とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2023北海道・羊蹄山等登山ツアー:3日目神威岬

2023-08-24 18:21:52 | 観光
前日、目的だった後方羊蹄山の登山を無事終えて、ホッとしていた。3日目は観光をして帰る予定で、朝食はホテルの1階にあるレストランの朝食セットを頼む。前日はコンビニで買ったもの等を食べての簡単な朝食だったので、ゆったりした席でのんびり済ます朝食が落ち着く。


ニセコは外国人が多い場所なので、パンに卵やベーコンが入った洋風のメニューだ。




泊まったホテルは、「チャトリウムニセコ」という外資系のアパートスタイルのホテルだ。2日間とも素泊まりで泊まったが、サービスでパンや果物、飲み物など宿泊者の人数分用意されていたのには驚いた。おかげで山へ持っていく飲み物や食料の一部にも使えたのが助かった。また、従業員の対応もよく、同行したメンバーも大いに満足してくれたようだ。

リビングはゆったりしていて、大型テレビやソファーがあって充分くつろげる。


反対側には、食事用のテーブルとキッチンがあり、冷蔵庫の中には、牛乳、オレンジジュース、水、コーラ、卵、ソーセージが人数分入っている。食器棚の中には、皿やコップ、トースター、電子レンジ等、およそ必要なものはすべて入っていて、自炊するのは全く困らない。食洗器や、ゴミ袋もあり、システムキッチンの中にきれいに収容されている。


ベッドルームはダブルベッドと2シングルベットの2部屋があり、4人まではゆとりで泊まれる。


トイレ&シャワールームは、それぞれのベットルームの近くにあり、2部屋もある。これも、朝の込み合う時間帯にはありがたい。浴槽がないのは、外資系だから仕方がない。


朝食後、余市・小樽方面に向かうが、積丹の案内看板が見えたので、折角だから積丹半島方面に行ってみようという事になり、積丹半島北西部から日本海に突出する高さ80mの神威岬に寄る。

神威岬は西蝦夷三険岬と呼ばれるほど、海路の難所として恐れられていた。遭難も多発し、長きに渡って、岬一帯への女性の立ち入りが禁止されており、今も岬へと向かう道には女人禁制の門がある。ただ、その女人禁制が解かれたのは1855年(安政2年)のことで、今では男女関係なく自由に入ることができる。


女人禁制門からは、「チャレンカの道」と呼ばれる遊歩道を歩き、岬の先端に向かう。女人禁制になった云われの一つが義経伝説だ。源義経を慕っていたアイヌの娘チャレンカが本土に向かう義経をここまで追ってきたが、すでに義経を乗せた船は出発した後で失意のうちに海に身を投げてしまう。その後、この岬の近くを、女性を乗せた船が航行すると必ず遭難するため、「女人禁制の門」が出来たとも伝えられているそうだ。


「チャレンカの道」の終点、岬先端の展望台からは300度に広がる日本海の水平線が丸みを帯びて見える。岬の先端から積丹ブルーの海の沖に向かって岩々が点在し、その中で最も存在感があるのが高さ約40mの「神威岩」だ。神威岬のシンボルとなっている「神威岩」は、チャレンカが身を投げた後に岩になったと伝えられている。


神威岩を見てから、灯台の横を通って引き返す。その後も、続々と観光客が訪れてくる。この辺りでは、一番の観光スポットである。


ちょうどお昼となり、北海道に来たらウニだろうということで、高級なウニの乗っかった海鮮丼を近くの専門店で食べる。普段では、ちょっと手が出そうもない値段だったが、前日のきつい山登りのご褒美だと思って美味しく食べることができた。


その後は、どこにも寄らず2時間かけて新千歳空港に戻り帰路についた。

2023乳頭山・秋田駒ヶ岳登山ツアー:1日目観光

2023-08-08 18:49:12 | 観光
8月に入って第1週は、秋田県の乳頭山と秋田駒ヶ岳の登山に出かけた。秋田県は、しばらく前まで長雨が続き、被害も大きかったそうだが、やっと雨が止み好天になってきていた。

秋田新幹線の田沢湖駅で下車し、レンタカーを借りる。1日目は、田沢湖周辺の観光をする予定だ。田沢湖は以前にも来たことがあり、一通りは観光もしていたが、今回初めての人もいるので、3ヶ所ほど見て回る事にした。まず、最初に立ち寄ったのは、田沢湖クニマス未来館だ。


