とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2024岡の里名水マラソンツアー:3日目別府観光

2024-03-07 18:23:28 | 観光
最終日は、早朝に宿を出て別府市内に向かう。大分県と言えば、観光の王道は別府だ。まずは、4年前コロナ禍で入園できなかった高崎山自然動物園に行く。

高崎山自然動物園には、大分マリーンパレス水族館「うみたまご」の駐車場から、国道10号にかかる陸橋を渡っていく。


陸橋の下は、片側2車線の国道10号が通っており、交通量は激しい。


陸橋を渡りきったところに、階段とエレベーターがあり、高崎山自然動物園の入園受付に行ける。


高崎山のサルの餌付けは、高崎山山麓の万寿寺別院の境内である。まずは、小型モノレール「さるっこレール」で餌付け場に向かう。モノレールを降りると、すぐ目の前に、多数のサルが我が物顔に歩き回っている。


サルへの餌付けは、30分に1回行われるとあって、もうじきその時間になるとあって、係員の周りには、多くのサルが集まってきていた。


餌の小麦を撒き始めると、一斉にサルが集まり始め、その勢いはものすごい。


地面に落ちた餌を一つ一つ摘まみだしている様子が可愛い。


高崎山のサルは、野生で国の天然記念物に指定されている。終戦直後には200頭程度にまで増えて農作物への被害が深刻となったため、狩猟などによるニホンザルの駆除が試みられたが失敗する。これを耳にした当時の大分市長が、駆除に代えて餌付けし観光資源として利用しようとしたのが高崎山自然動物園の始まりだという。

高崎山自然動物園を後にすると、次に向かったのは、有名な地獄巡りだ。大分県別府市に位置する鉄輪・亀川の地獄地帯は、1000年以上も前より噴気・熱泥・熱湯などが噴出していて、近寄ることもできない忌み嫌われた土地だったそうだが、明治時代に遊覧施設を整え入場料を徴収したことをきっかけに、観光としての「地獄めぐり」が始まったという。

別府地獄めぐりのスタートは「海地獄」。約1300年前、鶴見岳の噴火によって誕生したといわれている。


コバルトブルーの池は地獄とは思えないほど美しいが、泉温は98度で深さは200mもあり、まさに地獄。海地獄は国指定名勝でもあり、敷地内は自然に囲まれた庭園が広がり、季節に応じた色とりどりの景色を楽しめ外国の観光客が多かった。


2番目に向かったのは、鬼石坊主地獄。


灰色の熱泥が沸騰する様子が坊主頭に似ている事から「鬼石坊主地獄」と呼ばれるようになったという。ポコポコと音を立てながら沸騰する様子は、つい見入ってしまう。




かまど地獄は、1〜6丁目まで6つの地獄がありバラエティ豊かな地獄だ。


気温や天候によって色がかわる地獄がある。




線香の煙を浴びせると、白煙が発生する様子をスタッフが実演してくれる。




鬼が出迎えてくれるのは鬼山地獄だ。


鬼山地獄は別名「ワニ地獄」とも呼ばれており、その名の通り沢山のワニが飼育されている。1923年、日本で初めて温泉を利用したワニの飼育施設である。ただ、ほとんど微動ともしないワニを見ても面白くない。


5番目の地獄は白池地獄。


落ち着いた雰囲気で、美しい日本庭園の作りになっているのが大きな特徴。また温泉蒸気熱を利用した熱帯魚館も併設され、その中には生きた化石と言われるピラルクやピラニアなど、珍しい魚がいる。


約1億年間ほとんど姿が変わっていないと考えられているため、「生きた化石」と呼ばれているピラルクの剥製。


6番目、7番目の地獄は3キロほど離れているので、車で移動する。

日本最古の天然地獄として知られている血の池地獄は、赤く染まったドロドロ熱泥が迫力満点だ。




血の池軟膏売り場左手の階段を登ると血の池地獄を一望できる撮影スポットがある。


最後は国指定名勝の龍巻地獄。ほかの地獄と違い間欠泉の地獄となる。世界でも間欠泉の温泉はあるが、龍巻地獄は噴出周期が短いことが特徴。一定の周期で噴出しており、屋根が取り付けられているが、この屋根がなければ約30mも吹き上がるという。


別府の地獄は、地獄組合という団体に加盟している7ヶ所の地獄が一般的であるが、加盟していないフリーの地獄もあるらしい。

時間的に余裕があったので、鉄輪温泉の少しはずれの高台にある眺望絶景スポットにある貴船城に立ち寄る。鎮西八郎為朝(源為朝。源頼朝、義経兄弟の叔父)が平安時代末期に砦を作ったと言われ、その為朝の砦を思い復元したお城だそうだ。


城内に入ると、代々飼われた大白蛇金白龍王(きんぱくりゅうおう)に触ることができる(撮影禁止)。白蛇に触ると金運がゲットできるという。また、お城の中には歌川広重の東海道五拾三次浮世絵が55枚揃った展示や2階には狩野探幽の屏風絵など江戸時代の様々な物が展示されている。

