私は今日生まれました。何十年も昔です。
母は私がおなかでプカプカしている時に破水したということでした。
「あらまあ、そしたら、お風呂に入って来なきゃ」と、きれい好きの母は思ったそうです。近所の温泉に行ってから、いそいそと病院に向かったそうです。
二十年くらい前には、その病院の跡もあったみたいで、その時は父と母と三人で指宿の町を歩いていて、「あんたはここで生まれたんやで」とかいうのを聞かされたんでしたね。
自分が生まれた病院なんて、特にこだわりもなかったけれど、何を言われても「ああ、そうだったんだ」と思うだけで、コメントできなかった。
ただ「へーっ」と声を上げるしかありませんでした。生まれるというのは、自分で決められないことで、与えられた命を受け入れることから始まるんでしたね。
この世に出て来る前にお風呂に入れられて、苦しかったのか、この世に出てきたらじっと息を止めたまんまだったそうです。ホンギャーが言えなかったらしい。
そういうことはよくあることなのか、お医者さんは両足を持って飲み込んでる羊水を吐き出させて、それから息を吹き返して、私は生まれることができた。
しばらくは生きてなかったから、脳細胞はその時にいくつか死んだのではないの? と、今につながるボケは人生のスタートからあったのだと奥さんは言います。
まさか、そんなことはないと思うけど、まあ、少しぐらいボケたっていいや、生きてさえいれば、何とかなるだろうという感じですか。
そして今に至ります。
いつも誕生日は哀しい日でした。今も同じです。八月の終わりに生まれ、八月が終わるたびに誕生日だねと家族は言ってくれますけど、別にナツの王様ではないけれど、ナツが終わるのは自分の時代が終わるみたいな、終末観と祝祭感を味わうわけなんですけど、「終わってしまうんだな」という気持ちの方が強いんです。
もっと何気なく誕生日を迎え、何気なく次の日になれたらいいのに、何だか心が波立つんです。
そんなこと言ってないで、また夕方には母に電話しましょう。お酒は飲みすぎないようにしましょう。運動もしたいですけど、夜も暑いなあ。おなかも食べ過ぎでポコポコだから、少しは腹筋運動もしなくちゃな。
やれないことはいっぱいあります。やれることもあるかもしれない。でも、なるべくまわりに声掛けしながら、今日を過ごしたいと思います。とか言いつつ、何にもしないんですよ。反省して、ちゃんとするようにします!