報恩坊の怪しい偽作家!

 自作の小説がメインのブログです。
 尚、ブログ内全ての作品がフィクションです。
 実際のものとは異なります。

小説の途中ですが、ここで本日の雑感をお送りします。 0925

2014-09-25 21:39:44 | 日記
神戸女児遺棄 容疑者、孤独な生活ぶり…出会い求め、ネットに積極書き込み(産経新聞) - goo ニュース

 本当は小説の続きを書きたかったのだが、他に書きたいことがあったので、こちらを優先する。
 この事件の犯人は孤独に苛まされていたようだが、それを解消するために宗教に入信するという選択肢が無かったのが残念だ。
 本来、宗教はこういった男の為のセーフティ・ネットワークとして機能しても良いはずなのだが、それが機能しなかったことは信仰者として嘆かわしく感じる。
 いや、折伏をしない私が偉そうなことを言える義理ではないことは分かっている。
 しかし、今生において仏縁が無い。
 ただそれだけでこのような事件が多発しているのも、何となく悲しいことのように思えてならない。
 末法濁悪だからの一言で片づけられてしまいそうだが、そういう問題でもないだろう。
 仏法上……十界論で考えてしまうと、更に残酷な結論になってしまうのだから、意外とこの仏法は冷たい。
 被害者の女児は地獄界の相が強く出てしまい、畜生界の強い加害者の餌食になってしまった。
 そして、恐らく被害者の方は過去世からの罪障が強かったため、そして加害者は過去世と今生での罪障が強かったために、あのような結果を招いてしまった。
 仏法上での説明だとこうなる。
 だから、早く顕正会なら入信勤行をやりなさい。法華講なら、御受誡もしくは勧誡しなさいということなのだ。
 どうだろう?無宗教の人達から見れば、
「何て冷たい宗教だ」
 と思うだろう。
 まあ、そういう教義なんだからしょうがない。
 それならばせめて、それを信仰している団体がセーフティ・ネットワークにでもなってくれれば、まだ温かみもある。
 私が顕正会、法華講と比べて信心している限り、それが機能しているのは顕正会の方だ。
 脱会者を防ぐ為に必死とはいえ、毎日メールやら電話やらしてくれるのは良いセーフティ・ネットワークだと思わないか?
 因みに法華講にあっては、支部によって様々だ。
 だから、一概に全部の支部がダメだと言うつもりはない。
 私が御受誡した所は、比較的良く機能していたと思う。
 顕正会ほどの密度は無かったけども、そこは小規模ならではの良さを発揮していたと素直に感じる。
 比べて今所属している勧誡した所は、あいにくとセーフティ・ネットワークが機能しているとは到底思えない。
 大規模なだけに、末端にまで目が届いていない感じだ。
 自主性を重んじるとはいうが、これからの時代、それは通用しなくなっているような気がする。
 まあ、私の個人的な私見だけどね。
 それも、私が折伏しない理由の1つだ。
 育成も何もあったもんじゃない。
 少なくとも今の支部に所属している限りは、私は折伏しないと思う。

 大規模な所は末端まで目が届かないから、好き勝手にできると思って調子に乗らせて頂いているが、私とて凡夫だから、いずれセーフティ・ネットワークを必要とする時期が来るだろう。
 はっきり言って、今の支部では不安だ。
 体の自由が効くうちに、早めに考えた方がいいかもしれない。

 追伸、創価学会は上手く機能していますか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする