とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2024はが路ふれあいマラソンツアー:3日目真岡市内観光

2024-12-21 23:43:41 | 観光
3日目は、宇都宮市の隣にある真岡市内の観光に向かった。朝一で向かったのは、真岡鐵道久下田駅から徒歩10分ほどのところにある白蛇弁財天だ。

かつては鬱蒼とした森で、入るのにもはばかられたという場所だったらしいが、現在は住宅地のなかにあり、こんな場所に神社があるとは思えないような感じだったが、鳥居をくぐって中に入っていく。


神社はコンパクトにまとまり、朝早くだったので暗い雰囲気はなかった。


入り口にあるのは、狛犬ならぬ二対の白蛇だ。かなりリアルにできている。


境内には社殿を取り囲む様に池があり、この池に2匹に白蛇が住んでいたという伝説がある。社殿の横の滝は銭洗い滝と呼ばれ、ここで硬貨を洗うと金運があがるという。さっそくカゴに硬貨を入れて洗ってみる。


白蛇弁財天の次に向かったのは、大前恵比寿神社だ。1989(平成元)年12月10日に鎮座奉祝祭を斎行し完成した延喜式内大前神社の若宮社ということだ。


ここの一番のポイントは、日本一えびす様の像だ。


釣竿を持ち、鯛を抱える姿からも分かるように、恵比寿様は大漁満足の象徴、漁業の神様である。そのほかにも、航海安全や商売繁盛などのご利益があり、大黒様と並んで開運の神と言われ、七福神の中でも厚く信仰されている。なかでも「宝くじがあたる神社」としても有名で、全国から参拝客が訪れるそうだ。


大前神社の境内には、全国の二輪車守護発祥の神社である、足尾山神社が鎮座している。境内では年に一度全国のライダーが集い、一年間の交通安全を願い、バイクのお祓いを受けるそうだ。


大前神社の横を流れる五行川沿いの遊歩道は、落ち葉の絨毯が敷き詰められている。


次に向かったのは、SLキューロク館。施設の名称は、館内に展示している9600形蒸気機関車が大正時代の代表的な蒸気機関車の一つであり、太いボイラー、短い化粧煙突、低い二つのドームにかたどられた雄姿で、「キューロク」の愛称で多くの人々に親しまれたことから名付けられたという。


SLキューロク館には、SLマニアには有名な『デゴイチ』ことD51形蒸気機関車が展示されている。


この機関車は、1976年(昭和51年)に廃車になるまで北海道で活躍した機関車で、2015年(平成27)年まで静岡県で展示されていましたが、同年真岡市が譲り受けて、圧縮空気により自走できるよう整備されているそうだ。土日には、実際に運行して乗車もできるらしいが、この日は平日だったので、残念ながら乗車はできなかった。


客車内は、季節がらクリスマスのデコレーションが施されていた。


こちらは、真岡鉄道の真岡駅だ。情報センター4階(真岡駅複合施設内)に「SLギャラリー」を新設し、既存のSL車庫、 SL検修庫、転車台などを回遊しながら見学でき、SLキューロク館と 合わせ真岡駅構内全体をSLミュージアムとして位置付けている施設でもある。


外観が素晴らしく、SLが好きな人には嬉しい施設だ。


SLを楽しんだ後、まだ時間に余裕があったので、真岡市二宮町の専修寺に寄っていく。


専修寺には、木造の涅槃像で日本一といわれる「木造金箔塗りの釈迦如来涅槃像」がある。高さ約3mの大作で、1687年(元禄15年)に作られたそうだ。


専修寺の近くにある二宮尊徳資料館にも寄っていく。資料館は休みだったが、二宮尊徳が仕事をしていた役所だった「桜町陣屋跡」を見学して行く。


そして、最後に寄ったのは、道の駅にのみや。ここで栃木のイチゴをお土産に買って帰路についた。

2024はが路ふれあいマラソンツアー:2日目マラソン

2024-12-20 17:32:59 | マラソン
全国で最も多くいちごを生産している「いちご王国・栃木」の中でも、「はが路」はその栃木県内でもダントツ1位の生産量を誇る地域だ。はが路ふれあいマラソンは、真岡市、益子町、芳賀町、茂木町、市貝町の1市4町を巡る周回コースとなり、エイドではイチゴがたくさん出るのだろうと期待して参加した。

