“fool,yeah!”さんの最新記事を見たが、ありゃダメだ。
全然、答えになってない。
恐らく、また香月車楽さんがネタに使うぞ。
そりゃ法華講員は折伏してるさ。
盲信100パーながら、“fool,yeah!”さんもやってる感出てるしね。
ただ、同じ盲信系ながら、坂井久美子さんと違って成果が出ているようには見受けられないがね。
坂井さんはまだいい。
それなりの成果は出ているようだし、最後の食べログ部分が微笑ましい。
同じ盲信系でも男性と女性では違うという典型的な例なのかもしれないが、まだ坂井さんの方は余裕を感じられるから、無宗派の私もある程度は安心して読めるというものだ。
下種さえしていれば良いというものではない、ということは元顕なら誰でも分かっているはずだ。
“fool,yeah!”さん、坊さんが率先して折伏していないのは本当だよ。
あなたこそ何を見てるんだ。
山内折伏は本来、坊さんの仕事だと思う。
それを信徒が勝手に取ったから坊さんのやることが無くなり、結果的に顕正会や創価学会にバカにされてるんじゃないか。
だいたい、「御住職」なんだからお寺にいるのは当たり前。
でも大石寺はいくつもの宿坊に分かれているとはいえ、全体が1つの大石寺というお寺だ。
その境内においては、お坊さんの権限が強いのは当たり前。
ならば本来、大石寺の境内で折伏を行うのは坊さんの仕事である。
宿坊の盲信信徒がヒマ潰しにやるようなものじゃないんだよ。
トチロ〜さんだって、大石寺のお坊さんに直接折伏されたのが御受誡のきっかけだった。
もしあれが盲信信徒だったら、そもそも相手にもしなかっただろう。
そういうことなんだ。
信徒が布教活動やっても、あんまり有難みが無い。
そりゃ在家しかいない顕正会なら致し方ないだろう。
でも、折伏やらなきゃいかんのは宗規のどこかにでも書いてあったかな?
やっぱり、功徳だろうな。
功徳溢れる信徒が折伏してきたら、そりゃされる方は圧倒されるだろう。
その勢いで、そのまま御受誡しちゃうかもしれんね。
でも何故か、功徳溢れて富豪にまでなった信徒は折伏をしなくなるんだな。
幸せのおすそ分けなどしたくないってことかね。
顕正会と法華講員の体験発表を聴き比べてもらいたい。
但し、盲信信徒は恐らく気づかないだろう。
顕正会員の体験発表に対して、穿った見方しかできないから。
誰の為に今後も活動するか?だ。
顕正会員は簡単。
無二の師匠、浅井先生の為だね。
法華講員はどうか?
締めの言葉に一貫性は無い。
だが、大抵は自分の為に幸せになるような書き方になっている。
無論、それが間違っているわけではない。
まず、自分が幸せにならないで、他人を幸せにできるわけがないからだ。
これは香月車楽さんも主張されているところ。
でも、そこで体験発表は終わっていることが多い。
あとはせいぜい、広宣流布にまい進致しますってところか。
具体的な目標が無いんだよね。
広宣流布が目標なのは結構だが、大風呂敷過ぎてピンと来ないのが私のような不良信徒だった。
私の場合、恥ずかしながら告白すると、当時お世話になっていた男子部第6隊全員をバス数台分で大石寺へ送り込むのが目標だった。
近所のバス会社に、バスの値段を聞きに行ったくらいだ。
これだって結局は大風呂敷だったが、でも目標として十分だろう?
少なくとも、広宣流布という四字熟語よりはピンと来るものだと思う。
ダラダラと少し長くなったが、あれでも幸せな方なのかな。
盲信者になれば、他の些末なことなど気にせずに過ごせるという意味では幸せなのかもしれない。
私はそういう形の幸せは嫌だがね。
もっと多角的な見方ができる幸せを掴みたい。
二兎を追う者は一兎をも得ず、とはいうが、では三兎なら捕まえられるだろう。
男に二言は無いのだが、三言はある。
屁理屈だって?でも、そういう見方ができるようにはなれたね。
これも実は顕正会だけでなく、日蓮正宗で見出したものだ。
それについては感謝してる。
全然、答えになってない。
恐らく、また香月車楽さんがネタに使うぞ。
そりゃ法華講員は折伏してるさ。
盲信100パーながら、“fool,yeah!”さんもやってる感出てるしね。
ただ、同じ盲信系ながら、坂井久美子さんと違って成果が出ているようには見受けられないがね。
坂井さんはまだいい。
それなりの成果は出ているようだし、最後の食べログ部分が微笑ましい。
同じ盲信系でも男性と女性では違うという典型的な例なのかもしれないが、まだ坂井さんの方は余裕を感じられるから、無宗派の私もある程度は安心して読めるというものだ。
下種さえしていれば良いというものではない、ということは元顕なら誰でも分かっているはずだ。
“fool,yeah!”さん、坊さんが率先して折伏していないのは本当だよ。
あなたこそ何を見てるんだ。
山内折伏は本来、坊さんの仕事だと思う。
それを信徒が勝手に取ったから坊さんのやることが無くなり、結果的に顕正会や創価学会にバカにされてるんじゃないか。
だいたい、「御住職」なんだからお寺にいるのは当たり前。
でも大石寺はいくつもの宿坊に分かれているとはいえ、全体が1つの大石寺というお寺だ。
その境内においては、お坊さんの権限が強いのは当たり前。
ならば本来、大石寺の境内で折伏を行うのは坊さんの仕事である。
宿坊の盲信信徒がヒマ潰しにやるようなものじゃないんだよ。
トチロ〜さんだって、大石寺のお坊さんに直接折伏されたのが御受誡のきっかけだった。
もしあれが盲信信徒だったら、そもそも相手にもしなかっただろう。
そういうことなんだ。
信徒が布教活動やっても、あんまり有難みが無い。
そりゃ在家しかいない顕正会なら致し方ないだろう。
でも、折伏やらなきゃいかんのは宗規のどこかにでも書いてあったかな?
やっぱり、功徳だろうな。
功徳溢れる信徒が折伏してきたら、そりゃされる方は圧倒されるだろう。
その勢いで、そのまま御受誡しちゃうかもしれんね。
でも何故か、功徳溢れて富豪にまでなった信徒は折伏をしなくなるんだな。
幸せのおすそ分けなどしたくないってことかね。
顕正会と法華講員の体験発表を聴き比べてもらいたい。
但し、盲信信徒は恐らく気づかないだろう。
顕正会員の体験発表に対して、穿った見方しかできないから。
誰の為に今後も活動するか?だ。
顕正会員は簡単。
無二の師匠、浅井先生の為だね。
法華講員はどうか?
締めの言葉に一貫性は無い。
だが、大抵は自分の為に幸せになるような書き方になっている。
無論、それが間違っているわけではない。
まず、自分が幸せにならないで、他人を幸せにできるわけがないからだ。
これは香月車楽さんも主張されているところ。
でも、そこで体験発表は終わっていることが多い。
あとはせいぜい、広宣流布にまい進致しますってところか。
具体的な目標が無いんだよね。
広宣流布が目標なのは結構だが、大風呂敷過ぎてピンと来ないのが私のような不良信徒だった。
私の場合、恥ずかしながら告白すると、当時お世話になっていた男子部第6隊全員をバス数台分で大石寺へ送り込むのが目標だった。
近所のバス会社に、バスの値段を聞きに行ったくらいだ。
これだって結局は大風呂敷だったが、でも目標として十分だろう?
少なくとも、広宣流布という四字熟語よりはピンと来るものだと思う。
ダラダラと少し長くなったが、あれでも幸せな方なのかな。
盲信者になれば、他の些末なことなど気にせずに過ごせるという意味では幸せなのかもしれない。
私はそういう形の幸せは嫌だがね。
もっと多角的な見方ができる幸せを掴みたい。
二兎を追う者は一兎をも得ず、とはいうが、では三兎なら捕まえられるだろう。
男に二言は無いのだが、三言はある。
屁理屈だって?でも、そういう見方ができるようにはなれたね。
これも実は顕正会だけでなく、日蓮正宗で見出したものだ。
それについては感謝してる。
いやはや、壇密のCMの宮城県CM良かったのに、クレーマーがダメにしたのは困ったものだ。
日蓮三兄弟の功徳とか言ってるのは、大いなる勘違い。
思い込みです。
Tさんが、偽本尊を拝んでいる害毒とか散々言っているが、全て法華講員に当てはまってる事実を無視している。
こうかくと、信心が不純だったからとか言い出すのだろうが、信心活動を一生懸命している人でも当てはまってる。
大白法さえも破折されるようになったのですね。
昔は破折に使っていた機関紙も、今や破折される側か……。
むしろ、慧妙くらいになってくれた方が、こちらとしても小説のネタが転がっていたりするもので面白いんですよ。
Tさんって……もしかして、もしかすると講頭さんですよね?確か、報……あれ?誰か来たみたいです。