お休みなので、もっと寝ていたらいいのに、目が覚めてトイレに行き、二度寝しようとフトンに入ったら、どういうわけか父母のことを思い出しました。たぶん、二度寝をしたのだと思います。
「ああ、何だかいっぱい二度寝した」と、時計を見ると15分くらいしか経っていませんでした。
というわけで、今見た夢を打ち込んでみようとしています。……私が起きてしまったので、ということはカチャカチャうるさいし、大きなクシャミはするし、余計な雑音を立てるので、妻は「お父さんが起きると寝てられない」と起きてしまいました。申し訳なかったです。
父母のことですが、たいていは亡くなった父のことをメインに書きたくて、こういう項目を作りました。でも、今朝は母がメインです。
母は、父と9つ年が離れていて、いつも私たち同級生夫婦に対して言っていました。
「私は、お父さんの面倒を見られるけれど、あんたたちは同じように年を取るから、お互いの面倒を見られなくなるかもしれないね」と。
だから同級生夫婦はダメだという結論ではなく、だがら今すぐ別れろという提案でもなく、ただ自分たち夫婦のメリットを改めて強調し、それに比べて長男夫婦はいい組み合わせではないという詠嘆でしょうか。まあ、余計なお世話です。
私が好きでもらった奥さんに対して、ものすごく失礼な発言です。本当なら、「何を言うとんじゃ。そんなこと言うてもどうにもならんやろがー」と怒らなきゃいけない場面だったかもしれない。でも、母には言いたいだけ言わせてあげようという私は、「ふーん」と黙って聞き流すのでした。妻も何だかイヤな感じと思って聞いていました。
「そうかもしれないけど、それはそれでいいやん」と思いつつ、口に出しては言わず、黙っています。私は、同級生の妻が、ダメ夫の私を支えてくれて、何とか今につながっていて、それはもう感謝感激雨アラレです。妻は、誰かのうしろをついて行くというより(そういうのにあこがれはあったかもしれませんが)、一緒にモタモタ生きていくのが合っていたのかもしれない。とにかく、私は年々変で無口なオッサンになってますが、一緒に年を取ってきたつもりです。
だから、母がつまらない夫婦観を述べても、それは母の価値観であり、私たちは違うと思っています。一緒に年を取って、私がレロレロになっても、お互いにそれなりに助け合っていくのです。
母は、自らが宣言していたように、父のお世話をしてあげて、半年ほどの闘病生活の間、ずっと支え続けてあげました。父が亡くなる2月前のナツの間、朝から晩まで、寝ている間も、起きている間も、介護用ベッドの横で父を感じていたことでしょう。
父は、自分のしんどさは仕方がないけれど、こうして自分の家で、必要最小限の介護と治療を受け、母にあたたかくお世話をされ、昔のように自由に動き回れないけれど、とにかく今、自分は妻と一緒にここにいるというのを感じたことでしょう。何しろ父の生活のすべてを母がしてくれなきゃいけないのです。自分は「うん」とか「うううん」とか言うだけだし、あまりおしゃべりもしたくないし、しんどかったのです。
とても濃厚なナツが過ぎて、父はふたたび病院へ入り、どんどんしんどくなっていったのでした。
父はしんどかったでしょうけど、母との最後の2人だけの時間が過ごせてよかっただろうなと、今朝改めて思いました。
後から振り返ると、とても濃密で、他人から見ると、それは大変なことでしかないけれど、本人たちには、充実したお互いを感じられる、大変だけど楽しい時間ではなかったか?! と思ったら、目が覚めました。
何だか理屈くさい夢ですね。母が枕元で私の夢をコントロールしていたんじゃないの? というような母サイドの夢でした。それを書こうとするなんて、悪趣味かもしれない。
とにかく、父母を寝ながら感じたので、子どもとしてはうれしい夢だったので、書いておこうと思いました。今、母はカゴシマにいます。ゴールデンウイークに父をみんなでカゴシマに眠らせてあげようという計画のため、毎日その準備に追われています。私ももうしばらくしたら行かなきゃいけない。ブログが書けないのが残念だけど、親孝行のためには仕方がないかと、しばらく書かないことにします。
そういえば、先日の四天王寺の古本市では、帰りに昔、父母と私たち夫婦で歩いた勝鬘院にも行きました。人生二度目の勝まん院でしたけど、やはり父母の影を追い求めていたのだと思います。自然とそうなってしまうので、困ってしまいます。もっと独立独歩でいきたいです。でも、せいぜい父母のことも考えてあげたい。それでどっちつかずになってしまう私です。
