この赤い扉と黒い壁、うちの母の好みの配色ですけど、こうした倉庫が何棟か建っています。
昔は、私立の博物館でしたが、建てた財団が管理しきれなくて、鳥羽市に移管した博物館でした。おそらく、貴重な資料もあるのだと思われます。けれども、たいていは雑然と置かれていて、展示もそんなに変えられなくて、いろいろと古びてはきているはずです。
せっかく珍しい博物館があるのに、建てた側も見る方もうまく利用できていない感じがします。
海と私たちの関連性というのは、ものすごくあるし、どこかの研究機関とか、どこかの財団と連携して、こんな展示・あんな展示とできたら、もっと今ある資料を生かせるはずですが、残念ながら、そんなことは望めないんでしょう。地道に今あるものを展示していく。
でも、だったらこの環境に踏み込んでいかなくてはなりません。
お客さんは、パールロードのくねくね道を走ってきています。道はあまり余裕がなくて、少し開けた海が見えそうなところは、お店ができていて、そこに入るしか海は見せてもらえない。そこを出たらまたウネウネです。
何だかセコイというのか、必死になって金儲けしている感じがします。都会の人はそういうのにウンザリするでしょう。逆にお店の駐車場だけど、何だよつまらないものばかり売ってとか、何だよこの貧乏くさい店はよとか、悪態をつく人だっているでしょうか。
私、近ごろ人間不信かなあ。他人と見ると、文句ばかりいってる姿しか想像できない感じです。人が楽しく過ごしてるの、見たことあるかな? 見ても見ないフリかなぁ?
建物の中でカツオの一本釣りしてるの? と見たら、お人形でした。そりゃね、人形に決まってましたね。お客さんがいる所を海に見立てて、わざと建物の真ん中に船が浮かんでるようにしてるんじゃないですか。
いろんな漁法、いろんな人と海との関わり。伊勢志摩だから、海女さんの映像、1回50秒で海に潜り、サッとアワビとサザエ・ウニなんかをかき集めてくる様子などを見せてもらいました。実演よりも実際にオモリを握って水圧に耐えてる姿、大変だなと感心しました。などを泳げない私には、とてもしんどいことのように見えたけれど、きっとしんどいはずですけど、でも、そこに海があって、多くの女性がそういう仕事をしていたら、私もやってみようかとなるのは自然なことでした。それくらい豊かな海がそこにあったんでしょう。
南の島のカラフルな船の展示やら、たくさんの船を並べた倉庫やら、潜水のお仕事やら、今までの海の仕事の展示がしてありました。未来へつながる展示はそんなになかったかもしれません。
特別展示で、伊勢志摩の古き時代のお土産品がズラリと並べられている倉庫がありました。海女人形という貝と真珠で作ったように見える人魚さんみたいなお土産。昔の人は「おお、これが伊勢志摩の土産かあ。〇〇ちゃんに買ってやろう」と買い求めたんですね。もらった方も、何か可愛らしいと、机の上などに飾ったでしょうか。
そうでした。うちの実家には父が作った土産品収納のガラスケースもありました。父があちらこちらに行ったりしたら、そこに一つずつお土産人形みたいなのを置いて行ったんでした。それが家族の歴史でもあったんですね。
ガラスケースに、いつか自分たち兄弟も入れられる何かをどこかで買おうと思ったんだったかな。弟が郷土玩具に凝って、デパートで買い始めたら、いくつかそこに並んでいる時がありました。
あのお人形さんたち、みんな母に捨てられてしまったでしょうか。母は、わりとそんなのこだわりはありませんでしたね。
そういう旅がありました。夏も終わりです。いや、今年もこんなにして終わっていくでしょう。何かいいことあったかなあ。
まあ、こうして毎日ブログ書いているのがしあわせでしょうか。あまりに幸せすぎて、幸せがわからないのかもしれない。もっと苦しい思いをしなくちゃね。でも、苦しいのはイヤだしな。まあ、特に何もなくていいです!