クニマスは、かつて世界中で田沢湖だけに生息していた固有種だったが、1940年農業用水の確保と電源開発を目的に玉川の酸性水を導入し始めたことにより絶滅してしまった。しかし、2010年山梨県西湖で奇跡的に発見された。その「奇跡の魚クニマス」を飼育・展示しているのが、田沢湖クニマス未来館なのだ。クニマスは酸性の水では生息できないので、田沢湖のPHが中性に戻るまでは、帰ることはできないという。


次に立ち寄ったのは、漢槎宮(浮木神社)。田沢湖畔の潟尻に立つ白木造りの社殿だ。流れついた浮木(大木が湖面から2メートルぐらい顔を出し、斜めに水底に深く消えている流木)を祭ったものといわれている。


漢槎宮の横には、美しい田沢湖の湖面が広がっている。


岸辺には、湖面を真っ黒に覆い尽くすほどの魚の群れが広がっている。餌付け場になっているようで、人の気配を感じてウグイが集まってきたようだ。


さらにその横には、田沢湖のシンボルでもある黄金のたつこ像が建っている。永遠の若さと美貌を願い、湖神となったと伝えられる伝説の美少女たつこ姫のブロンズ像だ。その姿は澄んだ青い湖水を背にして清楚である。


因みに「たつこ姫伝説」は以下のように伝えられている。
田沢湖が田沢潟と呼ばれていた頃、院内にまれにみる美しい娘、辰子がいた。辰子はその美しさと若さを永久に保ちたいものと、密かに大蔵観音に百日百夜の願いをかけた。満願の夜に「北に湧く泉の水を飲めば願いがかなうであろう」とお告げがあった。
辰子は、わらびを摘むと言ってひとりで家を出て、院内岳を越え、深い森の道をたどって行くと、苔蒸す岩の間に清い泉があった。喜び、手にすくい飲むと何故かますます喉が渇き、ついに腹ばいになり泉が枯れるほど飲み続けた。
時が過ぎ、気がつくと辰子は大きな龍になっていた。龍になった辰子は、田沢潟の主となって湖底深くに沈んでいった。

たつこ像から数キロ先に有るのが御座石神社だ。御座石神社という社名は、慶安3年(1650年)に秋田藩主佐竹義隆公が田沢湖を遊覧した際、腰をかけて休んだことに由来する。


神社の前にある湖畔に、ござを敷いたような平坦な岩場が御座石だ。


このあたりで、秋田藩主が、腰をかけて休んだのだろうか。


御座石神社の右手にも辰子像がある。辰子は、御座石神社の祭神、龍子姫神として祀られているのだ。ここは、美貌として知られた辰子に関係し、美のパワースポットとなっていて、女性からの人気が特に高い場所だという。


田沢湖の主な観光スポットを周ってから、近くのスーパーで買い出しをして、この日の宿で素泊まりとなる水沢温泉に移動した。

「2023乳頭山・秋田駒ヶ岳登山ツアー:2日目乳頭山」に続く。

2023岩手山・八幡平・安比高原50キロトレイル:5日目

2023-07-17 19:04:47 | 観光
コテージで朝を迎える。


焼走り国際交流村は、広大な敷地にコテージやキャンプ村などが点在している。コテージ村の入り口は、可愛い色のコテージもあり目の前は岩手山が聳えている。


岩手山をバックに記念撮影。


入り口近くには、天文台もあり、晴れている日は星空がきれいだろう。


帰路につくまでには時間があったので。周辺を散策する事にした。焼走りの湯からしばらく歩くと、岩手山焼走り登山口だ。予定ではここに下山するはずだった。いつかここに下りてこられるようリベンジしなくては。


さらに10mほど歩くと、焼走り熔岩流散策路の入り口だ。


岩手山は歴史上過去5回ほど噴火しており、これは1732年に噴火したときのもので、噴出口から末端までの長さが3km、幅が1.5kmの規模だという。国指定特別天然記念物となっている。


黒く固まった熔岩が岩手山北東の山腹に積み重なり、この一帯は未だに植物が育ちにくくなっている。


熔岩の塊は軽々と持ち上げることが出来る。中に気泡が含まれ、無数の穴があいているから見た目よりずっと軽いのだ。


相変わらず、岩手山の山頂周辺は雲の中だ。


散策路の終点には、宮沢賢治の『鎔岩流』の詩碑が建っている。岩手山をこよなく愛した宮沢賢治の詩を読んでみるのもいいだろう。


詩碑の横には、展望台があり、熔岩流越に岩手山を展望できる。


オートキャンプ場の中を抜けて、コテージに戻って荷物を背負い、コテージをチェックアウトする。


最後は、焼走りの湯に入ってから、タクシーを呼んでJRの駅に向かい帰路についた。

2023岩手山・八幡平・安比高原50キロトレイル:1日目

2023-07-13 22:45:33 | 観光
新しいロングトレイルのルートを探し出し、岩手県の「岩手山・八幡平・安比高原50キロトレイル」を歩いてみようという事になった。距離は50キロほどで、3日間で歩けそうだが、なにせ遠くアクセスが悪いので現地に行くのと帰るのだけで、それぞれ1日ずつかかる。まずは、4泊5日の日程で計画した。