「ああ、何だかいっぱい二度寝した」と、時計を見ると15分くらいしか経っていませんでした。
というわけで、今見た夢を打ち込んでみようとしています。……私が起きてしまったので、ということはカチャカチャうるさいし、大きなクシャミはするし、余計な雑音を立てるので、妻は「お父さんが起きると寝てられない」と起きてしまいました。申し訳なかったです。
父母のことですが、たいていは亡くなった父のことをメインに書きたくて、こういう項目を作りました。でも、今朝は母がメインです。
母は、父と9つ年が離れていて、いつも私たち同級生夫婦に対して言っていました。
「私は、お父さんの面倒を見られるけれど、あんたたちは同じように年を取るから、お互いの面倒を見られなくなるかもしれないね」と。
だから同級生夫婦はダメだという結論ではなく、だがら今すぐ別れろという提案でもなく、ただ自分たち夫婦のメリットを改めて強調し、それに比べて長男夫婦はいい組み合わせではないという詠嘆でしょうか。まあ、余計なお世話です。
私が好きでもらった奥さんに対して、ものすごく失礼な発言です。本当なら、「何を言うとんじゃ。そんなこと言うてもどうにもならんやろがー」と怒らなきゃいけない場面だったかもしれない。でも、母には言いたいだけ言わせてあげようという私は、「ふーん」と黙って聞き流すのでした。妻も何だかイヤな感じと思って聞いていました。
「そうかもしれないけど、それはそれでいいやん」と思いつつ、口に出しては言わず、黙っています。私は、同級生の妻が、ダメ夫の私を支えてくれて、何とか今につながっていて、それはもう感謝感激雨アラレです。妻は、誰かのうしろをついて行くというより(そういうのにあこがれはあったかもしれませんが)、一緒にモタモタ生きていくのが合っていたのかもしれない。とにかく、私は年々変で無口なオッサンになってますが、一緒に年を取ってきたつもりです。
だから、母がつまらない夫婦観を述べても、それは母の価値観であり、私たちは違うと思っています。一緒に年を取って、私がレロレロになっても、お互いにそれなりに助け合っていくのです。
母は、自らが宣言していたように、父のお世話をしてあげて、半年ほどの闘病生活の間、ずっと支え続けてあげました。父が亡くなる2月前のナツの間、朝から晩まで、寝ている間も、起きている間も、介護用ベッドの横で父を感じていたことでしょう。
父は、自分のしんどさは仕方がないけれど、こうして自分の家で、必要最小限の介護と治療を受け、母にあたたかくお世話をされ、昔のように自由に動き回れないけれど、とにかく今、自分は妻と一緒にここにいるというのを感じたことでしょう。何しろ父の生活のすべてを母がしてくれなきゃいけないのです。自分は「うん」とか「うううん」とか言うだけだし、あまりおしゃべりもしたくないし、しんどかったのです。
とても濃厚なナツが過ぎて、父はふたたび病院へ入り、どんどんしんどくなっていったのでした。
父はしんどかったでしょうけど、母との最後の2人だけの時間が過ごせてよかっただろうなと、今朝改めて思いました。
後から振り返ると、とても濃密で、他人から見ると、それは大変なことでしかないけれど、本人たちには、充実したお互いを感じられる、大変だけど楽しい時間ではなかったか?! と思ったら、目が覚めました。
何だか理屈くさい夢ですね。母が枕元で私の夢をコントロールしていたんじゃないの? というような母サイドの夢でした。それを書こうとするなんて、悪趣味かもしれない。
とにかく、父母を寝ながら感じたので、子どもとしてはうれしい夢だったので、書いておこうと思いました。今、母はカゴシマにいます。ゴールデンウイークに父をみんなでカゴシマに眠らせてあげようという計画のため、毎日その準備に追われています。私ももうしばらくしたら行かなきゃいけない。ブログが書けないのが残念だけど、親孝行のためには仕方がないかと、しばらく書かないことにします。
そういえば、先日の四天王寺の古本市では、帰りに昔、父母と私たち夫婦で歩いた勝鬘院にも行きました。人生二度目の勝まん院でしたけど、やはり父母の影を追い求めていたのだと思います。自然とそうなってしまうので、困ってしまいます。もっと独立独歩でいきたいです。でも、せいぜい父母のことも考えてあげたい。それでどっちつかずになってしまう私です。