「季節風」135号に、児童文学評論家・土山優さんが『オオカミのお札(三)ー美咲が感じた力』の書評を書いていただきました。
三部作を丁寧に、一冊ずつ書いてくださって、1は、森くま堂さん、2は草香恭子さんが書いてくださいました。今回が〆になります。
土山さんは、『オオカミのお札』の世界観をとても興味深く読んだ。と書いてくださっています。北海道にお住まいなので、こういう土着の信仰が身のまわりではあまりないとか。そうなのかもしれません。一部抜粋します。
「願いをかなえてくれるわけではない。死んでいく人を助けるわけでもない。でも、ずっとここにいる。ずっと見守ってくれている。」このセンテンスに私は深く頷いてしまう。ここにはカミとともに生きてきた人々の生活の勁さがある。中略 カミとともにある生活は変わらず続いてきたし、これからも続いていくだろう。その生活の落ち着きと時間のめぐりが、人々の傷ついた心をゆっくりと癒していく。これがカミの力でなくて、何であろう。
恥ずかしながら、勁 という漢字。読めませんでした。「つよさ」でした。
土山さん、ありがとうございます。
今回は、『なみきビブリオバトル・ストーリー2 決戦は学校公開日』(共著/さ・え・ら書房)の書評も掲載いただきました。書いてくださったのは、丸山千輝さん。
また、私は、『リーナのイケメンパパ』田沢五月(国土社)の書評を書きました。
『オオカミのお札』児童文芸家協会賞受賞の言葉は、我ながらなかなか強気です(笑)。
それにしても、この「季節風」は作家もそうでない人も対等で、投稿作品への厳しい評が、読み応えあります。
ある作品に対して、
きれいにまとまっている作品だった。うまい書き手だなとも思う。けれどどうしても物足りなさを感じてしまう。「どこらへんが?」と問われたら、「全部が」と答えるほかはない。 という書き出しの評があり、おおー! となりました。正直自分にこれを言われたら、きついです。
こういう厳しさに耐えられず、あるいは怒ってやめていった人を何人も知っています。
私も、最初に投稿した作品に、亡き後藤竜二さんに「途中で読むのがいやになった」と書かれましたよ!
奮起して先に進めるかどうか、なんだと思います。
がんばれ! (ここ、読んでないかもですが)
私もがんばる。
三部作を丁寧に、一冊ずつ書いてくださって、1は、森くま堂さん、2は草香恭子さんが書いてくださいました。今回が〆になります。
土山さんは、『オオカミのお札』の世界観をとても興味深く読んだ。と書いてくださっています。北海道にお住まいなので、こういう土着の信仰が身のまわりではあまりないとか。そうなのかもしれません。一部抜粋します。
「願いをかなえてくれるわけではない。死んでいく人を助けるわけでもない。でも、ずっとここにいる。ずっと見守ってくれている。」このセンテンスに私は深く頷いてしまう。ここにはカミとともに生きてきた人々の生活の勁さがある。中略 カミとともにある生活は変わらず続いてきたし、これからも続いていくだろう。その生活の落ち着きと時間のめぐりが、人々の傷ついた心をゆっくりと癒していく。これがカミの力でなくて、何であろう。
恥ずかしながら、勁 という漢字。読めませんでした。「つよさ」でした。
土山さん、ありがとうございます。
今回は、『なみきビブリオバトル・ストーリー2 決戦は学校公開日』(共著/さ・え・ら書房)の書評も掲載いただきました。書いてくださったのは、丸山千輝さん。
また、私は、『リーナのイケメンパパ』田沢五月(国土社)の書評を書きました。
『オオカミのお札』児童文芸家協会賞受賞の言葉は、我ながらなかなか強気です(笑)。
それにしても、この「季節風」は作家もそうでない人も対等で、投稿作品への厳しい評が、読み応えあります。
ある作品に対して、
きれいにまとまっている作品だった。うまい書き手だなとも思う。けれどどうしても物足りなさを感じてしまう。「どこらへんが?」と問われたら、「全部が」と答えるほかはない。 という書き出しの評があり、おおー! となりました。正直自分にこれを言われたら、きついです。
こういう厳しさに耐えられず、あるいは怒ってやめていった人を何人も知っています。
私も、最初に投稿した作品に、亡き後藤竜二さんに「途中で読むのがいやになった」と書かれましたよ!
奮起して先に進めるかどうか、なんだと思います。
がんばれ! (ここ、読んでないかもですが)
私もがんばる。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます