「ぞうさん」の歌でおなじみの、まどみちおさんという詩人がいました。シンプルで深い内容のうたをつくられる方で、たくさんの子どもたちや、大人のみなさんも歌ったことでしょう。
私は、そんなに強い印象は持っていなくて、もっと古い歌の、北原白秋とか、大正ロマン系の歌なんかが好きなのではないかという気がします。でも、たぶんどこかでお世話になっているんでしょう。平気な顔をしてオッサンになっていますが、そうなるにはそれなりの道を経てきたのだと思います。
うちの子は、あまり歌わない子だったようで、好きな番組のテーマソングなどはすぐに憶えてしまうのに、自分から進んで歌うということはなかったようです。
そんなうちの子が唯一口ずさんだ歌が、ぺんぎんちゃんの歌でした。
空からステッキ、お帽子が落ちてきて、ぺんぎんちゃんは、そのままノソノソ歩いていった、というのをゴニョゴニョ、楽しそうに歌っていたそうです。
妻は、珍しいこともあるものだといくつかのフレーズを憶えていて、それからあっという間に20年が経過して、本人はそんなことがあったというのも忘れ、妻はいくつかのフレーズは憶えていたものの、メロディがわからないので、ペンギンの歌を歌っていたとしか知りませんでした。
昨日、夕方、たまたま奥さんとお買い物に行き、そこでまどみちおさんの作品がたくさん流れていて、その何曲目かにペンギンの歌が流れるというのです。
私たちは、ドラッグストアにクルマを止めて、その曲がかかるのを息を止めて待っていました。
そうしたら、朗らかな感じの、少しおどけたメロデイで、ぺんぎんちゃんが「サンキユー」といいながら歩いて行く姿まで思い浮かべることができて、うちのこの小さい時にタイムスリップできたようなうれしさを味わいました。
うちの子との楽しい一時がよみがえったのかもしれません。現実は続きます。でも、簡単に私たちは過去に戻ることができます。何も大仕掛けをしてもらわなくても、ほんのひととき、ほんの一瞬何かを聞かせてもらえたり、昔の人に出会えたり、何かを見せられたりしたら、スッと戻ることができました。
前に向かっているうちの子には、何をノスタルジーに浸っているの? ということになるのかもしれませんが、私たちには、貴重で、有り難く、しかもまどみちおさんの作品を気に入っていたという事実がかわいらしく、胸打たれたのでした。
ああ、この感動を、うちの子に伝えなきゃいけませんね。私たちこそ、「サンキユー」と言わなきゃいけない。
私は、そんなに強い印象は持っていなくて、もっと古い歌の、北原白秋とか、大正ロマン系の歌なんかが好きなのではないかという気がします。でも、たぶんどこかでお世話になっているんでしょう。平気な顔をしてオッサンになっていますが、そうなるにはそれなりの道を経てきたのだと思います。
うちの子は、あまり歌わない子だったようで、好きな番組のテーマソングなどはすぐに憶えてしまうのに、自分から進んで歌うということはなかったようです。
そんなうちの子が唯一口ずさんだ歌が、ぺんぎんちゃんの歌でした。
空からステッキ、お帽子が落ちてきて、ぺんぎんちゃんは、そのままノソノソ歩いていった、というのをゴニョゴニョ、楽しそうに歌っていたそうです。
妻は、珍しいこともあるものだといくつかのフレーズを憶えていて、それからあっという間に20年が経過して、本人はそんなことがあったというのも忘れ、妻はいくつかのフレーズは憶えていたものの、メロディがわからないので、ペンギンの歌を歌っていたとしか知りませんでした。
昨日、夕方、たまたま奥さんとお買い物に行き、そこでまどみちおさんの作品がたくさん流れていて、その何曲目かにペンギンの歌が流れるというのです。
私たちは、ドラッグストアにクルマを止めて、その曲がかかるのを息を止めて待っていました。
そうしたら、朗らかな感じの、少しおどけたメロデイで、ぺんぎんちゃんが「サンキユー」といいながら歩いて行く姿まで思い浮かべることができて、うちのこの小さい時にタイムスリップできたようなうれしさを味わいました。
うちの子との楽しい一時がよみがえったのかもしれません。現実は続きます。でも、簡単に私たちは過去に戻ることができます。何も大仕掛けをしてもらわなくても、ほんのひととき、ほんの一瞬何かを聞かせてもらえたり、昔の人に出会えたり、何かを見せられたりしたら、スッと戻ることができました。
前に向かっているうちの子には、何をノスタルジーに浸っているの? ということになるのかもしれませんが、私たちには、貴重で、有り難く、しかもまどみちおさんの作品を気に入っていたという事実がかわいらしく、胸打たれたのでした。
ああ、この感動を、うちの子に伝えなきゃいけませんね。私たちこそ、「サンキユー」と言わなきゃいけない。