お城の庭からも絶景だが、3階の天守閣からの眺めは四方見渡せ、鉄輪温泉の湯けむりや別府湾が間近に見えて素晴らしい。




別府観光の最後は、やはり温泉だ。100%源泉かけ流しで、創業大正11(1922)年の100年続く温泉施設「ひょうたん温泉」で、男女別の内風呂や露天風呂、蒸し湯、瀧湯、浴衣を着て利用する砂湯などバラエティに富んだ風呂を楽しみ帰路についた。 

2024岡の里名水マラソンツアー:1日目竹田観光

2024-03-05 22:34:18 | 観光
先週末、岡の里名水マラソンに参加するため、大分県に向かった。大会は、大分県竹田市で開催されるため、大分空港からレンタカーで熊本県境に近い竹田市の白水の滝に向かう。

白水の滝は、大分県と熊本県の県境の大野川の源流にある高さ約38mの滝だ。阿蘇山系の伏流水が岩盤から湧き水となって湧きだし、幾筋もの糸のような滝となって流れ落ちて、その滝水が白く見えることから、白水の滝と呼ばれる。また、99本の滝筋があり、100に1つ足りなかったので、百から一の横棒を抜いて白水の滝としたとの説もある。


駐車場に着くと、入り口にはお茶屋が建っている。かっては幅約100mに及ぶ壮大な滝で日本一の飛泉と讃えられ、岡藩主の中川氏によって滝見物のためのお茶屋も設けられたという。


滝壺までは歩いて15分と言うことで遊歩道を歩いて行くと、岩盤の隙間から水が流れ落ち、小さな滝がいくつも見えてきた。


名前の通り、白い筋となって滝が流れ落ちている。


更に奥に進むと、高いところから流れ落ちている滝も出てきた。


画聖田能村竹田は、備後(岡山県)の学者を伴ってここに遊び誇らしげに白水の滝を讃えたとも言われ、途中途中に見事な滝が出てきて、飽きることがない。


そして、一番上流まで来ると、思わず声を上げてしまうくらい見事な滝が現われてきた。江戸時代、ここを訪れたある学者は、この滝について「水の白きこと雪にもまさり、たとへんものなし」と感嘆し、「この滝のたたずまいは、いかに見るともあくことなし」と讃えたというが、まさにその通りだと感じた。


白水の滝が一番遠い場所だったので、次に向かったのは、マラソン大会会場となる竹田市の中心部だ。竹田市の一番の観光スポットは、岡城跡である。1185年に源義経を迎えるために築城されたと伝えられ、南北朝期から戦国期までは志賀氏の支配下にあり、江戸時代には中川氏の居城として重要な役割を果たしたという。


急坂の石段を登っていく。


石段を登っていく途中に見えた山は、九重連山の大船山。数日来の冷え込みで山頂にはうっすらと雪が被っている。


岡城の入り口となる大手門跡は、まるでヨーロッパの古城のような形の石垣を見ることができる。とても日本のお城とは思えないような景色に驚嘆した。


西の丸跡は、広大な敷地で、御殿のほかに馬場や庭園等があり、城内で最も広い場所だったそうだ。


西方向に見える山脈は阿蘇山だ。お釈迦様が寝そべっているように見えるからすぐ分かる。


明治に廃城となった後、城内の建物は取り壊されたため、現在は石垣しか残されていないが、断崖絶壁上を石垣で取り囲んでいるので、いかにも難攻不落の城だったことが窺い知れる。


隙間なく積まれた石垣は、藩主の権威の象徴であり、岡藩の石積技術の高さが伺えるものとなっている。


近戸門から「七曲り」と呼ばれるつづら折りの坂道を下っていく。通用口としての機能を持ち、家臣や領民の日常的な出入りに使用されていた道という。しかし、道の上には断崖絶壁がそびえ立ち、まさに天然の要塞と言うことがよく分かる。


岡城跡から、豊後竹田駅まで戻り駅前駐車場に車を止める。


竹田駅前の商店街は、城下町の風情を残した歴史ある町並みだ。


城下町の一角にあるのは、滝蓮太郎の旧宅だ。


滝は東京生まれだが、父親の仕事の関係で少年期を竹田で過ごしたという。ここから約1キロメートル先の小学校に通学し、学校の裏にある岡城跡で遊んだり、石垣に座り尺八を吹いたりしていたという。この時期の経験から有名な「荒城の月」がつくられたそうだ。


蔵の中は、展示スペースとなっており、滝廉太郎の像がある。「荒城の月」以外には、「箱根八里」「鳩ぽっぽ」「お正月」等も作曲していたとわかり、後世に残る曲をいくつも作っていた人だったのだとあらためて感心した。


竹田の商店街では、岡藩城下町雛まつりが行われていて、多くの店でお雛さまが飾られていた。


その後、宿泊先のホテルに行き、翌日のマラソン大会参加に備える。

「2024岡の里名水マラソンツアー:2日目岡の里名水マラソン」に続く。

2024志賀高原スキーツアー:1日目渋温泉散策

2024-02-20 18:19:53 | 観光
1月の白馬は、雨で全然滑られなかったので、今回の志賀高原が今年の初滑りとなる。1日目は移動のみで、湯田中駅で友人と合流し、渋温泉に寄って行く。まずは、渋温泉有料駐車場に車を止める。入り口には面白いキャラクター像があり、何だろうと調べてみると、渋温泉のイメージキャラクターの「しぶざるくん」だとわかった。兜を被っているとこを見ると武田信玄公もイメージしているようだ。


