お遍路では、毎日何度も般若心経を唱えていたが、ただ経本に書いてある通りに読んでいたに過ぎない。
完全に暗記したわけではないが、ところどころのフレーズは、ふと口から出てくるようになった。
仏教に傾倒したという訳ではないが、何故このお経を毎回唱えるのか気になってきた。
お遍路の巡拝の時は、暗記で唱えるのではなく、経本を読みながら唱えるのが正しい作法とされている。
読んでいくうちに、般若心経に書かれている一つ一つの漢字の意味が頭に浮かんでくるようになるからだと聞いている。
しかし、何度も読んだとはいえ、まだまだ何の意味かも分からず唱えているだけで、悟りを得るなんてほど遠い。
せっかく興味を持ったのだから、般若心経の意味をもっと知りたくなった。
そんな訳で、いろんな解説本を読んで勉強してみる事にした。
解説本も山ほどあって、どれがいいか判らないが、いくつか図書館の蔵書からピックアップしてみた。
それだけで全て判ったなどとは言う気もないが、自分なりの解釈を見つけてみたいと思う。
完全に暗記したわけではないが、ところどころのフレーズは、ふと口から出てくるようになった。
仏教に傾倒したという訳ではないが、何故このお経を毎回唱えるのか気になってきた。
お遍路の巡拝の時は、暗記で唱えるのではなく、経本を読みながら唱えるのが正しい作法とされている。
読んでいくうちに、般若心経に書かれている一つ一つの漢字の意味が頭に浮かんでくるようになるからだと聞いている。
しかし、何度も読んだとはいえ、まだまだ何の意味かも分からず唱えているだけで、悟りを得るなんてほど遠い。
せっかく興味を持ったのだから、般若心経の意味をもっと知りたくなった。
そんな訳で、いろんな解説本を読んで勉強してみる事にした。
解説本も山ほどあって、どれがいいか判らないが、いくつか図書館の蔵書からピックアップしてみた。
それだけで全て判ったなどとは言う気もないが、自分なりの解釈を見つけてみたいと思う。
毎日唱えていらしたから きっと暗唱できるほどにおなりだろうって 一度伺ってみたいと思っていました。
その意味もきっとだんだんお判りになっていらっしゃると思っていましたが・・・
やはりお経の文句は難しいですね。
道元禅師の
「正法眼蔵」
の ごくごく優しくかかれた解説書を読んだことがありますが
原本漢字は勿論わけの判らない文字の羅列で それを口語体に訳してあってそれでも何がなんだかよく判らなくて さらに判りやすく解説してあるそこ迄読んで ようやくほんの少し意味が取れるかな と言うレベルで 同じ日本人でありながら 私のあまりのわけの判らなさに呆れて
「正法眼蔵」 すっかり懲りました。
とっちーさんのことだから
「般若心経」
は きっとご自分のものになさるでしょう。
お遍路の本当のコンプリートですね。
むしろ、初めてその入り口に立つ気になったという程度だと思いますよ。
今まで、仏教関係の事は、まったく無関心でしたが、年齢を重ねることで関心が向くようになってきたのかもしれません。
「空」と「無」……
偏らない
とらわれない
惑わされない
広く広くもっと広く
空の心
だと、アッコは思います。
(ひみつのアッコちゃんより)
と思ってしまいます。
分からないほうがありがたみがあるのか?
昔は文字の読めない庶民のために南無阿弥陀仏、とか南妙法蓮華経とかだけを唱えれば極楽浄土への道が開けると教えたりしたようだ。
所詮宗教は人間が作ったものである。
というのが今のところの考えです。
アッコちゃんは、写経を一杯したのなら、それを持ってお遍路ができますよ。
般若心経には、「空」と「無」は多いですね。
特に「無」という文字がやたらにありますね。
アッコちゃんの解釈も参考にして、意味を勉強してみたいと思います。
もちろん、人間が作ったものであるからこそ、それにすがるというのが宗教心なのでしょう。
お経は、とにかく訳が分からない言葉の羅列に思えてしまいがちですが、
その一つ一つの文字には、大きな意味が隠されているのだと感じるようになりました。
般若心経をひととおり勉強してみたいと思います。