香川県に友人が1人います。小さい頃は香川県には全く興味が無くて、鳥取と大阪と香川とで小ささ比べなどをして、それでも大阪の方が人口が多いし、香川なんてなんということはないさ! とか何とか思っていました。
まさかここがこんなに、おいしいうどんの街なんて、知りませんでした。
本当に、小さい頃の思い込みなんて、つまらないですし、表面的で、うすっぺらいです。何もわかっちゃいない。でも、この小さいときの思い込みで、人生のかなりの部分を過ごしてしまうわけですから、私たちは、それを大事にしつつも、それだけがすべてではないと、常に慎重にして、いろんなことを吸収しながら、自分というものを育てなくてはいけません。だから、人生って、おもしろく、こわいのだと思います。
だから、オッサンになっても、少しずつではあるけれど、何かしら成長することはあるかもしれません。いや、そうならねばいけません。大人になっても、小さいときの思い込みで、全国中継をしているテレビ画面の中で、その幼児性を執拗に、ネチネチと国民のみなさんに披露して、それでもだれから文句を言われず、非難もされず、裸の王様になっているエライ人がいますけど、私は妻からその話を聞いて、信じられなかったけれど、でも、やっぱりそういう人なのだと改めて確信するやらしましたっけ。国民の皆様は何となく黙っているけれど、本当にこれでいいのでしょうか。それとも、みんなは小さなことだと思っているんでしょうか。
大人なんだったら、社会的な地位があるのなら、ましてや国民の代表というのなら、自らの幼児性と向き合い、なかなか難しいことではありますが、その幼児性・未熟さを改めていく努力のできる人であって欲しい。
それはむなしい願い(もうとっくに天狗になってピノキオになっている)かもしれないので、本来であれば国民がもっと耳と目を大きく開いて、しっかり自分たちの選んだ人の動向をチェックしなくてはいけません。彼らに委任状を渡したわけではありません。おかしいことはおかしいと思わなくちゃ、私たちもおかしくなってしまうのです。
香川県に関して言えば、私はとても見直していて、たくさん行きたいところはあります。けれども、なかなか行けない。何年か前に、母が「小豆島へ行こうよ」と何度も言っていたときに、ホイホイと腰を上げればよかったのに、それができていなかった。すべて私の責任です。
二十数年前、友人の結婚式で香川県に行きました。それ以来、自分の足で香川県を歩いたことがありません。とても残念な気持ちになりました。
どうして突然、そんなことを思ったのか? 例によって、夕方のラジオです。美川憲一さんの「柳ケ瀬ブルース」が鳴っていて、なかなかいいねえと突然思い(モノマネにされる美川憲一さんは頭になくて、ただ歌として聞いていました)、その前に、吉幾三さんの「オラ、こんな村いやだ-」や、石川さゆりさんの「能登半島」とかも聞いてしまいました。それで、ナツメロモードになったんですね。
そうした70年代から80年代の少し前に、1971年の9月からのドラマで「天下御免」というのがありました。金曜の8時からの放映でした。主役の平賀源内には山口崇さん、他は林隆三さん、津坂まさあきさん、仲谷昇さんが田沼意次役で出ていました。杉田玄白役では坂本九ちゃんも出ていました。そうした顔ぶれの皆さんが、香川から江戸へ出て、毎回いろんなドラマを繰り広げていくのです。
ある回では、ドラマの内容はおぼえていませんが、港町にみんなが集まって、何となくノスタルジックな展開がありました。その夜、どこかの港町の場面、流れていたのが「港町シャンソン」という曲でした。当時すでにナツメロになっていました。久しぶりに曲を聴いた私は、何となく心ひかれていた曲を、テレビドラマで本当に久しぶりに聞けて、ものすごく心に焼き付けられました。曲名も知らない、歌っている人たちも知らない。でも、曲だけは知っているということで、もう刻印されたのでした。
それから40年以上経過しています。最近のネット社会のおかげで、阿久悠さんの作詞の「港町シャンソン」ということもつきとめることができました。イントロのオカリナも、なかなかステキで、いつかCDを買おうと思ったまま、現在も手に入れていません。いつか手に入れたいと思います。
「天下御免」のこと、きっといろんな人が書いておられるのだと思います。
もう40年も前のドラマなのに、いまだに私たちのこころを突き動かすなんて、すごいことだと思います。近いうちにまた書きます。
今日は、昔のナツメロが、オッサン心にしみたというのが書きたかったんですね。オッサン心なのか、小さいときの魂がよみがえったのか、それとも、この年になって初めて、「柳ケ瀬ブルース」のよさがわかったというのか、たぶんそれですね。私の成長なんだと思います。昔からずっと好きだった「港町シャンソン」と、2015年に初めてわかったような気がした「柳ケ瀬ブルース」この2つを併存させられるというのが大人じゃないですか。