コースと高低図は以下の通り(大会公式HPより)




スタート前の会場の様子。


号砲が鳴り、いよいよスタートだ。


とりあえず、完走だけでもしたいとスタートしたが、今ひとつ調子が出ない。第1、第2、第3関門までは何とか通過できたが、35キロのエイドでトイレに寄ったせいなのか、36キロの第4関門に2分ほど間に合わず、あえなく足止めとなってしまった。自分では、残りの距離と自分のペースを考え、ギリギリ時間内にゴールできると思っていたので、かなりショックだった。そんなわけで、途中でカメラを出す余裕もなく、コースの写真も無い。

バスで、ゴール地点につくと、ちょうど仲間がゴールしたところだった。


大会終了直後は、もうフルマラソンは諦めないといけないかなと思っていたが、日にちが経つと、気持ちを切り替えて、再チャレンジしてみようかなという気持ちにもなってきた。

「2024はが路ふれあいマラソンツアー:3日目真岡市観光」に続く。

2024はが路ふれあいマラソンツアー:1日目宇都宮観光

2024-12-19 17:43:31 | 観光
栃木県のマラソン大会に参加すると言うことで、まず宇都宮に向かった。あまりこの辺りは、行ったことがないのでいろいろな場所を観光することにした。

最初に向かったのは、「若竹の杜 若山農場」だ。約100年間、自然循環型農法を心掛け、竹や栗などを栽培している農場だ。ここにある日本一の面積を誇る竹林は、国内でも希少な空間で、映画やCMのロケにも使用されているという。入り口で入園料を払い、竹林の中に入っていく。


農園内には、真竹、孟宗竹、亀甲竹などいろんな種類の竹が植わっている。


竹林の中には、竹細工の灯籠などが吊られていて、夜はLEDのライトで照らされ幻想的な雰囲気になるようだ。


珍しい亀甲竹。模様が亀の甲羅のように見える。ドラマ「水戸黄門」で黄門様が持っている杖は亀甲竹だという。


園内の奥にあるケヤキの巨木。


広場には、竹で作られた遊具があり、ブランコで遊んでいく。


黄色い竹は、金明孟宗竹。映画「るろうに剣心」のロケが。この中で行われたそうだ。


竹で組み上げられた入場ゲート。ここも夜になるとライトアップされる。


ロープが張り巡らされたアスレチック施設。


白いテントの茶屋に向かう。


茶屋で竹器に入れた抹茶と菓子を受け取る。


ストーブに当たりながら、温かい抹茶をいただく。


竹林見学が終わると、ちょうどお昼となり、園内のレストランでランチを済ませて、次の目的地に向かう。

次の目的地は、「石の里」と呼ばれる宇都宮市大谷にある大谷資料館だ。この地域で採掘される石は資材として優れ、古くから採掘場として発展してきた。大谷資料館では、大正時代から残る採掘跡を当時の面影をそのまま残し、一般に開放している。資料館の入り口にある自販機がやけに汚く汚れているなと思ったら、大谷石をイメージした自販機であった。


資料館の入り口で記念撮影。奥の岩壁は、大谷石を切り出した跡だ。


愛の泉と名がついた滝。大谷石の岩壁から水が染み出している。


資料館で入場料を払い、神秘の地下空間に入っていく。


地下30mには、採掘現場となった巨大空間が広がっている。


まるで異世界に迷い込んだような地下空間だ。


手作業で採掘作業をしている様子が再現されている。


地下に広がる巨大なホールの中には、華道家・假屋崎省吾の作品が展示されている。なんとも幻想的で、胸が高鳴る。


赤い光が当たり、人のシルエットが絵になる。


ステージのような場所もあり、コンサートも開かれるのだろうか。


地下空間は、年間を通して7℃ということで、この日は寒かったが、夏などに来れば涼しくて気持ちが良さそうだ。映画やCMのロケ地としてもいろいろ使われているらしく、今回初めてだったが、入ることができて良かった。

