2年生の9月、学校は文化祭・体育祭すべてが爆発する。けれども、疎外感いっぱいのクラスから離れて、Kは電車に乗って逃避行へ出かけたが、もちろん何も解決策は見つからないのだった。
さかむけと「明日は……」 [1976.9.23 木]
いつもとちょっと遅れて起床。8時ごろ家を出、9時ごろ大阪駅、そして10時20分発園部行き普通に乗った。と書いていくと、これはまさに小学校の作文だ。だから、楽しかった・おもしろかった、というのは幼稚ですからやめます。高校生なら、もっと気楽に、ていねいに書くべきだけど、筆が鈍っていて書けない。
さかむけが激しいので、ところどころにオロナインを塗った。そうすると、エンピツは握りにくい。字を書こうとしても、オロナインが紙についてしまうので、書きにくい。
親不孝息子のこの俺は、孝行であれと祈るが、肝心の、もっとも孝行となる勉強をせず、さかむけを眺め、秋を感じている。また突如、不眠を感じ、空腹を感じ、しかし、いろいろ感じながらもどうすることもできず、オロナインをベタ塗りし、読みかけの本はもう長く閉じたまま、寝ている弟を眺め、父上のお言葉、母上の慈愛を無にする自分を腹立たしく思い、「明日は……」と思っている。いつも「明日は……」と思っている。そして、明日も「明日は……」なのである。
と言ってても、どうにもならないから、中指と親指だけでつかんでいるエンピツを放す。放してもどうにもならない。とにかく、この原稿用紙全部字で埋め尽くすつもりなのだから……。
そこで、詩でも一発書こう、と思ったが、エンピツを放す。
高校2年生は、今までの仲間から切り離された1年であった。もちろん、勉強は不振。生徒会活動からも遠ざかり、「もっと勉強をしなければ」と焦っているのに、何もしない日々であった。
国語では古典で光明が見え始め、世界史では興味が広がりなどしたものの、勉強で自信を得ることはできないKだった。成績も気分も低迷した。1年の時の仲間たちは、それぞれのクラスで活躍しているというのに、自分らしさを出せずにもどかしい気分を抱えていた。
低迷した気持ちでいると、人に対しても弱気になり、何もアクションを起こせなくなるものなのである。Kのあこがれの人・トモコさんは別のクラスにいて、背の高い、無表情に見える彼氏ができたようだった。当然の事ながら、指をくわえて見ているだけのKのところへ転がってくる恋などなかった。
「ああ、またうまくいかなかった。」
アクションを起こさないKには、当然の結果であるにも関わらず、心の整理がつかない。すっかり空白となったKには厳しい実力テストの結果がぴったりで、この暗い気分は修学旅行まで持ち越されてしまうのだった。
実力テストの結果で放心する[1976.10.1 金曜 くもりだった。]
賢くならなアカン! まったくアカン! クラスのT橋くんは、なんと学年で一番!
それに比べてボクは、245番だというのだ。間に244人の差が厳然とあった。何をしてもダメなこのボク、放心しているのです。ボクの心は飛んでいっちまったように、そこにないのでありました。
スポーツをやらしてもヘボをする。文章を書いても「何を書いているのかわからない」の評を受け、どうしようにも解決策がなく、女の子に持てるかというと、持てないし、全く何をしてるんだろうと、自分でも嫌になる。
英文を訳そうとしても、訳せられないし、音楽の笛のお時間も、空しく音符を見て、ここか、ああこっちかと、その流れの速さについていけず、どうしようもなく指を動かさず、最後にプーと吹くだけなのである。いやになるほど下手なのである。どうしようもなく下手だから、やっぱりどうしようもない。
数学の問題を解けといわれても、解くこともできず、国語がいいのかと思ったら、失点多く、余分で無関係なことを答案に書く。このオイラは何をすればいいのか……?
答えは努力、だという。その言葉の響きはとても立派だ。あこがれてしまう。でも、どうしようというのだ。どうしようもないのだ。ただ寝るだけだ。ただ寝る。
ただこのオイラは、眠り続けてやるさ。ただ、こうして安穏に生きるのさ。賢く生きようとすると、理科の先生に軽くあしらわれる。風が吹けば、飛ばされてしまう。
実力テストの成績が悪かったので、かなりいじけた文章をKは書いた。何を甘えたことを書いているのだろう。同級生405人中の245番、あまりほめられたものではないが、かといって、いじけることもない。
けれども、このころは成績の悪いヤツは生きている資格がない、というような価値観をみんなが持っていたので、自分の成績なのに、それをそのまま認めることができず、小さく閉じこもるようなことを書いたのである。
このころ、理系科目も文系科目も、何もかもできなかった。つまり、すべてにおいて努力不足だったのである。
それじゃあ、どうして勉強しなかったのか? 勉強もしないで何か他に打ち込むことがあったのか?
