私は、
私の布団というものを持っていない。
おはようございます。
私にとって、睡眠するに布団など必要ない。
布っ切れ一枚あれば、どこでだって眠れる。
けれど、この布っ切れは、欠かせない。
どういう訳か、体に一枚、何か掛けるだけで、大いに安心感が得られる。
その一枚は、どんな布っ切れでもいい。
いやもはや、敷布団を掛けたって、重いだろうが眠れる気がする。
私は、子供の頃から、あまり布団と縁がない。
姉と共有していた子供部屋は、いつしか姉の部屋になっていた。
それからは、普段使わない応接室をねぐらにしていた。
6畳ほどの部屋で、天井からは派手なシャンデリアがぶら下がり、
窓には真っ赤なビロードのカーテンが掛けられていた。
真っ赤といっても、鮮やかな赤ではなく、
まるで静脈を流れる汚れた血のような色だった。
壁は、金糸の刺繍が施された特注の壁紙が張られ、
ガラスのテーブルは子供の力では動かせないくらい重く、
窮屈そうに置かれた3人掛けソファーは黒い本革製だった。
これらは全て、母が選んだ。
「家は狭くてぼろいけど、置いてあるもんは高級品や」
これが母の自慢だったが、酷く安っぽい台詞に聞こえて、
子どもながらに恥かしくなったのを覚えている。
私は、その高級な本革製のソファーで、薄汚れた毛布にくるまって寝ていた。
毎晩のように酔っぱらって言い争う両親の声を塞ぐようにすっぽりくるまると、
本革の匂いと毛布のかび臭さが混じり合い、まるで別世界にいるような気になった。
毛布の中の世界では、お姫様にだってなれたし、薄幸の美少女にもなれた。
歌の上手い歌手になってみたり、魔法使いにもなった。
色々なものになったが、共通しているのはかび臭いという点だった。
家が静かになった夜中、
台所のテーブルで母が酔いつぶれた時は、そのかび臭い毛布を肩に掛けてやったこともある。
それにくるまれば、幸せな夢が見られるかもしれないじゃない?
あの時、母も、かび臭いお姫様になれただろうか。
皮肉なことに、50になった今、また薄汚れた毛布にくるまっている。
別世界に誘うかび臭い毛布じゃない。
一応、時々洗っているから、かび臭さはないはずだ。
ただ、別の布っ切れに替えられないのだ。
この毛布は、私ではなく、たれ蔵を別世界へ誘っているからだ。
ふみふみ、ふみふみ
ふみふみするに、この毛布が最も相応しいらしい。
口に含んで、ふみふみふみふみ
私の匂いがするからかな?
たれ蔵は、あんまり手を掛けて育てらていない。
保護した頃は、よねの闘病で忙しく、
それが済んだら、新たな子猫がやって来たからだ。
ただ、あの頃は、うんこが居てくれた。
たれ蔵は、うんこがいたから、
酷くは淋しくなかったかもしれないな。
けれど最近、ふっと気が付いた。
たれ蔵が、こんなに頻繁にふみふみするようになったのは、
うんこが逝ってからだったと。
うんこ、ありがとうな。
たれちゃん、ごめんね。