大谷資料館から2キロほど移動すると大谷平和観音がある。大谷石の採掘場跡の岩壁に彫られた大観音像で、高さは約27メートル。この大観音像は、戦没者の慰霊と世界平和を祈念するために彫り始められ、すべてが手彫りで制作されている。


階段で展望台まで登ると町並みを一望することができる。展望台の周りには、おびただしい数の賽銭が落ちている。


大谷平和観音から少し歩いて行くと、大谷寺がある。大谷寺の本尊千手観音(高さ4m)は、平安時代(810年)弘法大師の作と伝えられている。古くから大谷観音と称され、鎌倉時代に坂東19番の霊場となり、多くの人々から尊崇されてきたという。残念ながらご本尊様は撮影禁止なので掲載できないが、素晴らしい観音様だった。


大谷寺の宝物館の奥に行くと、御止山(おとめやま)の登山口があり、片道15分となっていたので山頂まで登ってみる。江戸時代には日光輪王寺宮様の御用山で、秋になると松茸狩りをされるため、一般の人々は立ち入り禁止だったことから「おとめやま」と呼ばれたという。


山頂からは、姿川沿いに連続して露出する大谷石の高い崖や、松や蔦などの植物の緑と岩肌の灰白色の織りなすコントラストを見ることができる。


ひととおり、宇都宮市内を観光し。宿に向かう。翌日は、マラソン本番だ。

「2024はが路ふれあいマラソンツアー:2日目マラソン」に続く。


2024六甲山&播磨アルプス登山ツアー:2日目

2024-12-04 22:49:37 | 山登り
前日の夜は、有馬温泉の湯にどっぷりつかり、ザ・グランリゾート有馬に宿泊。朝7時前に宿を出発する。


坂を下り、有馬温泉街まで来ると橋の袂に、豊臣秀吉の正室ねねの像が‥。


そして、そのずっと先には、ねねを見守るかのように、太閤秀吉が座っている。秀吉は1583年(天正11年)に有馬温泉に入湯して以降、1594年(文禄3年)までに9度有馬の湯に浸かったという大の有馬温泉好きで、有馬には正室ねねの別邸も作っていたという。


その先の有馬温泉駅から、神戸電鉄、地下鉄、JR神戸線を乗り継ぎ、曽根駅で下車する。曽根駅で地元のIさんと合流し、Iさんの案内の元、播磨アルプスの登山口に向かう。


国道2号線を渡ると、豆崎登山口だ。


豆崎登山口は、国道沿いであまり目立たない。Iさんの案内がなければ、迷いそうな場所だった。


坂を上っていくと、経塚山古墳の石室がある。4〜5世紀頃の竪穴式石室らしい。


やがて、岩だらけの道が始まる。


見晴らしがいい場所からは、姫路城が見える。


そして、進行方向には、キノコがにょきにょき生えたような形の岩山が見えてきた。


やがて、岩山の近くまで来ると、急斜面の岩盤の上を這いつくばって登っていく登山者の姿が小さく見えてきた。まさかあんなとこに行くのかとビクビクする。


百間岩という岩盤の登りだしの手前に展望台があり、そこで一休み。


いよいよ岩登りのスタートだ。


百間岩は、結構急だが滑ることはなく、グリップが効いてすいすい登っていける。


あとからあとから多くの登山者が上がってくるので、休んではいられない。


これこそ、播磨アルプスの面白さだ。低山ながら、市街地からすぐに本場のアルプスをほうふつさせる景観が簡単に味わえる。


最後の一登り。


一つのピークを制覇したところで、まだ遥か先にも同じような岩山が連なっている。最高峰の高御位山(たかみくらやま)は、まだずっと先だ。


高御位山に行くまでに、いくつもの小さな山を越えていく。それぞれ標高200m前後の低山だが、どこで見ても素晴らしい展望が広がっている。高御位山山頂のすぐ手前に、ベンチが置かれた休憩場所があるので、そこでランチ休憩する。