盛岡までは東北新幹線で行き、いわて銀河鉄道とJR花輪線を経て安比高原駅に降り立った。無人駅で、駅前には何もない。大きな駐車場はあるが、バス停もなければ、タクシー乗場もない。


安比高原駅から、この日の宿泊地であるペンションまでは3キロほどなので、わざわざ迎えに来てもらうのも申し訳なく、歩いて向かう事にした。


1キロほど歩くとコンビニがあり、その横の広い空き地に不思議な塔が建っていた。近くまで行ってプレートを見ると「江副浩正記念碑」とある。何か聞いたことある名前だと思っていたら、リクルートの創業者で、安比の未開の山を開拓し、安比高原を一大リゾート地にした人物だった。


記念碑の先には、安比高原スキー場があり、江副氏の想いを偲ぶような位置づけなのだろう。


我々は、さらに歩いて安比高原のペンション村に入っていく。


午後3時より少し前に、予約してあったペンションに到着する。この日は、時間に余裕があり、翌日からのトレイルに備えてゆっくり休むことができた。


「2023岩手山・八幡平・安比高原50キロトレイル:2日目」に続く。

2023高千穂峡観光&尾鈴山・高隅山登山ツアー:1日目高千穂峡観光

2023-05-30 16:47:14 | 観光
毎年この時期には九州の山に登っているのだが、今回は熊本から宮崎に向かい、まだ行った事のない高千穂町に着いた。高千穂峡の入り口にある道の駅「高千穂」には、大きなモニュメントがある。高千穂に伝承されている「高千穂の夜神楽」に纏わるもので、天照大御神が弟の悪事に怒り、天岩屋戸に隠れた折りに岩戸の前で天鈿女命(あめのうずめのみこと)が調子面白く舞ったことから、この地に天鈿女命の大きなモニュメントが置かれているようだ。


そして、天鈿女命の裏側にあるのは、怪力の神様で天照大神を天岩戸の外に引き出したという天手力男命(あめのたぢからおのみこと)のモニュメントだ。


道の駅で昼食を済ませ、直ぐ近くにある高千穂神社に向かう。


高千穂神社は、縁結びの神様として有名で、夫婦杉の周りをカップルや友達同士で手を繋いで三周すると縁結びが叶うそうだ。


本殿は、約1900年前の垂仁天皇時代に創建され、神社本殿と所蔵品の鉄造狛犬一対は国の重要文化財に指定されている。


そして次に向かったのは、今回どうしても行きたかった高千穂峡だ。高千穂峡は、宮崎・熊本・大分3県の県境の近くに位置する全長約1.7kmの渓谷である。幾何学的な岩の造形と、エメラルドグリーンの水面が生み出す光景は、九州を代表する神秘的光景のひとつとされている。あらかじめ予約しておいたボート乗り場に向かう。


ボートの乗船時間は30分で、その間渓谷内を自由に漕いでまわることが出来る。


最大の見どころである「真名井(まない)の滝」の近くまで漕ぎ出し、高千穂峡の景色を堪能する。


ただ、真名井の滝付近は、滝からの水に濡れないよう、反対側にボートがひしめき合い、移動するのが大変だ。




30分ボートを楽しみ、ボート乗り場を出る。


上の遊歩道から見た渓谷の様子。


次に向かったのは、高千穂あまてらす鉄道だ。ここは、宮崎県北部の延岡市と高千穂町を結ぶ路線だったが、平成17年の台風の影響で廃線となり、今は旧高千穂鉄道の施設を利用したアトラクション施設に変わっている。


まずは線路内を歩き、車庫に向かってみる。


こちらは、旧高千穂鉄道時代に使用していたディーゼルカー。内部の見学やこの車両の運転体験もできるそうだ。


さて、これから乗車するあまてらす鉄道オリジナルのスーパーカートが駅に入ってきた。2両とも満席だ。


前の乗客が降りてから、我々も乗車する。高千穂駅から高千穂鉄橋の5.1kmのコースを、30分で走る。30人乗りで、牽引する動力車が前後に2台、それぞれ2500㏄のディーゼルエンジンを搭載している。


