とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2022奈良・釈迦ヶ岳

2022-06-06 09:56:22 | 山登り
先週末は、奈良県南部の吉野郡十津川村と下北山村の境界にある大峰山系の山である釈迦ヶ岳に登ってきた。日本二百名山に選定されており、釈迦ヶ岳山頂周辺は、ユネスコの世界遺産に登録された『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成要素としての「大峯奥駈道」のルートのひとつとなっている。

釈迦ヶ岳の登山口は、国道から車で1時間以上もかかるかなりアクセスの悪い場所だが、朝7時くらいに駐車場に着くと、かなりの車で埋まっており、わずかなスペースを見つけてぎりぎりで駐車することが出来た。駐車場にはトイレもあり、世界遺産ということもあり整備されている。登山届を出して歩き出す。


歩き出してすぐに急坂となり、木の根が剥き出しになっている岩場を登っていく。


緩やかな登山道になり、展望が開けてきた。遠くには、釈迦ヶ岳の後に向かう大日岳の尖がりピークが見える。


その後は、開けた笹原の登山道が続いていく。


この日は絶好の登山日和となり、展望を楽しみながらの山歩きとなった。


大日岳が、大分近くに見えるようになってきた。


そしてこちらが、これから登ろうとしている釈迦ヶ岳だ。さえぎる大木もなく、とても歩きやすい登山道だ。


後ろを振り返ると、今まで歩いてきた道もよく見える。


笹原の奥にシカの親子がいるのを発見。この後も、シカを何度も目撃する。


シロヤシオの花も咲いている。


登山道から少し外れた場所に湧水が出ていて、冷たい水で喉を潤す。


登山口から2時間ちょっとで釈迦ヶ岳山頂が見えてきた。有名な釈迦如来像と錫杖が見えて感動する。


この釈迦如来像は、大正13年(1924年)に「鬼マサ」の異名で知られていた岡田雅行(1886年 - 1970年、身長188 cm・体重約120 kg)という強力が、たった一人で道をつくりながら、3分割して担ぎ上げたと伝えられる。これほどの銅像を人間一人の力で持ち上げたというから驚きである。


標高1800m釈迦ヶ岳の釈迦如来像の前で記念撮影。


釈迦ヶ岳で展望を楽しんだ後、少し戻り、大峯奥駈道に進む。


ここから大日岳まで下っていく。大峯奥駈道とはいえ、この辺りの道は普通の登山道だ。


大峯奥駈道には、大峯七十五靡(なびき)と呼ばれる神仏が宿るとされた拝所・行場が遺跡として残り、祠や仏像などが点在している。釈迦ヶ岳は40番目の靡だったが、尾根の東側の岩盤にぽっかりと小さな穴が開いているのは、くぐると極楽に行けるとされる39番目の靡である「都津門(とつもん)」だ。


避難小屋と灌頂堂(かんじょうどう)が建っているのが、「深仙の宿(じんせんのしゅく)」と呼ばれる38番目の靡だ。


見通しのよい鞍部にあるこの「宿」は、役行者が深い瞑想行を行ったいわば「神の庭」であり、彼の祈願によって数多の仙人や神々が現れたと伝えられている。この不思議な形の木は、まさに神が現れてもおかしくないような雰囲気を感じさせてくれる。


「深仙の宿」のすぐ先で大日岳への入り口に出る。


岩場をよじ登っていくと、真正面には堂々とそびえる大日岳1568mが見えてきた。大峯山脈の霊的シンボルとも言えるこの山は、急斜面の鎖場が30メートルも続く命がけの行場である。自信の無い人は、西側の巻き道を登った方がいいとの事だったが、まき道もかなり危険だという事で、この場所から大日岳を仰ぎ見て引き返す。


再び「深仙の宿」に戻る。釈迦ヶ岳南壁を望むと巨大な露岩が4つ並び「四天石(してんせき)」と呼ばれている。向かって左から広目天・増長天・持国天・多聞天となるが、ここでは香正童子・役行者・聖天・財天にもなぞらえているそうだ。


「四天石」を眺めながら「深仙の宿」でランチ休憩とする。


「深仙の宿」の分岐から、釈迦ヶ岳登山道への近道となるルートに進み、登山口から歩いてきたルートに合流する。行きの時は気付かなかったが、千丈平には小さな池があった。


下山も見通しがいい笹原の中を進む。


途中から、大日岳の行場である岩場を遠望する。やはりとても怖くて登れそうにない。


みんな楽しく登れて満足げに下山して行く。


14時過ぎ、太尾登山口に無事到着する。駐車場には、まだマイクロバスをはじめかなりの車が残っており、関西では人気のある山のようだ。


その後、大塔温泉「星乃湯」で汗を流して帰路につく。

参考1.釈迦ヶ岳の高低図&コースタイム


参考2.釈迦ヶ岳のコースマップ