休憩場所から岩を一登りすると、別名“播磨富士”とも呼ばれる高御位山山頂304mだ。


山頂には高御位神社が鎮座し、絶景とあわせて神秘的な雰囲気が漂っている。旧印南郡で最古最高の神社と言われ、古くから山全体を御神体として崇めてきた山岳信仰の名残があり、古文書「播磨国印南郡高御位山略縁記」には、神がここに降臨されたと記されている加古川市を代表するパワースポットだという。


最高峰からは、一転して岩盤を下っていく。


下りもちょっと足を踏み外したら、大怪我しそうな場所だけに慎重に下る。


振り返って後ろを見ると、今まで歩いてきた播磨アルプスの縦走路と最高峰の高御位山が見える。


下っていく途中にあった岩は、太閤岩と呼ばれているらしい。秀吉が志方城を攻めた際、腰をおろして軍兵の采配をとっていたと言い伝えられている。


「太閤岩」に座り、軍兵の采配の気分を味わってみる。


その後も、いくつかのピークを上ったり下りして、簡単に下界に到着しなかったが、やっとのことで辻登山口に到着する。


辻登山口からは、舗装道路を歩き、宝殿駅に向かう。


宝殿駅では時間があったので、駅前のお好み焼屋でビールと食事をしてから解散し帰路についた。播磨アルプスは、種類豊富な登山道があるのも魅力。山頂や稜線から市街地や瀬戸内海が一望できることと、ダイナミックな眺望と高度感を初心者でも体感できる面白い山だった。

参考1.播磨アルプスの高低図&コースタイム


参考2.播磨アルプスのコースマップ

2024六甲山&播磨アルプス登山ツアー:1日目

2024-12-03 22:57:57 | 山登り
先週末は、関西方面に遠征という事で六甲山と播磨アルプスに登ってきた。まず、1日目は六甲山の王道ルートを歩く。

始発の新幹線で新大阪まで行き、大阪梅田から阪急神戸線の芦屋川駅で下車。芦屋川駅前は、星座の広場と呼ばれ六甲山登山の入り口となる。周囲にも大勢の登山者が集まっていた。


まずは、住宅街の舗装路の坂道を進んでいく。時折すれ違う車は、ベンツなどの高級車ばかり。


芦屋川沿いの道を進む。


住宅街が終わると、石段の道に変わっていく。


しばらくすると、滝の茶屋の入り口だ。トイレもあり、登山者が大勢いた。


六甲山には、多くの茶屋があり、登山者のオアシスとなっている。


茶屋を過ぎると出てくるのは、高座の滝だ。落差は約10m。かつて、修験道の道場として使われ、滝の脇に堂宇(灘八十八ヶ所番外五番霊場)が残っている。また、滝に向かって左上の岩壁に登山家藤木九三のレリーフが設置されている。


高座の滝からさらに進むと、いよいよロックガーデンだ。


藤木九三は、1924年(大正13年)、岩登りを目的とした山岳会、RCC(ロック・クライミング・クラブ)を山岳仲間とともに創設し、住居地から近かった芦屋川上流の変化に富んだ岩をトレーニングの場とし、「ロックガーデン」と命名した。日本におけるロッククライミング発祥の地として知られるようになったという。


ごつごつした岩石群の中から足場を見つけ一歩ずつ登るのは、楽しい。


ロックガーデンのゴールは、風吹岩だ。標高447m地点の風吹岩は、まさに風の通り道にある巨岩である。


みんな高い場所が好きなので、まずは風吹岩の上まで登る。雲一つない青空が眩しい。


そして、下を見下ろすと、360度の視界が開ける。南側には手前に広がる芦屋市街の向こうに大阪湾、そして生駒山や金剛山、その間にはあべのハルカスの姿もくっきりと見える。眺望を楽しみながらひと息つくには格好の場所だ。


風吹岩から道は緩やかとなり、雨ヶ峠に出る。この辺りは、ちょうど日が当たり紅葉が素晴らしい。




ここで1回目の渡渉となる。


広場に出ると、視線の先の方に六甲山の山並みが見えてきた。


2回目の渡渉。


最後の急坂を上りきると、六甲山最高峰の手前にある一軒茶屋に着く。最高峰近くになるとさすがに寒い。最高峰に行く前に茶屋で暖かいうどんなどを食べてランチ休憩とする。

新しいトイレに立ち寄ってから、六甲山最高峰に向かう。


六甲山最高峰931mに到着。


一旦、トイレの方に戻り、魚屋道(ととやみち)から有馬温泉に下る。神戸の海で獲れた魚介類を魚屋さんが有馬へ運ぶために利用したことから、魚屋道と呼ばれるようになったそうだ。


一部、通行止めの箇所があり、う回路の階段を上る。


魚屋道にも紅葉がきれいな場所がある。


15時過ぎに有馬温泉に到着する。坂を下っていくと、炭酸泉源公園があった。


炭酸泉源公園は天然の炭酸水が湧き出す泉源を整備した公園。石の円筒で囲まれた湧き口から、微炭酸の炭酸水が静かに湧き出す様子を間近で見たり、泉源横の蛇口から飲用も可能とのことだったが、行った時にはどちらも故障中なのか見学も飲用もできなかった。


その後は、有馬温泉街を歩き、温泉の蒸気が吹きだしているところを見ていく。


温泉街は、狭い路地にお土産屋や飲食店が並び、観光客で大賑わいだ。




有馬温泉駅前のコンビニで食料を買い出し、有馬温泉では奥まった場所にある素泊まりの宿に向かい、1日目のゴールとした。

参考1.六甲山の高低図&コースタイム


参考2.六甲山のコースマップ


「2024六甲山&播磨アルプス登山ツアー:2日目」に続く。

2024三方分山

2024-11-25 17:56:34 | 山登り
2週連続で富士五胡周辺の山に登ってきた。今回は、精進湖畔にある三方分山である。今回のコースのハイライトは、三方分山からパノラマ台に下りていくときの富士山の美しさだ。

まずは、精進湖畔の駐車場に車を止める。ここからも、周辺の雲がほとんどなくなり富士がくっきり見える。この日は一日、好天が続きそうなので期待が高まる。


車道をしばらく歩き、精進の集落の中に進んでいく。集落内の木々は、ちょうど紅葉真っ盛りで青空によく映える。


集落にある神社のカエデやイチョウも見事に色づいている。


イチョウの下は、黄色の絨毯で敷き詰められている。


神社の境内に入っていくと、「精進の大杉」と呼ばれる杉の巨木が立っている。


国の天然記念物に指定され、樹齢は約1200年。目どおりの周囲約12m、高さ約40mで県下一の大きさを誇り、別名「千年杉」ともいわれ、ご神木として親しまれているそうだ。


「精進の大杉」を見てから、境内を出て登山道方面に向かう。


その後、しばらく歩くと本格的な登山道となり、落ち葉を踏みしめ登っていく。


木々の間から零れ落ちる日差しが眩しい。


見通しがいい場所からは、これから登る三方分山のピークが見える。


歩き出して1時間ほどで、阿難峠に到着する。


阿難峠は、女坂峠とも呼ばれ、昔、身重の女性がこの峠に差し掛かった時に産気付いたが、母子共に亡くなったことから供養のために子を抱いた地蔵を置き、それを“女石”と呼んだことから名が付いたという。


阿難峠からは、キツイ急坂を上りきると三方分山山頂1422mだ。


山頂からは、富士山方向のみ展望があり、子抱き富士と言って大室山を前に抱く富士山を見ることが出来る。まだ11時前だったが、朝が早かったので、富士を眺めながらランチ休憩する。


三方分山の下りもなかなか急で、慎重に下っていく。ところどころ緩やかな道もあるが、意外とアップダウンが多いが少しずつ下っていく。


偉主山(いぬやま)1315mを通過。


根子峠を過ぎると、パノラマ台まで10分ほど。パノラマ台に到着すると、思った以上に登山者がたくさんいてビックリ。やはりこのコースの一番のハイライトだけあって、みんなパノラマ台からの景色を楽しみに上ってきたようだ。大室山を前に抱く子抱き富士を、建物が一切ない樹海の中に見ることができるのが素晴らしい。