高千穂駅では駅員が手を振ってくれる。


トンネルの中に入っていく。


2つあるトンネル内では天井にイルミネーションがきらめく。


トンネルを抜けても、木々が覆いかぶさり緑のトンネルだ。


あまのいわと駅を通過。


高千穂鉄橋(全長353m)の真ん中で停車。ここは、日本一高い鉄道橋だったという。


客車の床の中心部には強化ガラスが張られ、高千穂鉄橋の最高地点(105m)から直下の眺めを楽しむ。


停車中に運転手が、シャボン玉を飛ばし出した。なかなかユニークなサービスだ。


しばらく鉄橋からの景色を堪能した後、高千穂駅に戻った。

この日の最後に立ち寄ったのは、天岩戸神社だ。入り口には、天岩戸の岩を持ち上げる天手力男命の像が建っている。


御神体の天岩戸の洞窟は、西本宮から谷を挟んで反対の壁の中腹にある。西本宮拝殿の裏側に天岩戸が見える天岩戸遥拝所があり、神職が案内というかたちで連れて行ってくれる。ただ、神域という事で天岩戸の洞窟の写真撮影は禁止だ。


天岩戸神社西本宮から徒歩約10分のところにある天安河原に向かう。


天安河原は、天照大神がお隠れになった際、八百万の神が相談したとされる大洞窟だ。


洞窟の前には、いつの頃からか祈願する人たちの手によって石が積まれるようになり、神秘的かつ幻想的な雰囲気が漂っている。


高千穂町を一通り観光して、この日の宿となる都農のホテルに向かう。

「2023高千穂峡観光&尾鈴山・高隅山登山ツアー:2日目尾鈴山」に続く。

2023稲村ヶ岳登山ツアー:1日目洞川温泉

2023-05-15 23:07:30 | 観光
奈良県の天川村は紀伊半島の中央部に位置し、村の面積の4分の1が吉野熊野国立公園に指定されている。そして、2004年にユネスコ世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」として登録され、天川村はその主要な構成要素としての「大峯奥駈道」・霊場「吉野・大峯」の一部を擁している。 おおよそ1300年前に役行者によって開かれた修験道発祥の地である霊峰大峯山(山上ヶ岳)には、今も多くの修験者が修行に訪れる、まさに秘境中の秘境だ。

天川村の中心部には、洞川(どろがわ)温泉という昭和の時代にでもタイムスリップしたかのようなレトロな温泉街があり、そこに泊まってから、「女人大峯」とも呼ばれる稲村ヶ岳に登る計画だ。昨年は、男性のみで女人禁制の山上ヶ岳に登ってきたが、今回は、女性も登る事のできる稲村ヶ岳で大峯信仰の一端を味わってもらう事にした。

1日目は、お昼過ぎに洞川温泉の中心部にある旅館に車を止め、周辺を散策することにした。まずは、歩いて数分の場所にある面不動モノレール乗り場に向かう。


モノレール乗り場で、片道の乗車券を買い、面不動鍾乳洞に向かう。


かなり急傾斜の坂をグングン上っていくと、終点に着いた。


このモノレールは、「ドロッコ」という愛称が付いているそうだ。丸太をモチーフした可愛いモノレールだ。


終点は、洞川の町を一望出来る高所にある。雨模様の天気で、大峯山(山上ヶ岳)は雲の中のようだ。


終点の先にある面不動茶屋で鍾乳洞の入洞券を買って中に入ることにする。


面不動鍾乳洞は、奥行きが約280メートル。関西では、最大級の鍾乳洞だという。


天井が低いところもあるが、ヘルメットはかぶらずに入って行ける。




最初の見どころの一つが「権現の窟」。日本古来の山岳宗教(修験道)のご本尊、蔵王権現がお祀りされている。


カラフルにライトアップされ、神秘的な地下宮殿のようだ。洞窟内の気温は平均8度ほどで夏は涼しく、冬は暖かい。




洞窟内をぐるりと回り、見学を終えると入り口に戻る。


下りのモノレールには乗らず、洞川自然研究路を進む。


かりがね橋という、全長120m高さ約50mの天川村で一番長い吊橋を渡る。


この吊り橋は、龍泉寺裏の自然林から対岸の大原山との間にかけられている。渡り切ったところで、元来た場所に引き返す。


分岐から大峯山龍泉寺に下山する。龍泉寺は、真言宗修験(当山派)総本山醍醐寺の大本山であり、大峯山寺の護持院だ。


白鳳年間(645〜710)に役行者(えんのぎょうじゃ)が大峯を開山し、修行していた頃、山麓の洞川に下りると岩場の中からこうこうと水が湧き出る泉を発見した。役行者がその泉のほとりに八大龍王尊をお祀りし、行をしたのが龍泉寺の始まりであると伝えられている。この泉を「龍の口」と言い、龍神様の住まわれる泉ということから、龍泉寺と名付けられたという。