駐車場を出て、温泉街の中に入っていくと、すぐに目に飛び込んでくる大きな建物は、金具屋という旅館だ。もともとは松代藩出入の鍛冶屋だったが、災害の復旧中に偶然この場所で温泉が湧き出たことから、宝暦8年(1758年)に宿屋となった。前身が鍛冶屋であったため、当時の松代藩主より「金具屋」と名付けられたという。


金具屋は、豪華でどこかノスタルジックな雰囲気が漂う建物だ。そのため、「千と千尋の神隠し」に登場する油屋のモデルになった場所だと噂されている。たしかに、アニメで見た油屋のイメージにピッタリあう。


渋温泉には、地元の人が毎日利用する外湯(共同浴場)が九つある。昔から大切に守られてきた外湯を渋温泉に宿泊するお客にも解放し、渋の湯の恵みを楽しむ「九湯めぐり(厄除巡浴外湯めぐり)」が有名だ。金具屋前には、九湯めぐりの最後の渋大湯がある。九つの湯をすべて回ると、九(苦)労を流し、厄除け、安産育児、不老長寿のご利益があるといわれている。


渋大湯前の長い急階段を上っていく。


こちらは渋温泉九湯巡りの最後にお参りする渋高薬師だ。西暦724~729年(神亀年間)に名僧行基が源泉を発見し、薬師如来を刻んで祀ったのが現在の薬師庵である。


渋高薬師からさらに山道を登っていくと出てくるのが渋湯神社だ。険しい山の斜面に多くの神社仏閣があるのも驚きだ。渋湯神社からは渋温泉街がよく見える。


渋高薬師まで戻ると、御利益散歩道という散歩道がある。この道をずっと歩けば御利益がありそうだ。案内板を見て毘沙門天にも寄ってみる。


その次に寄ったのは、成田不動尊。創建は大正時代末期、豊野町出身の滝沢氏が建立したのが始まりとされる。滝沢氏は不動明王の御利益により奇跡的に命が救われたとされ、その感謝の意により私財を投じて堂宇を建立したという。




成田不動尊も長い石段を上り下りしなければならない。


最後に寄ったのは、渋温泉の一角にある曹洞宗貞祥寺の末寺で、武田信玄より寄進を受けたことで知られる横湯山温泉寺だ。


温泉寺は、川中島合戦の折、兵士の傷を癒したとされることから、信玄が寺領七十貫文を寄進し、温泉地の発展を奨励した。寺紋には武田菱が描かれている。


温泉寺本堂の入口には3匹ずつのお猿さんが左右に置かれている。一方は有名な見ザル・言わザル・聞かザル。そして、もう一方はその反対。見て・言って・聞いて、というポーズをしていて面白い。




温泉寺の裏には、二十数基の丸い石が置かれていて、こんな話が伝わっている。 
志賀高原の大沼池主の黒竜は荒くれ者で、竜王の怒りに触れてしまいました。罰を受け、そして悪行を反省した黒竜は仏門に入ることにしたのです。そこで、温泉寺の門を叩き身分を名乗り、経緯を述べて、節香和尚の弟子になりました。改心した黒竜は修行に励み、ついには受戒を受けるまでになりました。そして、和尚の恩に応えるべく清浄な石を磨いて寿塔を贈ることを約束し、大沼池に帰って往きました。その後、黒竜の約束通り住職が変わる度に、その時々の住職の頭に似た石が、横湯川の橋場に流れ着くという。




温泉寺から温泉街に降りる道には、ビニールハウスの通路が設けられていた。雪の時期では、雪で足元が濡れず、滑らないようにとのお寺の心づかいが感じられた。


温泉街に戻り、駐車場に戻る途中に歌恋会館という卓球場があった。利用料は、なんと無料だ。久しぶりに卓球を楽しむ事ができて面白かった。


渋温泉街を十分散策して、この日の宿泊先となる志賀高原の宿に向かう。

「2024志賀高原スキーツアー:2日目志賀高原中央エリアでスキー」に続く。

2024奄美ヨーリヨーリランツアー:3日目

2024-02-10 21:57:36 | 観光
マラソンの翌日は、奄美大島のアクティビティを1日楽しもうという事で、金作原原生林トレッキング、マングロープカヌー、ナイトツアーと朝から晩まで予定を入れ込んだ。

この日は朝から雨模様。しかし、大した雨ではなく昼前には上がる予想だったので、合羽を用意して、金作原原生林トレッキングに出かける。2021年に世界自然遺産に登録された奄美大島は”東洋のガラパゴス”と呼ばれ、他の地域では中々見られないような固有種の生物がたくさん生息している。その中でも金作原原生林は奄美大島の亜熱帯植物が多く残されている。自然環境保護のため、金作原を利用する際には認定ガイドの同行が必須だ。原生林に入る前に、ガイドさんからいろいろ入林する上での注意を受ける。


車止めの横から、原生林の中に入っていく。


国内では、奄美大島、徳之島、喜界島のみに分布するシマサルスベリ。


南方系の大柄なシダとして知られる、リュウビンタイ。


ガイドさんの声掛けで、上を見上げる。


頭上には巨大なヒカゲヘゴ。今にも恐竜が出てきそうな風景だ。平成6年の映画「ゴジラVSスペースゴジラ」のロケ地にもなっているというから、それは頷ける。


ショウベンノキ。漢字で書くと小便の木、名前の由来は春先に枝を切ると水液がたくさん出ることかららしい。


サクラツツジ。 花が桜色であることから名づけられた。


深い照葉樹に覆われた森の中。急な階段を下りていく。


階段の下まで降りていき、上を見上げると、オキナワウラジロガシの巨木を見上げることができる。


階段を上り、元来た道を引き返す。巨大なヒカゲヒゴまで来たところで、全員で記念撮影。


金作原原生林トレッキングを終え、町中に戻り、昼食を済ます。

午後からは、マングローブ林の川の中をカヌーで探検だ。まずは、カヌーに乗る前にパドルの使い方の練習。




一通り練習した後、いよいよカヌーに乗り込むため川に向かう。


ガイドさんがカヌーを支えてくれているので、安心して乗り込む。


経験者は何人もいるので、カヌーに乗り込むと、みんな颯爽と漕ぎ出す。


マングローブの森が近づいてきた。


森の中で、ガイドさんの説明を聞く。


一通り説明を聞くと、乗船口に向かって漕ぎ出す。


途中、浅瀬にカヌーを乗り上げて休憩。全員揃ったところで記念撮影。


無事、乗船口に到着。一人一人、カヌーを支えてもらって下船だ。




カヌーも終わり、帰り道で、奄美大島世界遺産センターに寄っていく。


ナイトツアーで見られるであろうアマミクロウサギの剥製。


一旦ホテルに戻り、大急ぎで夕食を済ます。


夕食の後、ナイトツアーの予約をしてあったので、急いで集合場所に向かう。

ナイトツアーは、2台の車に分乗する。1台は、普通のワンボックス。そしてもう1台は、屋根のない四輪バギー車だ。奄美大島とはいえ、夜の山道はかなり寒い。私は、最初は普通のワンボックスだったので寒くなかったが、半分地点で四輪バギー車に乗り換える。雨合羽を着て乗り込めば、寒さもしのげる。そして、何といっても視界が広く開放感はある。


既にワンボックスに乗っていた時に、アマミクロウサギや毒蛇を見ることが出来たが、四輪バギー車の方が間近で見られる。早速、ハブを見つける。


ライトで照らされたハブは、いかにも禍々しい。奄美の人は、夜はほとんどで歩かないというのがよくわかる。我々のような観光客が、車の上から見に行くだけだ。


アマミクロウサギも何匹か見かけたが、動きが早くて写真にはうまく撮れなかった。

最後は、バギー車ならではのパワーで、夜中の山道を走行していく。まるで、ジェットコースターに乗っているかのようだ。


集合場所に戻ったところで、バギー車に乗って記念撮影。こんな車に乗れる機会はめったにない。


奄美大島最後の長い一日が終わった。

「2024奄美ヨーリヨーリランツアー:4日目」に続く。

2024奄美ヨーリヨーリランツアー:1日目

2024-02-08 22:19:13 | 観光
先週末から奄美大島に出かけていた。奄美大島で行われるウルトラマラソンに参加するためだ。1日目は、移動のみで昼前には奄美に到着する。奄美空港で昼食を済ませ、宿の人にお迎えに来てもらう。

宿泊する宿は、奄美リゾートばしゃ山村だ。マラソンのスタート&ゴール地点となり、一番楽ちんな場所だ。


因みに、ばしゃ山とは糸芭蕉の群生林のことだという。高価な芭蕉布のもととなるばしゃ山は財力を意味し、不美人はばしゃ山をつけて(セットで)婿をさがしたということから、奄美では不美人の代名詞であったそうだ。一説では年頃の娘の謙遜語であったとも伝えられている。

ばしゃ山村でマラソンの受付を済ませ、向かいにあるケンムン村を散策に行く。ケンムン村は、シマ唄体験や塩作り体験・お菓子作り・陶芸など島にまつわる体験を楽しむことができる。


ちなみに「ケンムン」とは、奄美群島に伝わる妖怪で、容姿は河童に似ており、ガジュマルの木を住処とし、「木の精霊」とも言われているそうだ。島の精霊ケンムンにお祈りが出来るケンムン神社によっていく。


お社の下にはキレイに輝く夜光貝(やこうがい)の貝殻が敷き詰められている。


ケンムン村を出て、更に周辺を散策していく。ところどころに彼岸桜が咲いており、南の島はさすがに桜の開花が早い。


森の中を進んでいくと「薗家の庭園」と言う案内看板があったので、そちらによってみる。看板を読むと、かつて琉球の役人をもてなした由緒ある薗家住宅(国指定登録有形文化財)と庭園(奄美市指定文化財)だという。


屋敷は、雨戸が閉まっていて誰もいないようだった。この屋敷は、2018年大河ドラマ「西郷どん」のロケ地として使われたという。西郷吉之助(鈴木亮平)が、愛加那(二階堂ふみ)と共に暮らした場所だった。




庭には奄美固有の植物や希少種がたくさん植えられており、奄美大島の中でもあまり見られない珍しい木や植物が見られる。庭には池や水路がめぐらされており、水たまりの中にはアマミシリケンイモリが群がっていた。


彼岸桜の下で記念撮影。


葉っぱの上に桜の花びらが、乗っかっている。


一通り山の中を抜けると海岸に下りていく。


ばしゃ山村の前のビーチ。


ビーチの中にある大きな岩に上ってみる。


ばしゃ山村の看板前で記念撮影。


ばしゃ山の建物に向かって帰る。さすが南国のリゾート地らしい雰囲気だ。


夜は、ケンムン村のレストランでマラソンの前夜祭が始まる。挨拶は、奄美市長だ。


会場は、立食パーティ形式となり、食事の開始が始まるのを待つ。




食事の開始が始まると、一斉に人が並びだす。


奄美の食材を使った料理をいただき、イベントの開始を待つ。




地元の歌手が出演して、奄美民謡を何曲か聴かせてもらう。


最後は、南の島らしく曲に合わせて全員で踊りだす。




翌日は、マラソン本番だ。前夜祭から帰ると、早めに寝てマラソンに備える事にした。

「2024奄美ヨーリヨーリランツアー:2日目」に続く。

2023青島太平洋マラソンツアー:3日目

2023-12-15 09:55:07 | 観光
3日目は、前日暖かすぎたせいか、朝からずっと雨。それでも、どこか観光には行きたいので、車を走らせ、日南海岸の小高い丘の上に位置する「サンメッセ日南」に向かう。ここには世界七不思議のひとつに上げられているモアイ像がある。モアイのみの高さ4.5mにも及ぶ完全復刻されたイースター島のモアイ像7体が並ぶ景観は、見事だ。ただ、雨でバックが青い空ではないのが残念だ。


イースター島の正式な許可を得て完全複製したモアイ像7体は、それぞれ以下のような意味があるらしい。特に、右から2番目のモアイ像を触ると金運、左から3番目は恋愛運が上昇すると言われているそうだ。


一人ずつモアイ像の間に入って記念撮影。


モアイ像前の広場。雨の日にもかかわらず、続々と観光客が入ってくる。


丘の上の方を見ると。カラフルな人型の像が見える。


とりあえず、丘の上に登っていき、下を振り返ると7体のモアイ像と海が見える。海の色もくすんで見えるのが本当に残念だ。


丘の上にもモアイ像が2体。


その横には、7色に色分けされた人の像。


この像と一緒に撮る記念写真は、シュールな光景だ。


海を見つめて並ぶ7色の等身大の人物像は、成安造形大学(滋賀県)の今井祝雄名誉教授の作品で、その一部が寄贈されたものだという。


『ヴォワイアン』は『見る人』の意味で、モアイ像と海を見つめているのだ。


『ヴォワイアン』から少し下に下ると、5頭のチョウを描いた巨大地上絵が見えてきた。今にも太平洋に向かって羽ばたきそうだ。


サンメッセ日南を出て、鵜戸神宮に向かう。


日南海岸国定公園の景色の美しい海岸線沿いにある鵜戸神宮。昔から、「鵜戸さん」と呼ばれ、夫婦円満、安産祈願の御利益があると親しまれているそうだ。


朱塗りの手摺を下ると、海に突き出た場所に社殿が見えてきた。


海に突き出た岩壁は、不思議な形を作り出し、日向神話を彷彿とさせる景観だ。


神秘的な洞窟の中に、あざやかな朱塗りの本殿が鎮座している。


本殿の周りの洞窟を一周することが出来、見どころがいくつもある。


本殿前の岩場には亀石があり、男性は左手、女性は右手で運玉を投げ枡形のくぼみに入れば願いが叶うといわれている。


Gさんと私が運玉に挑戦し、5玉のうちの一つを見事くぼみに入れることが出来た。きっと何かいいことがあるに違いない。


鵜戸神宮の少し先にある海岸には、鵜戸千畳敷奇岩という場所がある。約700万年前位に海中で出来た水成岩(固い砂岩と軟らかい泥岩が繰り返し積み重なった地層)が隆起し、長い間に波に洗われ、固い砂岩層だけが板のように積み重なって見えるようになった地形だ。


天気が悪いので、他に行くとこもないので、最後に寄ったのは、「富土(ふと)のトトロ」。ここは、個人のお宅の敷地内にあり、「となりのトトロ」の世界を再現した場所だ。トトロ好きなお母さんのために娘さんが作ったというが、素晴らしい出来だ。バス停に並んでネコバスを待っているトトロたちが見事に再現されている。


個人のお宅の敷地内なので、急いで記念写真を撮る(マナーを守って、撮影のために入ることはOKのようだ)。Google Mapにも「富土のトトロ」として掲載されている。


ガレージのシャッターにも、バス停で待っていたサツキと妹のメイとトトロのもとへやってきた猫バスが描かれている。この写真を誰もが撮れるよう、あえて車を止めてないようだ。


こうして、宮崎と日南の観光を含めて青島太平洋マラソンツアーが終わった。早めに宮崎空港に着いたが、ゆっくりして帰路についた。

2023青島太平洋マラソンツアー:1日目

2023-12-13 22:01:12 | 観光
今年最後のフルマラソンは、宮崎県の青島太平洋マラソンにエントリーした。青島太平洋マラソンは、九州では人気の大会として有名で、エントリー開始になった日にすぐに申込み、参加を楽しみにしていた。

まずは、大会前日に宮崎入りして、コース沿いの観光地をめぐり雰囲気を味わう事にした。最初に向かったのは、宮崎神宮だ。灯籠が参道の両脇に立ち並び、厳かな雰囲気が漂っている。


二の鳥居前まできた。


二の鳥居の先にも灯籠が立ち並び、神門へと続いている。


神門の手前にある建物は、宮崎神宮徴古館だ。宮崎神宮の宝物や書籍等の展示のために建設された木造2階建の建物で、海鼠(なまこ)壁という外壁に特徴がある。


神門の前まで来た。


拝所でマラソンの完走を祈る。


宮崎神宮は、日本の初代天皇・神武天皇を祭神とし、神武天皇の孫にあたる健磐龍命(たけいわたつのみこと:阿蘇神社のご祭神)がその縁にちなんで創祀したと伝わる。神武天皇の両親である、父・鵜鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)母・玉依姫命(タマヨリヒメ)も一緒に祀られていることから、家内安全や夫婦和合、安産・子宝のご利益、また神武天皇が東征されたことにちなんで、必勝祈願や合格祈願に訪れる参拝者も多いという。


宮崎神宮を出ると、マラソンコースを車で走り、後半の山場となる青島に向かう。

青島駅前に車を駐め、青島神社への参道を歩いて行く。


宮崎の定番観光スポットである青島神社。この先に見える島が青島神社のある青島だ。


島にかかる弥生橋を渡って青島神社に向かう。


青島は、全島が熱帯・亜熱帯植物の群生地として、国の特別天然記念物に指定されている。島では200種類以上の植物が確認され、そのうち熱帯性及び亜熱帯性の植物が27種あり、北半球最北のヤシ科植物の群生地とも知られているそうだ。


そして、島の回りは「鬼の洗濯板」と呼ばれる奇岩の景色が広がり隆起海床と奇形波蝕痕として、国の天然記念物に指定されている。


「鬼の洗濯板」をバックに記念撮影。


鳥居をくぐると青島神社の境内だ。


鳥居を過ぎると石造りの狛犬が現れる。


神門を抜けると本殿だ。


こちらが本殿。ここは有名な神話「海幸彦・山幸彦」の舞台であり、山幸彦と豊玉姫が結ばれた地でもあることから、縁結びにご利益があると言われている。


ハート形の絵馬やオブジェ、恋みくじなど、境内には恋愛成就にあやかれそうなアイテムが多数ある。絵馬で出来たトンネル「祈りの古道」。絵馬に書かれたいろんな願いを読むのが楽しい。


「祈りの古道」の先には、ビロウ樹に囲まれた森があり、元宮に続いている。


元宮の奥には、寄り添うようにそびえる木「夫婦ビロウ」があり、磐境に土器の皿を願い事を呟きながら投げ入れ、入ると願いが叶い、割れると開運厄除になるという「天の平瓮投げ(あめのひらかなげ)」をやり、多くの人が幸福を願っている。


その後、島の周りを歩き一周する。


島の周りは、「鬼の洗濯板」ばかりだ。


青島を一周して、青島ビーチパークに行くと、28歳で夭折した画家、青木繁の『わだつみのいろこの宮』のモニュメントが建っていた。山幸彦と豊玉姫の出逢いが描かれた作品だ。


そして、青島ビーチパークはマラソンの37キロ地点となる。ここから5キロ走るとゴールとなる訳だ。


「2023青島太平洋マラソンツアー:2日目マラソン本番」に続く。

2023つくばマラソンツアー:1日目つくばサイエンススポット観光

2023-11-28 18:11:38 | 観光
茨城県のフルマラソンをまだ走ったことがなかったので、つくばマラソンを走ろうとエントリーした。つくばには筑波山に登りに来たことが2回ほどあるので、知らない場所ではないが、筑波研究学園都市として開発が進み、現在は日本国内最大の学術都市となっているつくばの研究施設を見学してみたいと思い、マラソンの前日は、いくつかの研究施設を見て回ることにした。

つくばには、東京秋葉原からつくばエクスプレスに乗れば最短45分で行くことが出来、アクセスは非常に便利だ。つくば駅前から出るサイエンスツアーバスの一日乗車券を買って、まずは、つくばエキスポセンターに寄る。つくばエキスポセンターは、屋外にそびえ立つ高さ50mのH-Ⅱロケット実物大模型が目印だ。


つくばエキスポセンターは、科学技術を見て・触れて・楽しむ科学館である。科学の不思議を学びながら体験できる展示のほか、世界最大級のプラネタリウムでは大迫力の映像と美しい星空の世界をお楽しむことが出来る。また、館内には宇宙食をはじめ、科学グッズ、宇宙関連グッズ、星座グッズなどを取り揃えたミュージアムショップもある。


館内を一通り見学した後、世界最大級のプラネタリウムでは、四季折々の星座や天文現象の映像を楽しめるのだが、当日朝早く起きて、寝不足気味だったので、あまりにも眠りやすい環境に、ついうとうと眠りこけてしまったのが残念。

昼食は、つくばエキスポセンター前にある店で、サンドウィッチとカレー、コーヒーなどを頼み軽く済ます。

次に向かったのは、産業技術総合研究所 サイエンス・スクエア つくばだ。こちらでは、産総研の最新の研究と成果をわかりやすく紹介している「産業技術」のショールームである。脳波を用いて意思伝達を手助けする「ニューロコミュニケーター」、夢の素材として大きく期待される「カーボンナノチューブ」など、未来の暮らしに役立つ技術が紹介されていて、まさに最先端の科学の一端を垣間見ることが出来る。

サイエンス・スクエア つくばを出ると、前にあるイチョウ並木が素晴らしい。黄色い絨毯で覆われた地面が目に染みる。


奥の方では、イチョウの葉に埋もれるように横たわっている子供がいて楽しそうだった。


イチョウ並木の横にある地質標本館にも立ち寄る。ここは、地球科学専門の博物館で、「地球の歴史」「生活と鉱物資源」「生活と地質現象」「岩石・鉱物・化石の系統的展示」の4つのテーマの展示室があり、動く模型や映像、 音声等も使って紹介している。

糸魚川―静岡構造線活断層系の説明版。


説明版の横には岡谷断層のはぎ取り標本が展示されている。


最後に寄ったのは、地図と測量の科学館。ブラタモリでも紹介された施設だというのでかなり楽しみにしていた。地図や測量に関する歴史、原理や仕組み、新しい技術などを総合的に展示している。地図が好きなので、この施設の展示は特に面白かった。


地図の記号当てクイズは、意外と難しく半分以上わからなかったが、いい勉強になった。


つくばで有名な場所と言ったら、宇宙航空研究開発機構(JAXA) 筑波宇宙センターもあるのだが、以前来た時にJAXAだけは入ったことがあったので、今回は時間の関係もあり割愛し、宿泊予定の研究学園駅前のホテルに向かった。

「2023つくばマラソンツアー:2日目つくばマラソン」に続く。

2023広島ツアー:2日目広島市内観光

2023-10-26 23:24:37 | 観光
広島市内に戻り宿泊したのは、広島カープの本拠地であるMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島のすぐ近くのホテルだ。さすが広島カープのお膝元であるだけに、ローソンの色が赤というのは驚いた。


翌朝、ホテルから歩いて広島城に向かう。


広島城公園の中に入ると、大本営跡という石碑が立っていた。広島大本営は、1894年(明治27年)に勃発した日清戦争の戦争指揮のために広島城内に設置された大本営だが、1945年の原子爆弾投下で全て吹っ飛んでしまい、今は基礎石だけが残っているのみだ。


広島城の入り口に着いた。安土桃山時代から江戸時代の城で、毛利輝元が太田川河口のデルタ地帯に築いた平城である。1945年(昭和20年)まで天守を始めとする城郭建築が現存していたが、アメリカ軍の原子爆弾投下によって倒壊し、現在見られる城内の天守以下城郭建築はすべて1958年以降に再建されたものだ。また名古屋城、岡山城と共に日本三大平城に数えられる、日本100名城の一つにも選定されている。天守閣に入り、1階から5階までいろんな歴史資料を見学して広島城を後にした.


入るときは、裏御門から入ったが、出るときは表御門から出る。


広島城から歩いてすぐにあるのが、おりづるタワーだ。世界遺産「原爆ドーム」の東隣に位置した施設で、被爆前、被爆後、現在の街並みの変遷を通じて、平和への願いや重みを感じる場所だ。入場料を払って、屋上に向かうと、ウッドデッキの展望スペースが広がっている。


ウッドデッキの展望スペースは、平和記念公園・原爆ドームと宮島の弥山(みせん)まで、広島の2つの世界遺産を同時に望むことができる。




12階のおりづる広場には、アバターと呼ばれるディスプレイがあり、白く輝く仮想空間に浮遊する無数のおりがみが、人間の「色 / color」に反応し、合わせ鏡のような不思議な世界を映し出す。


世界中から集まる平和への想いや祈り、それらが積み重なって完成する「おりづるの壁」に参加してみようという事で、おりづるを作ってみる。


おりづるタワー専用の折紙で折ったおりづるを、おりづるタワーのシンボルである「おりづるの壁」に投入するのだが、投入場所は透明なガラスの床になっていて、結構立つのが怖い。


おりづるを小さな投入口から投げ入れる。


ひらひらとおりづるが舞っていくのが見える。


12階から下に降りるには、エレベーターで降りることもできるのだが、スパイラルスロープを散歩気分で歩いて上り下りができる。そして、中央部には、くるくると回りながら滑り下れるすべり台「くるくるくーる」があり、アクティブに楽しみながら下っていける。




おりづるタワーのすぐ目に前にあるのが、原爆ドームだ。現在では、被爆当時の惨状を残す姿がノーモア・ヒロシマの象徴として、時代を越えて核兵器の廃絶と恒久平和の大切さを世界へ訴えるシンボルでもあり、一度は見ておきたかった場所である。


この建物は、大正4年(1915年)に広島県内の物産品の展示・販売をする施設として建てられ、広島県美術展覧会や博覧会も催されていた。本来の名称は「広島県産業奨励館」だが、今は原爆ドームという通称で世界に通用する場所になってしまった。


平成8年(1996年)12月、ユネスコ第20回世界遺産委員会メリダ会議で、核兵器の惨禍を伝える建築物として世界文化遺産に登録されている。


原爆ドームの先にあるのが、平和記念公園。爆心地周辺を恒久平和の象徴の地として整備するため、昭和25年(1950年)から平和記念公園及び施設の建設が進められ、昭和30年(1955年)に完成した公園だ。


最後に寄ったのが、広島平和記念資料館。悲惨な原子爆弾の被害の様子を知る為には、この資料館に立ち寄らなければならない。跡形もなくなった街の惨状や被害者のリアルな写真、亡くなった人たちの形見の品々等、涙なくして見ていられないものばかりだった。


一通り見て資料館を後にしたが、入り口には、引きも切らずに見学者の列がつながっていた。


一日中歩き回っていたので、さすがに帰りはタクシーで広島駅に戻り、帰路についた。初めての地、広島では二つの世界遺産を見て回ることができ、有意義な旅となった。

2023広島ツアー:1日目宮島

2023-10-25 20:49:28 | 観光
日本の各地を旅行していたはずだが、広島だけはまだ行ったことがなく、先週末初めて広島に出かけてきた。前日、神戸の娘の家に泊まり、翌日早朝の新幹線で広島に向かい、一番の目玉である宮島に向かった。

広島駅からJRに乗って宮島口で下車。ほとんどの人が宮島口で下車するので、残った車両内はガラガラだった。外人も結構多い。


宮島口に行ったら、あなごめしを買って食べるのがおすすめだという事で、駅前の「あなごめしうえの」であらかじめ予約しておいたあなごめし弁当を受け取る。開店と同時に弁当を受け取る人の行列ができていたが、それほど待つこともなく受け取ることができた。


弁当を持って、宮島行のフェリーに乗る。フェリーはJR西日本宮島フェリーと宮島松大汽船の2社が運航しているが、大鳥居の近くを通るJR西日本宮島フェリーに乗った。


フェリーから眺めた厳島神社の大鳥居。


宮島の桟橋に到着。


宮島は、鹿が多いスポットとして奈良の東大寺と並んで有名だ。評判通り、フェリーの泊まる桟橋や厳島神社境内等、島の至る所で鹿を見ることができる。


記念写真を撮る人の横に並び、まるで観光大使のような鹿もいる。


我々が着いたころは、潮が引いていた時刻で、砂浜を歩き回ることができる。




厳島神社の社殿前の浜も歩き回れる。


社殿を通り過ぎてしまい、厳島神社の中には入らず、弥山に登るためロープウェイ乗り場の方に向かう。30分ほどで紅葉谷のロープウェイ乗り場に着き、2本のロープウェイを乗り継いで獅子岩駅に着くと、往復1時間ほどのトレッキングだ。

獅子岩駅から20分ほど歩くと弥山本堂のある広場に着く。その中にある霊火堂には、大同元年(806年)、大聖院を開いた弘法大師(空海)が修行の際に焚かれてから、今日まで途絶えることなく燃え続ける霊火があり、この火で沸かした霊水は万病に効くと云われているそうだ。釜の中のお湯を飲ませてもらう。


弥山山頂付近に来ると、奇岩がたくさん出てくる。「不動岩」は、ふたつの柱石が巨大な盤石を支えている岩で、まるで人間が造ったかのような形をしている。石段を上がって盤石の下に入ると、不動明王の石像が安置されている。


「くぐり岩」は、登山道がその下を通る自然のトンネルになっている。


山頂付近からは、瀬戸内海の島々が良く見える。




弥山山頂535mは、巨岩に囲まれ、足元も平らな巨岩で覆われており、不思議な感じの山だ。


山頂の先には、売店やトイレがある立派な展望台もある。


山頂であなごめし弁当を食べて休憩した後、別の道から霊火堂に戻る。


紅葉はまだだが、もみじの葉が太陽の光で輝いている。


ロープウェイで紅葉谷に戻り、五重塔を見学していく。


そして最後に世界文化遺産である厳島神社に参拝していく。


いつの間にか潮が満ちて、神社の周りは海の中に沈んでいた。午前中は、この前を歩いて渡れたのが嘘のようだ。


ちょうど、神殿の中で結婚式が行われていたようだ。新郎新婦が観光客の拍手に出迎えられ外に出てきた。


多くの観光客に見守られる中、記念写真の撮影だ。


大鳥居も海の中だ。


境内の西回廊の出口付近には、国内で唯一海に浮かぶ能舞台がある。


厳島神社を一回りしてから、付近のお土産屋やグルメスポットなどを見て回り、フェリーで宮島口に戻り、JRで広島市内に戻った。ほぼ朝から夕方近くまで宮島のメインスポットをあらかた回り楽しむことができてよかった。

「2023広島ツアー:2日目広島市内観光」に続く。