パノラマ台で早速記念写真。


南側を眺めると、本栖湖と前の週に登った雨ヶ岳と竜ヶ岳も見える。


パノラマ台で充分展望を楽しんだ後、駐車場に向かってグングン下っていく。


標高が高い場所は、ほとんど葉が落ちてしまっていたが、下るほど紅葉が残っている様子が分かる。


下山道からも、子抱き富士と精進湖が良く見える。


15時前には駐車場に戻り、一日中富士の展望を楽しめた山旅だった。

参考1.三方分山の高低図&コースタイム


参考2.三方分山のコースマップ

2024雨ヶ岳

2024-11-19 18:21:14 | 山登り
先週末は、静岡県と山梨県との県境に位置する山で、毛無山塊と呼ばれる山域にある雨ヶ岳に登ってきた。山頂がササで覆われていて、山頂からの展望はさえぎるものがなく、富士山を眺めるには最高の山だ。山頂には三等三角点があり、山名は、山頂に雲がかかっていることが多いことや、雨乞い信仰に由来するなどの諸説がある。

登山口はいくつかあるが、今回は本栖湖畔の浩庵テント村の駐車場に車を止めた。


今回のメンバーは8人。静岡県内の人が多いので、浩庵テント村に現地集合とした。


テント村の中を抜け、森の中に入っていく。


朝から好天となり、紅葉が美しい。


分岐と思われる場所が良くわからず、地図で確認する。周りをよく見たら、方向指示板が近くにあった。


水のない涸れた沢を横断して、端足峠への登山道に入る。登山道の下には本栖湖が見える。


隣の竜ヶ岳のシルエットを見ながら登りきると端足峠だ。


端足峠は、竜ヶ岳、雨ヶ岳、東海自然歩道との分岐となる。


端足峠からは、思ったよりキツイ上りとなる。振り返ると竜ヶ岳や本栖湖が見える。


ササで足元が見にくい場所が多くなり、歩きにくい。


少し緩やかな道もあったが、すぐにキツイ上りが続く。


展望が開けた場所からは、ついに待望の景色が広がっていた。


みんなこれを待っていた。富士山がくっきり見える。下の方に雲が少しかかっているが、すぐになくなるだろう。


それからは、後方に富士山を従えての登山となる。


いつの間にか雲がすっきり取れている。


12時。雨ヶ岳山頂1772mに到着する。


恒例の山頂記念写真。今回は、富士山をバックに最高の山頂記念写真だ。


その後、富士山を真正面に見ながらランチ休憩だ。


展望を十分堪能し、元来た道を下山する。


先頭を歩くTさんは、気分が良くなってどんどん早くなり、後ろからついていくのがやっととなる。


行く時、迷いそうになった沢を横断する場所まで戻ってきた。


テント村の森の中は、まさに紅葉真っ盛りだ。


落ち葉を踏み締め楽しそうなSさん。


最後に美しい紅葉をバックに、記念写真。ほぼ、5時間ほどの山行だった。


帰路の途中で、あさぎり温泉風の湯に入浴する。その帰り道、ちょうどいいタイミングで、赤富士を見ることが出来た。こんなに赤く富士山が見えるのは、ホントにわずかな時間しかない。この日は、朝から晩まで素晴らしい富士山を眺めることが出来てラッキーだった。


参考1.雨ヶ岳の高低図&コースタイム


参考2.雨ヶ岳のコースマップ

2024松代トレイルツアー:3日目尼巌山・奇妙山トレッキング

2024-11-15 19:04:55 | 山登り
3日目は、松代の里山をトレッキングする。ホテルからも毎日見えていた尼巌山(左)・奇妙山(右)に登る。


まずは、尼巌山(あまかざりやま)の池田の宮登山口のある駐車場に向かう。


少し歩くと、池田の宮(延喜式内社の玉依比賣命神社)に着く。


玉依比賣命神社の石段のすぐ隣に尼巌山の登山口がある。


登山道を少し歩くと、害獣除けの柵があり、そこを開けて登山道を進む。


しばらくは、緩やかな上りだ。


その後、ロープもある急坂になる。


巨岩が現れてきた。


その後も、険しい登山道を登り、午前10時に尼巌山780.9mに到着する。尼巌山の険しい絶壁の山頂には、土豪・東条氏が築城したとされる東条城があったという。信玄は真田幸隆に、謙信側の軍事拠点であったこの城の攻略を命じ、幾たびかの攻略戦の末、ようやく陥落させたという。


