天津佳之著「尊氏と正成・利生の人」を読んで、私の心に残った一番は尊氏と正成が初めて会見した場面です。
お互いに多くを語りませんが、お互いの胸の内を組んで静かに盃を酌み交わします。
「利生」人が生きる甲斐のある世にする。
これが二人の希望、胸の内です。(人のつつがない生を敬い、人々が生き甲斐の中で懸命に生きるさまを美しいと思い
愛おしんできたこと。)そんな世の中にするために、自身の利害を捨てて戦っているのです。
正成が言います。「赤坂、千早と城に籠る時に用意していた糧食が有ります。食は貧しくとも幸せを嚙み締められるものをと
工夫しておりました。我らは「焼き飯」と呼んでおります。
尊氏に鍋と薪を所望します。
「玄米を炒り申す。焦がさぬようゆっくりと、丁寧に」
「飯役は、皆が交代で務めます。私も含めて全員で、持ちまわりで」
「皆の命をつなぐ飯を作るゆえ、これは軍中でもっとも大切な役目ですから」
「誰もが、この役を務めます。傷を負っていようと、この役目は徒や疎かにはできません」
「明日も、この飯を食べるのです。次の日も、その次の日も毎日」
「皆が、明日の皆を生かすために、役割を果たすのです。」
尊氏「・・・・命を、支えるお役目を、皆で」
この焼き飯は、四半刻炒らねばなりません。
一刻は(いっとき)約2時間 半刻は(はんとき)約1時間 四半刻は(しはんとき)約30分
玄米をフライパンに入れて、ガスを一番弱くして炒ってみました。ゆっくりゆっくりと~
10分も経つと疲れて、椅子を持ってきて座って混ぜます。
待ちきれなくて火も少し強めにしました。
30分も経つと、米が爆ぜて白い花が咲く筈なのですが、焦げ色が強くなって火を止めました。
食べてみると、硬くて焦げたせんべいを食べてるみたいです。歯が立ちません。完全に失敗です。(申し訳ないが雀の餌にします)
私の作った焼き米は花が咲きませんでした。
焦げるのを心配して、途中でやめてしまった。でも30分以上は炒りました。1~2個は小さな花が咲きました。
「米がおどりだしますぞ」正成の声が弾んだ。
最初はひとつ、ふたつ。炒り米がひとりでにとび跳ね始める。
「こうして深く炒っておけば、生米より多くの水を吸って大きく膨らむのです。」
炒った米を一晩水に浸けて焚くのです。二合もあれば出来上がる焼き飯は一升にもなるという。
この焼き飯を二人で食べる描写、静かな余韻が何とも言えず胸を打ちます。
この二人、後醍醐天皇や側近の公家たちによって、敵味方になります。
最後まで、敗けると判っても節を曲げず、天皇方についた正成は家臣と共に切腹します。
その場所に、炒った米が残っていました。明日を信じて家臣と炒っていたのでしょう。もののふの生きざまです。
何べんも読み返したくなる本ですし、息子や孫たちに進めたい一冊です。