まさかここがこんなに、おいしいうどんの街なんて、知りませんでした。
本当に、小さい頃の思い込みなんて、つまらないですし、表面的で、うすっぺらいです。何もわかっちゃいない。でも、この小さいときの思い込みで、人生のかなりの部分を過ごしてしまうわけですから、私たちは、それを大事にしつつも、それだけがすべてではないと、常に慎重にして、いろんなことを吸収しながら、自分というものを育てなくてはいけません。だから、人生って、おもしろく、こわいのだと思います。
だから、オッサンになっても、少しずつではあるけれど、何かしら成長することはあるかもしれません。いや、そうならねばいけません。大人になっても、小さいときの思い込みで、全国中継をしているテレビ画面の中で、その幼児性を執拗に、ネチネチと国民のみなさんに披露して、それでもだれから文句を言われず、非難もされず、裸の王様になっているエライ人がいますけど、私は妻からその話を聞いて、信じられなかったけれど、でも、やっぱりそういう人なのだと改めて確信するやらしましたっけ。国民の皆様は何となく黙っているけれど、本当にこれでいいのでしょうか。それとも、みんなは小さなことだと思っているんでしょうか。
大人なんだったら、社会的な地位があるのなら、ましてや国民の代表というのなら、自らの幼児性と向き合い、なかなか難しいことではありますが、その幼児性・未熟さを改めていく努力のできる人であって欲しい。
それはむなしい願い(もうとっくに天狗になってピノキオになっている)かもしれないので、本来であれば国民がもっと耳と目を大きく開いて、しっかり自分たちの選んだ人の動向をチェックしなくてはいけません。彼らに委任状を渡したわけではありません。おかしいことはおかしいと思わなくちゃ、私たちもおかしくなってしまうのです。
香川県に関して言えば、私はとても見直していて、たくさん行きたいところはあります。けれども、なかなか行けない。何年か前に、母が「小豆島へ行こうよ」と何度も言っていたときに、ホイホイと腰を上げればよかったのに、それができていなかった。すべて私の責任です。
二十数年前、友人の結婚式で香川県に行きました。それ以来、自分の足で香川県を歩いたことがありません。とても残念な気持ちになりました。
どうして突然、そんなことを思ったのか? 例によって、夕方のラジオです。美川憲一さんの「柳ケ瀬ブルース」が鳴っていて、なかなかいいねえと突然思い(モノマネにされる美川憲一さんは頭になくて、ただ歌として聞いていました)、その前に、吉幾三さんの「オラ、こんな村いやだ-」や、石川さゆりさんの「能登半島」とかも聞いてしまいました。それで、ナツメロモードになったんですね。
そうした70年代から80年代の少し前に、1971年の9月からのドラマで「天下御免」というのがありました。金曜の8時からの放映でした。主役の平賀源内には山口崇さん、他は林隆三さん、津坂まさあきさん、仲谷昇さんが田沼意次役で出ていました。杉田玄白役では坂本九ちゃんも出ていました。そうした顔ぶれの皆さんが、香川から江戸へ出て、毎回いろんなドラマを繰り広げていくのです。
ある回では、ドラマの内容はおぼえていませんが、港町にみんなが集まって、何となくノスタルジックな展開がありました。その夜、どこかの港町の場面、流れていたのが「港町シャンソン」という曲でした。当時すでにナツメロになっていました。久しぶりに曲を聴いた私は、何となく心ひかれていた曲を、テレビドラマで本当に久しぶりに聞けて、ものすごく心に焼き付けられました。曲名も知らない、歌っている人たちも知らない。でも、曲だけは知っているということで、もう刻印されたのでした。
それから40年以上経過しています。最近のネット社会のおかげで、阿久悠さんの作詞の「港町シャンソン」ということもつきとめることができました。イントロのオカリナも、なかなかステキで、いつかCDを買おうと思ったまま、現在も手に入れていません。いつか手に入れたいと思います。
「天下御免」のこと、きっといろんな人が書いておられるのだと思います。
もう40年も前のドラマなのに、いまだに私たちのこころを突き動かすなんて、すごいことだと思います。近いうちにまた書きます。
今日は、昔のナツメロが、オッサン心にしみたというのが書きたかったんですね。オッサン心なのか、小さいときの魂がよみがえったのか、それとも、この年になって初めて、「柳ケ瀬ブルース」のよさがわかったというのか、たぶんそれですね。私の成長なんだと思います。昔からずっと好きだった「港町シャンソン」と、2015年に初めてわかったような気がした「柳ケ瀬ブルース」この2つを併存させられるというのが大人じゃないですか。