尼巌山やその周辺は、豊かな自然や史跡・文化財等に恵まれている。山麓には国蝶オオムラサキ、また山頂付近にはヒメギフチョウが飛び交うそうだ。山城の遺構の他、古墳群や石幢(笠仏)など多くの石の文化財もあり、静かな山裾には、ゆったりと杏の里や肥沃な田園が広がっている。そして、山々を見渡せば、北アルプス、戸隠連峰、高妻山、火打山、妙高山などの素晴らしい展望が広がっている。




尼巌山から高見岩を経て、12時ちょっと前に奇妙山1099.5mに到着する。尼巌山もそうだが、奇妙山というのも一風変わった名前だ。名前からして奇妙なとこがある山だと思っていたが、奇妙は奇妙の意味で無く仏教の帰命、南無陀仏の意味だという。


奇妙山で昼食休憩をしたのち、元来た道を戻り、岩沢登山口分岐まで行く。分岐から30分ほどで岩沢登山口に到着する。


岩沢登山口には、あらかじめ車を1台駐車しておいたので、それに乗って池田の宮登山口駐車場に戻った。尚、岩沢登山口の駐車場は、2台停めるのがやっとの広さで、そこに行くまでは狭いクネクネ道で向きを変えるのも大変だった。


その後、松代温泉松代荘の温泉に入浴後、帰路についた。松代荘の湯は、鉄分を含んだ黄金色の湯で入浴後も体がポカポカするいい湯だった。

参考1.尼巌山・奇妙山の高低図&コースタイム


参考2.尼巌山・奇妙山のコースマップ

2024松代トレイルツアー:2日目地下壕観光

2024-11-14 18:17:17 | 観光
松代には、太平洋戦争末期、長野市松代町の三つの山(象山・舞鶴山・皆神山)を中心に作られた地下壕などの地下軍事施設群があったという。松代大本営と呼ばれ、敗色濃厚だった当時、軍部は本土決戦を行うことに備え、「国体護持(天皇を頂点とする国家体制の維持)」などのよりよい和平条件を得ようと考え、この決戦の指揮中枢を守るためのシェルターとして松代大本営の地下壕が計画されたというのだ。この工事には、多くの朝鮮人労働者が動員され、過酷な労働を強いられた。しかし、その犠牲者などについてはほとんど明らかにされていないという。今回、松代に来て初めてそんな場所があったことを知った。

2日目は、松代ラウンドトレイルの大会に参加したのだが、大会の前後に空き時間があり、スタート前に、まず象山地下壕に立ち寄る。見学は無料だが、管理人室に立ち寄り、管理人どこから何人で来たかを告げ、安全のため用意されているヘルメットを着用する。


地下壕入り口の左側に象山地下壕全体の様子が描かれていて、この象山地下壕には、政府、日本放送協会(NHK)、中央電話局などが移転してくる予定だったらしい。


いよいよ地下壕の中に入っていく。幅4m、中心の高さ2.7m、軒高2mの縦坑(本抗)が20m間隔で20本、それをつなぐ横坑(連絡抗)が50m間隔で掘られ碁盤の目のように造られている。全長は約5854mあり、松代で最大の地下壕だという。このうちの519mが公開されている。


数百m進んだところで広い場所があったので、写真を撮る。地下壕の中は、岩がむき出しになっており、こんな場所に大本営を移転しようと考えたこと自体が、当時の日本軍が狂気の沙汰であったことが窺い知れる。それにしても、広大な地下壕を僅か8ヶ月ほどで8割方完成させたという事は、相当な人の数を要したことであろう。終戦に伴い、工事は中止になったというが、強制的に労働に駆り出された朝鮮の人たちが相当数犠牲になったらしく、日本人としてこのような戦争遺産が松代に残っていることを忘れてはならないだろう。


その後、急いでトレランの会場に向かう。

我々の仲間が最後にゴールしたのは、14時過ぎ。まだ明るいので、舞鶴地下壕に向かう。ここも大本営と天皇・皇后御座所(ござしょ)、宮内省が入る予定だったというが、終戦後、地下壕を有効に利用する為、1947年に中央気象台松代分室が設置され地震観測が始まり、現在は、気象庁地震観測所になっている。