龍泉寺の境内には、不思議な石がある。なで石だ。看板には、次のように記されている。
「なでると軽く持ち上がり、叩いて持ち上げると重くなると言う龍泉寺に古くから伝わる不思議な石。石が持ち上がるか持ち上がらないかで願いの成就を占った石占(いしうら)と呼ばれる古い占いの名残で「重軽石(おもかるいし)」とも言われている。
生き物に心があるように、石にも心がある。常にこの石をなでる時のような気持ちで何事にも接することをこの石は教えてくれているのではないでしょうか」。


一人一人、なで石を撫でたり叩いたりして実際に持ちあげてみた。結果は、まさに看板に書かれていた通り、なでると軽くなり、叩くと驚くほど重くなった。不思議だが本当のことだった。10人中9人は、その結果に驚いていた。


その後宿に戻り、温泉入浴と夕食を済ませてから、旅館の玄関前から夜の洞川温泉街を散策する。


昼間は、ごくありふれた旅館街の雰囲気だったが、夜になるとそのイメージは一変し、各旅館の前に吊るされた提灯に明かりが灯り、通りを煌々と照らしている。


昭和の時代にでもタイムスリップしたかのような温泉街の雰囲気が、最高に良かった。


「2023稲村ヶ岳登山ツアー:2日目稲村ヶ岳」に続く。

2023徳島マラソンツアー:大歩危観光編

2023-03-24 18:43:56 | 観光
マラソンの翌日、大歩危まで電車で移動する。大歩危まで乗って行ったのは、アンパンマン列車だった。


大歩危駅は、JR土讃線の徳島県内最後の駅。大歩危駅から隣の土佐岩原駅に行く間に高知・徳島県境を超える。こじんまりとした駅舎で、常駐の駅員はいないが、駅舎からすぐの場所に売店や食堂があり、鉄道線路や駅舎は深い山の渓谷の底にあるので、秘境感が感じられる。


改札口前では、妖怪児啼爺(こなきじじい)が我々を出迎えてくれる。


あらかじめ頼んでおいた観光タクシーが駅まで迎えに来てくれていたので、そのまま、大歩危峡に向かう。ちょうど鯉のぼりのイベントが始まっており、色とりどりの鯉のぼりが渓谷にかけられ、たくさんの鯉のぼりが吉野川上空を泳ぐ姿は圧巻だ。


大歩危峡では、観光船に乗って吉野川をゆっくり下り、途中でUターンして戻ってくるルートとなっており、所要時間30分で峡谷の絶景を体感する。


小さな滝から水が流れ落ちている。


獅子が大きな口を開けているような岩が見える。


反対側から別の観光船が戻ってくる。


大歩危峡は、川の両岸が切り立った断崖となっており、迫力ある奇岩と渓谷美を楽しむことができる。


30分ほどの遊覧を終え、乗り場に戻ってくると、風が出てきたのか鯉のぼりが気持ちよく空を泳いでいた。


大歩危峡から次に向かったのが、祖谷渓だ。深く切り込んだV字型の渓谷が約10kmにわたって続く「祖谷渓」。眼下にはエメラルドグリーン色の祖谷川が流れ、渓谷を上から覗き込むと、目がくらむような高さに驚かされる。祖谷川が大きく蛇行し「ひ」の字となっているように眺望できるのが「ひの字渓谷」。




渓谷に沿うように通る祖谷街道を車で走っていると突如現れる小便小僧。かつて地元の子供達が岩の先端で度胸試しをしたという逸話をもとに作られた小便小僧の像で、断崖に突き出た岩の上に立っている。


小便小僧の像から谷底までは約200mもあり、確かに身震いしてしまう高さだ。とてもあの岩の先まで行く勇気もなく、現在は人が立ち入ることが出来ないよう柵で囲われている。


次に向かったのが、今回一番行ってみたかった“かずら橋”だ。
平家の落人が追っ手の進入を防ぐために作ったとされる吊り橋で国の重要有形民俗文化財に指定されている。祖谷(いや)のかずら橋は、岩国(山口県)の錦帯橋(きんたいきょう)、甲斐(山梨県)の猿橋と並んで、日本三奇橋の一つにも数えられている。