たぶん、勉強もしないで、打ち込むこともなく、ただおもしろおかしく過ぎていけばいいさ、というような気分があったのである。Kなりには、勉強を意識はしていた。しかし、地に足をつけて、どっしり自分のやり方で学んでいこうという持続力がなかった。
自分のスタイルを見つけること、それはとても難しいので、いろんな人のやり方を盗んだら、意外と簡単に身につくことなのかもしれなかった。けれども、変なプライドのあるKには、それができなかったのである。だから、自分だけの能率の悪い方法のままで、能率が上がらないのは当たり前だった。
さかむけと「明日は……」 [1976.9.23 木]
いつもとちょっと遅れて起床。8時ごろ家を出、9時ごろ大阪駅、そして10時20分発園部行き普通に乗った。と書いていくと、これはまさに小学校の作文だ。だから、楽しかった・おもしろかった、というのは幼稚ですからやめます。高校生なら、もっと気楽に、ていねいに書くべきだけど、筆が鈍っていて書けない。
さかむけが激しいので、ところどころにオロナインを塗った。そうすると、エンピツは握りにくい。字を書こうとしても、オロナインが紙についてしまうので、書きにくい。
親不孝息子のこの俺は、孝行であれと祈るが、肝心の、もっとも孝行となる勉強をせず、さかむけを眺め、秋を感じている。また突如、不眠を感じ、空腹を感じ、しかし、いろいろ感じながらもどうすることもできず、オロナインをベタ塗りし、読みかけの本はもう長く閉じたまま、寝ている弟を眺め、父上のお言葉、母上の慈愛を無にする自分を腹立たしく思い、「明日は……」と思っている。いつも「明日は……」と思っている。そして、明日も「明日は……」なのである。
と言ってても、どうにもならないから、中指と親指だけでつかんでいるエンピツを放す。放してもどうにもならない。とにかく、この原稿用紙全部字で埋め尽くすつもりなのだから……。
そこで、詩でも一発書こう、と思ったが、エンピツを放す。
高校2年生は、今までの仲間から切り離された1年であった。もちろん、勉強は不振。生徒会活動からも遠ざかり、「もっと勉強をしなければ」と焦っているのに、何もしない日々であった。
国語では古典で光明が見え始め、世界史では興味が広がりなどしたものの、勉強で自信を得ることはできないKだった。成績も気分も低迷した。1年の時の仲間たちは、それぞれのクラスで活躍しているというのに、自分らしさを出せずにもどかしい気分を抱えていた。
低迷した気持ちでいると、人に対しても弱気になり、何もアクションを起こせなくなるものなのである。Kのあこがれの人・トモコさんは別のクラスにいて、背の高い、無表情に見える彼氏ができたようだった。当然の事ながら、指をくわえて見ているだけのKのところへ転がってくる恋などなかった。
「ああ、またうまくいかなかった。」
アクションを起こさないKには、当然の結果であるにも関わらず、心の整理がつかない。すっかり空白となったKには厳しい実力テストの結果がぴったりで、この暗い気分は修学旅行まで持ち越されてしまうのだった。
実力テストの結果で放心する[1976.10.1 金曜 くもりだった。]
賢くならなアカン! まったくアカン! クラスのT橋くんは、なんと学年で一番!
それに比べてボクは、245番だというのだ。間に244人の差が厳然とあった。何をしてもダメなこのボク、放心しているのです。ボクの心は飛んでいっちまったように、そこにないのでありました。
スポーツをやらしてもヘボをする。文章を書いても「何を書いているのかわからない」の評を受け、どうしようにも解決策がなく、女の子に持てるかというと、持てないし、全く何をしてるんだろうと、自分でも嫌になる。
英文を訳そうとしても、訳せられないし、音楽の笛のお時間も、空しく音符を見て、ここか、ああこっちかと、その流れの速さについていけず、どうしようもなく指を動かさず、最後にプーと吹くだけなのである。いやになるほど下手なのである。どうしようもなく下手だから、やっぱりどうしようもない。
数学の問題を解けといわれても、解くこともできず、国語がいいのかと思ったら、失点多く、余分で無関係なことを答案に書く。このオイラは何をすればいいのか……?
答えは努力、だという。その言葉の響きはとても立派だ。あこがれてしまう。でも、どうしようというのだ。どうしようもないのだ。ただ寝るだけだ。ただ寝る。
ただこのオイラは、眠り続けてやるさ。ただ、こうして安穏に生きるのさ。賢く生きようとすると、理科の先生に軽くあしらわれる。風が吹けば、飛ばされてしまう。
実力テストの成績が悪かったので、かなりいじけた文章をKは書いた。何を甘えたことを書いているのだろう。同級生405人中の245番、あまりほめられたものではないが、かといって、いじけることもない。
けれども、このころは成績の悪いヤツは生きている資格がない、というような価値観をみんなが持っていたので、自分の成績なのに、それをそのまま認めることができず、小さく閉じこもるようなことを書いたのである。
このころ、理系科目も文系科目も、何もかもできなかった。つまり、すべてにおいて努力不足だったのである。
それじゃあ、どうして勉強しなかったのか? 勉強もしないで何か他に打ち込むことがあったのか?
たぶん、勉強もしないで、打ち込むこともなく、ただおもしろおかしく過ぎていけばいいさ、というような気分があったのである。Kなりには、勉強を意識はしていた。しかし、地に足をつけて、どっしり自分のやり方で学んでいこうという持続力がなかった。
自分のスタイルを見つけること、それはとても難しいので、いろんな人のやり方を盗んだら、意外と簡単に身につくことなのかもしれなかった。けれども、変なプライドのあるKには、それができなかったのである。だから、自分だけの能率の悪い方法のままで、能率が上がらないのは当たり前だった。