主要な地震計は、舞鶴山山頂下100mの松代大本営跡の地下坑道内に設置され、1965年8月3日から始まった松代群発地震で貴重なデータを採取するなど、日本における地震観測研究の中心的組織であったというが、現在は常駐する職員はいなくなっている。




そして、地上部にある半地下式のコンクリート建物は、地震観測室庁舎として利用されているが、当初は、天皇御座所として利用する予定だったという。


室内には立ち入れないが、建物の外から窓越しに部屋の様子を見られる。天皇の居室に予定されていた和室が残っている。実際には、天皇がここを使うことはなかったのだが、莫大なお金が使われたことであろうと思うと、虚しさを感じてしまう。


2日間で、知らなかった松代の歴史的背景を知ることが出来て、大いに勉強になった。

「2024松代トレイルツアー:3日目尼巌山・奇妙山トレッキング」に続く。

2024松代トレイルツアー:2日目松代ラウンドトレイル

2024-11-13 18:13:45 | マラソン
トレランの大会は、ロングが36キロで制限時間が8時間、ショートが13キロで制限時間は5時間だ。とてもロングは走れそうもないので、ショートにエントリーした。スタートは、10:30なので朝もゆっくり出発できる。

10時前に松代城跡の駐車場に着き、受付に向かう。受付は、ラン友のSさんがいてくれたので心強い。


スタート地点は、松代城跡から歩いて800mの象山神社となる。スタート地点で武者姿のスタッフと記念写真を撮る。


一緒に走る仲間たちとも集合写真。


10:30。ショートのランナーが一斉にスタートする。参加者は300名弱だという。


佐久間象山の像の横を通り抜けて、象山神社を出ていく。


住宅の前を抜けると、象山の登山口に入る。若いランナーたちは、坂をもろともせずに駆け上がっていくが、私は息が切れてとても走ってはいけなくなる。


あとは、標高差500mの登坂が続く。特に最後のキツイ上りは心臓がバクバクして何度も休み休みして登っていく。その間に多くのランナーに抜かれていった。


キツイ上りがやっと終わり、紅葉の尾根道を進む。


木々が途切れた場所からは、戸隠山、高妻山、黒姫山などがくっきり見える。


11:40。やっとこのコースの最高点である鞍骨山798mに到着する。かつては山頂に鞍骨城が築かれ、武田信玄と上杉謙信の川中島合戦の戦局に 大きなかかわりがあったという。天正十二年武田滅亡後、上杉軍がこの山一帯を制圧し、鞍骨城には直江兼続が入城したと言われている。


12時過ぎ、天城山(てしろさん)694mに到着。この山頂にもかつては天城城があり、鞍骨城の出城だったようだ。また、山頂には、坂山古墳ともいわれる石室の跡が残っている。


天城山を過ぎると、広い林道となりグングン下っていく。登坂でだいぶタイムをロスしたので頑張って走り、6キロ地点のエイドに到着する。


エイドからも林道が続くが、少しずつ登坂となっており、思ったより走れない。何とか10キロ地点を通過するとあと3キロ。


残り2キロあたりから登山道となり、最後の山登りだ。象山山頂を過ぎると、最後の下りだ。


象山神社の紅葉と青空がキレイなので思わずカメラを向ける。


あとは平たんな歩道となり、松代城跡が見えるとホッとする。


ゴールが見えた。


3時間ちょっとで無事ゴール。舗装道路を走るフルマラソンと比べるとトレランはさすがにハードだ。


他のメンバーも2時間半~3時間半の間で全員完走。しかし、トップは1時間ちょっとでゴールしていたらしい。久しぶりのトレランは、体力の衰えを痛感させられたが、好天に恵まれ、山が良く見えて嬉しかった。

参考1.松代ラウンドトレイル(ショート)の高低図&コースタイム


参考2.松代ラウンドトレイル(ショート)のコースマップ


「2024松代トレイルツアー:2日目地下壕観光」に続く。