車の窓を全開にしていたら、鉄のゴミが、これもたぶん右目だったのかに付着して、眼科で拷問のような施術を受けたことがありましたが、あれほどキビシイものではなくて、サッと取ってくれて、すごく嬉しかったけれど、身の不運がつくづくイヤになり、何となくションボリした気分です。
舛添さんも、どうしてあんなになってしまったんでしよう。猪瀬さんといい、2人連続で都知事さんはダウンです(舛添さんはまだ踏みとどまっているけど、時間の問題でしょう)。オリンピックまではやるつもりだった都知事という仕事、もうできないでしょう。
2人ともバカではないのに、私みたいな凡人が見てもダメなことを平気で行い、平気で言い訳し、そのままやれるような気分でいるみたいです。やはり、これは都知事というポストに問題があるのかもしれない。どんなに賢明で、謙虚で、節約家で、控えめな人であっても、都知事というポストについてしまったら、平気で魔が差してしまい、都民のお金という感覚もなくなり、税金でどこかで家族旅行に出ても、自分の選挙戦のことを話し合っても、それはみんな都民のためということになるらしい。
これは、そういうものらしいのです。石原慎太郎さんは特別で、上手にやれる何かを持っていたけれど、成り上がり者の2人には落とし穴が見分けられなかった。
どんな人であっても陥ってしまいがちなワナがあるらしいのです。
さて、それでアシモフさんはどうなったんでしょう?
1941年の「夜来たる」という短編で名をあげ、そのまま突っ走ったようで、デビュー作で地位を築いたということです。
その小説、6つの太陽が輝く惑星ラガッシュというところ、6つも太陽があるので、いつもどこでも太陽に照らされて、夜というものがなかったそうです。有り難いような、少しゾッとするような設定です。
何が起こるのかというと、二千年に一度という日食が起きたというのです。6つある太陽のうち、その時のそらにある太陽のすべてに何かの星がかぶさった。そうなると、夜というものを経験したことがなかったラガッシュは、明かりをつけるという感覚がないし、突然に真っ暗闇になった。
人々はその暗闇におびえ、なんとかしなくてはと、町に火を付け始めた。またたく間に火は広がって、ラガッシュは炎の中に消滅したというお話だそうです。
荒唐無稽で、ある意味おバカな人々の姿が笑えます。これは、悲劇を笑う喜劇なのか、皮肉的な作品なのか、本文を読んでいない私はわかりません。
でも、これは、私たちのストーリーなのだというのはわかります。たまたまラガッシュという星を設定して、状況をわかりやすくさせてありますが、私たちの社会も、このお話と変わりないようもので、他者から見ると笑えるようなことを、次から次とやっているような気がします。
他者としては笑えるけど、ふと振り返ると、それは自分たちのことであった。とんでもないことになっているのに、それに気づかないで太平楽を鳴らし、状況が変わるとパニックになって、とんでもないことをしでかす。まさに私たちの本質という気がします。
三重県の若い人や、ネットの世界では、昨日、南海トラフが地震を引き起こすというウワサが流れていて、かなりの人たちがそうしたうわさに右往左往したり、おもしろがったり、どこどこのガッコーは地震が起こるから休みにしたらしいとか、あり得ない情報が流れていたそうです。
これも、私たちのしでかす愚かしい出来事です。私たちは、もっとやるべきことがあるのに、デマに流され、地位に流され、パニックを起こし、特権を得れば天狗になり、もうつけるクスリはない感じです。
とことんおバカになるしかないんでしょうか。そりゃ、東北、九州・熊本、関東・茨城、日本の西と東が大揺れなら、真ん中が揺れないのはおかしいし、いつかは大地震も起こるでしょう。
でも、それを、シロウトが勝手に変な情報を流してオタオタするのは違うだろうと思います。
だけど、みんなオタオタ、ソワソワしている。私なんか、時間がないから、痛めた右目にゴミまで入れて、バタバタしている。
5月だというのに、とてもいいお天気ではあったのに、何だか落ち着かないのです。明日、がんばりましょう。ゆっくり何かしようと思います。思いつきで行動しないことにします!