萌えてばかりもいられない!

そんなに色々なことにやたらと深い造詣などいだけないから適当に綴っていこうかしらん

お好み焼きにまつわる思い出

2012-03-09 06:58:08 | 懐かしい思い出
お好み焼き、この料理に対する値段の感覚。。。。。こればっかりは幼い頃の感覚も交じって、ジェットコースター並に右往左往する。

思い出すのは幼稚園から小学校にあがったばかりか、まだ幼稚園時代に小田原の海浜寄りのかまぼこ通りあたりで、何かを届けた友達んちのおばさんに、「二人でお好み焼き、食べて来な」とお金をもらって、子供二人で駄菓子屋の奥に入って、友達が「俺が焼いてやる」と焼いてくれたものが、初めてみた『えっ子供がそんなもの作れるの!?』という感想が洩れた料理だ。

しかも子供でも手が届くほどの安さという感覚が生まれたものだ。
値段よりも友達が作っちゃうって方の感動が上だったが。。。

もちろん家でもお好み焼きは作ってもらっていたのだが、駄菓子屋の奥に鉄板を置いているお店が特別なものとして印象に残る。

その友達には、そのお好み焼きを焼いてもらったばかりでなく、表裏になっているトレーナーを、タグが見えるように持って首から着ると表に戻ってかつ前後ろがちゃんとなる着方だというものも教えてもらい、私の得意技の一つになっている。行儀が悪いということで、私の周りでは当時からこの技の評判は余りよくない。。。。


お好み焼き、一人暮らしのときでも、ホットプレートを持っていなかった私はほとんど自作したことがない。家内はもんじゃも好きだし、チヂミも。。。これらを作るのも手早い。大阪出身の友達にお好み焼きの焼き方を教わって試したらすんごいふんわりしたものが出来たと大喜びしていた。


大学の部室には誰かがホットプレートを持ち込んだお陰で、何度かお好み焼き大会が開かれた。

試験期間に粉を混ぜ、野菜とバラ肉を練りこみ、これまた実家がうちの実家の近所で駄菓子屋だった幼馴染の友達がちゃっちゃと作り上げていくのを見ていた。
今でも彼は焼くのは上手だ。
試験科目を終えて戻ってくる部員にどんどん出していて、部室の外に漂うソースの匂いに、戻ってくる部員も「一体こんな時期に何やってんだ?」って感じではあったが嬉しそうにみんなで頬張った。

自分の夢の中には、飽きるまでたこ焼きを食べてみたいという方が強かったのだが、お好み焼きを上手く焼ける技術も意外と重宝されそうだと思い直す。


屋台で作られている粉物。

キャベツを鷲掴みに、卵を割ったり、そばを隣でサッと焼いて挟んだり、この技術、手捌きの華麗さ、豪快さを併せ持つ。
冷めたものでなく、出来れば出来立てが欲しいと思うことが多く、繁盛店で「ちょっと待てる?」と聞かれるときは喜んで「待ちます!」

高校時代から、自分で作るお店にも行った。少し店舗の敷居が上がり、自分で料理するのに、お小遣いのレベルから少し食事のレベルに上がるお店に出会う。。。。今でも見かけるお好み焼き屋さんだ。

今でもこの値段は駄菓子屋の出していた混ぜ物状態の値段、屋台で買う値段、店舗で自分で作るための混ぜもの状態の値段の並びに混乱が生じる。粉物特有の感覚なのに店舗での提供価格が一番割に合わない・・・・。これは逆転感覚?


これは後片付け代なのであろうか?煙の処理、店に着く臭い処理、鉄板の施設提供代。。。。。となるのだろうか????


なんとなく粉物を自分で作るのに比べて、外での値段が何のための代金なのかに対する自分の中の感覚が少し不安定だ。駄菓子屋で出来た感覚からの違和感か。。。


今でも駄菓子屋の奥で作れる場所はあるのだろうか。。。
もう一度そこでの感覚を取り戻せばほかの物に対する想いも取り戻せるだろうか?

これが矯正?

まぁいわゆる納得感だ。駄菓子屋のものが思いの外(おもいのほか)ペラッペラで、これが安いのも当たり前という感覚になるの。。。。?


具を入れてどんどん上がる単価。美味しさの前提に上乗せされるレベル。。。。
量が嵩増しされる訳でもないのに、この上がる値段。。。。の感覚。別盛りならいざ知らず。。。

もっと子供のものだったはずだ。という感覚が滲む。。。


取り戻せ!価値観!

もし知っていたら、教えてください。求むお好み焼きができる駄菓子屋情報!

たません。。。東海にはまだこういうお店があるのか・・・。

西新井にあるの?


都電沿いにもんじゃ焼きが出来そうなお店ならあるのかな?
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