橋の入り口に料金所があり、お金を払ってから渡り始める。


野生のシラクチカズラで編まれていて、歩くとギシギシと音をたてて揺れ、敷綱でつながれた横木と横木のすき間からは川面がのぞき、渡るだけでスリル満点だ。


次々と観光客が橋を渡ってくる。人が多くなるほど揺れるので、みんな慎重になる。


我々が渡り終えて、しばらくすると、かずら橋が人の群れで一杯になっていた。海外からの団体観光客が一気に来たので大混雑だ。


かずら橋の出口付近にある蕎麦屋でそばを注文してから、蕎麦が茹で上がる待ち時間の間に、直ぐ近くにある琵琶の滝を見に行く。


昔、平家の落人が京の都をしのび、この滝で琵琶を奏で、つれづれを慰めあっていたことから名付けられたと言い伝えられている。


徳島県の大歩危は110以上の妖怪伝説が残る妖怪郷だ。観光の最後は、道の駅「妖怪屋敷」に寄っていく。ここは、ゲゲゲの鬼太郎に登場する児啼爺(コナキジジイ)の故郷とも言われているエリアだ。


妖怪にまつわる祠や神社、遺跡が数多く遺され、妖怪祭りなどで妖怪達と共存共栄してきたことから、2008年に水木しげるさんが会長を務める世界妖怪協会から後世に遺す怪遺産として認定を受けているそうだ。


児啼爺の横から中に入る。1階が妖怪屋敷で、2階が石の博物館になっている。


屋敷内には、山道や里に現れたちょっと恐くてどこか面白い妖怪たちが待っている。


妖怪屋敷から大歩危駅に戻ってきたが、大歩危駅前にも妖怪シネマ博物館があり、ちょっと面白そうで見ていきたかったが、帰りの電車の時間が迫っていたので、おとなしく帰る事にした。


大歩危から特急列車で、瀬戸内海を渡り岡山駅に向かう。岡山からは新幹線で帰路についた。大歩危峡、祖谷峡には初めて行くことが出来たが、まさに四国の秘境にふさわしい場所でとても面白かった。

2023五島つばきマラソンツアー:5日目

2023-03-01 18:35:18 | 観光
日の出前の薄明るくなった頃、朝食前のひと運動という事で、ホテルの近くにある奈良尾神社のアコウの木を見に行く。奈良尾神社の境内にあるこの木は、地上約7メートルのところから下は二大根幹にわかれ、それぞれの目通りの周囲は約6メートル及び7メートルであり、国指定天然記念物になっている。


アコウの木からは多数の気根が垂れ下がり、参道を覆うトンネルとなっている。このトンネルをくぐれば「長寿が保障」となり、ありがたいパワースポットだ。樹齢は650年といわれ、戦国時代よりも遡る南北朝時代となり、長い時間にわたって奈良尾神社に鎮座し続ける巨木だ。


アコウの木からパワーを貰い、ホテルに戻る途中、ふるさと観音公園に立ち寄る。五島灘に面する奈良尾港を見下ろす高台に整備された、心字池を中心とした純日本庭園風の公園。黄金色に輝く観音像が、辺りを明るく照らしていた。


高台から海を眺めると、東の空が明るくなってきた。


7:05。水平線にかかっていた雲の上から日の出だ。


公園のすぐ隣が、宿泊したマルゲリータ奈良尾だ。朝食時に、ホテルの人から聞いた話では、「五島の椿プロジェクト」のサポーターに就任された吉永小百合さんが、CM撮影時に一週間ほど貸し切りで滞在されたらしい。


ホテルをチェックアウトした際、支配人から玄関前で集合写真を撮ってもらう。


この日の最初の観光スポットは、頭ヶ島天主堂だ。上五島地区では唯一、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」に登録された石造りの天主堂。ここだけは事前に見学を予約しておかないと入ることが出来ない。


頭ヶ島天主堂から少し下った海辺にキリシタン墓地がある。日本の墓地にある石碑と同じ形状のお墓だが、石の上には十字架が添えられている。弾圧の中で強く生き延びた信者たちの歴史が窺い知れる。


観光マップには、「龍馬ゆかりの地」という場所があり、五島にも坂本龍馬が来たのだろうかと気になって足を延ばす。


説明書きを読んでみると、坂本龍馬が長崎のグラバーより購入した洋型木造帆船「ワイル・ウエフ号」は、鹿児島へ向かう途中で大暴風雨にあい、ここ上五島の潮合崎沖で遭難してしまった。乗組員4人を除いた12人全員が海へと散った。知らせを聞いた龍馬が駆けつけ、殉難者の名前を刻んだ慰霊碑の建立を依頼したといわれ、その碑は江ノ浜の共同墓地で地元住民により今も大切に祀られているそうだ。


遭難の地を望んで合掌する「祈りの龍馬像」が建っている。


坂本龍馬像というと高知の景勝地「桂浜」の像が思い出されるが、合掌している像は珍しい。


旧鯛ノ浦教会。隣に新しい教会があり、現在は資料や図書の展示がされている。戦後に増築されたれんが造りの鐘塔は、1946年原爆により被爆した長崎の浦上天主堂の煉瓦が使われているそうだ。


敷地には、マリア像を祀ったルルドがある。


半日ほどで観光を終え、レンタカーを返し、奈良尾港に向かう。奈良尾港からはフェリーで2時間半かけて長崎港に戻り、長崎空港から帰路についた。長かったようであっという間に過ぎた五島の旅だった。

2023五島つばきマラソンツアー:4日目

2023-02-28 21:59:32 | 観光
早朝、福江島のホテルを出て福江港に向かう。福江港からはフェリーに乗って中通島の奈良江港まで乗船。約1時間の航海だ。

早速レンタカーを借りて、中通島の観光に向かう。中通島は五島列島の中では2番目に大きい島で、観光スポットもたくさんある。まず、最初に行ったのは、上五島の中心の教会となる青砂ヶ浦教会だ。鉄川与助設計施工によるもので、信徒が総出でレンガを運びあげたという素晴らしい教会で、国指定重要文化財になっている。


「鐘楼」の隣には「大天使ミカエル像」があり、ミカエルが悪魔を踏みつけているのが印象的だ。この日は、休館日で中を見られなかったのが残念だ。


次に立ち寄ったのは、冷水教会。冷水のほとんどの信徒は、迫害後、近辺や平戸や下五島などから移住してきた人々であるという。1907年に近くの丸尾郷出身の鉄川与助が棟梁となって初めて手掛けた木造教会だという。


冷水教会の近くにあるのが矢堅目公園。奈摩湾入口にあり、円錐形の奇岩と複雑な海岸線が美しい場所だ。階段を上り、展望所に向かう。因みに、矢堅目という一風変わった地名は、その昔、海からの外敵の侵入を見張るために、矢を持った兵士で堅めたことに由来している。


展望所の目の前には、円錐形の奇岩と東シナ海の雄大な景色が見える。矢堅目の岩越しに沈む夕日もまた素晴らしいそうだ。


矢堅目の奇岩をバックに記念写真。


奈摩湾の向こう側には、最初に寄った青砂ヶ浦教会がある。


展望所を下り、矢堅目の奇岩近くまで行ってみるが、風が強くて引き返す。


矢堅目を望む位置にある矢堅目の駅は、海水塩の工房になっていて、塩づくりの様子を見学することができる。


見学を申し出ると、社長さん?が丁寧に塩を作る工程の説明をしてくれた。


濃縮された海水の槽から海水をザルですくい上げると、濃厚な塩の塊が現われた。


矢堅目の駅の売店で塩を買い、ここの名物塩ソフトを食べる。


お昼になったので、五島うどんの店に行き、五島うどん地獄焚きを食べる。たっぷりのお湯でゆで上げたあつあつのうどんをしょうゆやあご(トビウオ)だしのたれで食べる。地獄炊きの名は、初めて食べた旅人が「しごくおいしい」とほめたのが、地獄おいしいと聞き間違えたのが、この言葉の由来だという説がある。


昼食を済ませた後、有川港に併設されている鯨賓館ミュージアムに寄る。大きな鯨のモニュメントが目印だ。




ここは、上五島の捕鯨の歴史を今に伝える鯨の資料館だ。ミンク鯨の骨格標本や実物大模型の展示のほか、江戸時代から近代に至る鯨業の歴史などを、パネルや映像で紹介している。


大曽教会。こちらも鉄川与助の設計施工で建てられた。レンガ造りの重層屋根構造、内部は3廊式でリブヴォールト天井をもち、外壁にはレンガの凹凸や色の違いを用いた装飾が行われている。


内部の柱が重厚な雰囲気だ。


後半はロングドライブで、景色がいいという若松瀬戸に架かる若松大橋に向かう。若松大橋は、白い全長522mのトラス橋だ。


若松瀬戸は中通島と若松島の間に広がる海のエリアのことだ。このエリアには桐ノ小島、上中島、下中島を初めとする約30の大小の島々が点在している。瀬戸内海を思わせるようなその風景は「若松瀬戸」の名前にぴったりで、リアス式の海岸線が美しいこのエリアは、西海国立公園の一部にも指定されている。


最後に向かったのは、日島の石塔群。関西方面の御影石や福井県の若狭方面の日引石など島外から持ち込まれた石材が多く使われている。大陸との交易品を運んだ帰りの船にバラストとして持ち帰ったといわれており、都や大陸と往来した海上交易の拠点であったことを物語る史跡だという。


中世から近世にかけての古墓群で、70基以上の石塔が累々と並ぶ風景は圧巻だ。


石塔群の先には藍色の深いブルーの海が広がっている。


4日目の宿は、中通島では有名なリゾートホテルに宿泊する。

「2023五島つばきマラソンツアー:5日目」に続く。

2023五島つばきマラソンツアー:2日目

2023-02-26 21:48:35 | 観光
2日目もまるまる1日観光の予定だ。まず、最初に向かったのは、日本最古の「ルルド」がある井持浦教会。1897(明治30)年、フランス人宣教師ペルー神父によって建立。レンガ造りの聖堂で、五島で初めてのロマネスク様式を採用しているそうだ。


1987年(昭和62年)の台風被害により、翌年,煉瓦風タイル張の教会に改築された。


1899(明治32)年には、フランスのルルド(南フランスの町、洞窟に聖母マリアが姿を現し、奇跡を起こしたとされる洞窟のこと)を模して、日本で初めてのルルドが造られた。井持浦教会のルルドは、信者によって五島各地から集められた岩石や珍しい石を持ち寄って造ったとされ、内部にはフランスから持ち込んだ聖母マリアの像が安置されている。


霊水は本場の奇跡の泉から取り寄せたものを洞窟横の泉水に注ぎ入れたものだという。霊水を試しに飲んでみる。何か奇蹟が起きるのだろうか。


井持浦教会を出て、福江島の最西端に位置する大瀬埼灯台に向かう。駐車場から灯台までは遊歩道が整備されていて、行きは下り坂のため20分ほどかかるという。


遊歩道を下っていくと、島の先端に白亜の灯台が見えてきた。


どんどん下っていくと、灯台が一際大きくなってきた。


ジグザクに造られた遊歩道を下って行く。


下りきって横を見ると、断崖絶壁の岩肌に青い波しぶきが打ち寄せている。


灯台までは、数十段の階段を上り返す。朝ドラ「舞い上がれ」で、ヒロインと幼なじみの友だちがここを登っていくシーンが思い出された。


大瀬埼灯台に到着する。ここは、九州本土で最も遅い時間に夕陽が沈む場所だ。海に突き出た断崖絶壁の上に建つ白い灯台は、青い海とのコントラストが美しく、「日本の灯台50選」に選ばれている。また、映画『悪人』のロケ地としても有名だ。


当初は、夕方くらいに訪れて東シナ海に沈む夕陽を見たかったのだが、昼前くらいから雨になるとの天気予報だったので予定変更で午前中にしたのだ。ただ、あいにくの曇り空で海の色も今ひとつ。雨に降られずに来られただけで良かった。駐車場に戻ると、雨が振り出し、ギリギリセーフだった。


その後は、雨の中をドライブしながら観光スポットを回る。この荒川温泉は、古くから温泉郷として湯治客などでにぎわった五島で最も歴史のある温泉だ。足湯は、荒川温泉旧バス停の老朽化での改築に際し、温泉のイメージアップと癒しなどの目的でバス停と待合室を兼ねた足湯にリニューアルされた。


五島で一番美しい海とされる高浜海水浴場。遠浅の浜に波が打ち寄せる様子が素晴らしい。


その後は、3日目に走る五島つばきマラソンのコースの下見がてらのドライブにする。国道端で聖母像にむかえられて入ると、畑の向こうに白壁で木造の貝津教会がみえる。


この教会の最大の特徴は、ステンドグラスを通して差し込む赤や青、緑色の鮮やかな光の芸術が素朴なぬくもりのある空間を彩っている。


マラソンのスタート&ゴールとなる道の駅遣唐使ふるさと館を見ていく。すでにマラソンのゴールゲートは設置されていた。


五島のキャラクターであるバラモンちゃん、つばきねこ、ごとりんの顔出しパネルで記念写真。


五島列島・福江島の北西部、東シナ海に面した三井楽は、遣唐使船が大海原(東シナ海)に漕ぎ出す最後の陸地だったという。その遣唐使船を模したモニュメントに乗ってみて、遣唐使の思いにはせる。


最後に、福江城二の丸跡に立つ五島観光歴史資料館に閉館間際に立ち寄る。天守閣を模した館内の1階~3階に展示室があり、古代の暮らしや五島の遺跡、遣唐使と倭寇、キリシタン信仰、五島藩の形成、観光名所、民俗行事など五島の歴史文化が時代順に分かりやすく展示され、見ごたえがあった。


その後、ホテルに戻り、翌日のマラソンの準備をして眠りについた。

「2023五島つばきマラソンツアー:3日目マラソン」に続く。