うめと愉快な仲間達

うめから始まった、我が家の猫模様。
犬好きな私は、チワワの夢を見ながら、
今日も癖が強めの猫達に振り回される。

そこに、笑いはあるんか?

2022年09月10日 | カズコさんの事

昨日は、

かずこさんの初デイサービスだった。

 

おはようございます。

バスでお迎えしてもらうのが通常だけれど、

お初ということで、私が送っていく事にした。

当のかずこさんは、

「さっと被って(カツラを)、適当なもん羽織って(服を)

行きゃええんやわな。」

と余裕な発言のわりに、

入念にカツラをセットし、お気に入りの水玉のシャツを羽織り、

久し振りに、ファンデーションを塗っていた。

「あれ?おっかしいなぁ。」

と何やら、探し物をしていたので聞いてみると、

「頬紅が、あらせん。どこいったんやろ?」

と、更に化粧を施そうとしていた。

かずこ、気合入ってる。

私は、次の金曜日までに、頬紅を買っておこうと思った。

次があれば…の話だが。

 

結果、12時前に電話が鳴った。

「かずこさん、娘さんが迎えに来るから帰らなきゃっておっしゃって、

ソワソワしちゃっています。」

という事なので、迎えに行った。

これは、想定内だった。

「慣れるまでは、早めにお帰りになる方も多いです。」

と、スタッフさんから聞いていたからだ。

 

ただ、帰宅途中の、かずこさんの反応は想定外だった。

「楽しかった?」

と聞くと、かずこさんは、

「あの人ら、面白いなんてもんやないぞ。

そこら辺の芸人より面白いぞ。」

と思い出し笑いしながら言う。

そうだろう、そうだろう。

私が見学へ行った際、

スタッフさん達から度々漏れ出す、おもしろオーラを見逃すわけがないのだ。

何十年、お笑い番組を観てきたと思ってんだ?!

特に、相談員のカミヤさんは、間違いなくツボを押さえた面白い人なんだ!

「なら、どうして帰ってきちゃったん?」

そうだ、どうしてなの、かずこよ?

すると、かずこさんは、やっぱり大笑いしながら、

「あんな面白いとこ、どうもならん。どうにか、なってまう。

わしは、あんな面白いとこ、二度と行かんとこうとも思っとる。」

と言うではないか。

はてさて、面白いから二度と行かぬとは、どんな感情なのだろうか?

いやでも、その発言、分からないでもない。

かずこさんは、大いに我儘だが、気遣いしようとする心は持っている。

むしろ、強い。

その気遣いは、いつだってズレているけれど、でも強く持っている人だ。

だから、あんなに面白い人達に囲まれ、だったら自分も面白くさせなくっちゃって考え、

そのプレッシャーに押し潰されそうになったのじゃないだろうか。

だから、

「わしも、けっこう、どしゃべったけど、かなわん。

お前が混じったら、もっと酷い事になるで、次はお前も一緒に参加した方がええ!」

という発言になったのだろう。

もっと酷い事とは、なんとも、かずこさんらしいブラックジョークだ。

どうやら、現場は『オモシロ対決』と化していたようだ。

うわ~、参加してぇ~!!

さて、来週はどうなるかな?

 

昔、私は母のことを、

「あの人は、なんでも金で解決しようとする」と気に入らなかった。

「ありがとう」と言えばいいのに、それを言わず、金を渡す行為が、

とても嫌な気分になった。

今も、なにかにつけ、親切にしてくれる人に小遣いを渡そうとする。

時には、こそっと私のバッグに一万円が忍ばせてあったりもする。

私は、最近は素直に「ありがとう」と言って貰う。

そして、後でこそっと、かずこさんの財布に戻している。

戻す時、その財布は空っぽだ。

持ち得る全額を、人にくれてやるだなんて、

「かずこさん、きっぷがいいねぇ」と感心さえしてしまう。

 

こんなにお金くれちゃうと、年金無くなるでっと言うと、

「わしは、内緒でパチプロして働いとるで、金ならようけ、あるんやで」

と、どや顔で見え透いた嘘をつく。

ボケた老婆の、渾身の嘘だ。

私は、なんて優しい嘘だろうと、泣きそうになる。

 

きっと、この人は、ずっと嘘をついて生きて来たのだろう。

強がって、虚勢を張って、見栄を切って、後ろめたい気持ちになって、

それでも突進していくしかなかった。

不器用で、愚かで、人の気も分からない癖に、

嘘をついて、色んな人に煙たがられてきたのかもしれない。

その嘘の中身は、本当は優しさだったのかもしれないのに。

ズレてるけど・・・。

 

私は、ボケた母との暮らしを、実は楽しんでいる。

不謹慎なのかもしれないし、呑気に思われるかもしれない。

「いや、大変なんだ。これは大変で辛いことなんだ。

もしかすると、今後どえらい辛いことになっていくんだ、きっと。」

と思おうとしても、やっぱり楽しい訳だ。

泣いて笑って、振り回されて、時にはがっくり肩を落とす。

腹も立つし、やり切れない気持ちにもなる。

先々の不安を纏いながら、それでも今、私は楽しい。

全部ひっくるめて、楽しいとしか思えない。

一種の変態発言かもしれないが、これは『かずこの奇跡』だと思えてしまう。

『ぼけ老人の奇跡』だ。

 

偉そうには言えない。大声でも言いづらい。

でも私は、どこまででも、かずこさんを笑わせていきたい。

非常に不真面目なことばかり、企んでいる。

けれど、それさえブレなければ、この奇跡は続いて行くとも考えている。

これは、私とかずこさんのチャレンジだ。

『そこに愛はあるんか?』のように、

『そこに笑いはあるんか?』を基準に進んでみよう、命の終着点へ。

 

「わしは、全然面白ないけどな」

って、かずこさんは思っているかもしれないけどもが・・・。

 

そんなことより、おい、おたまったら!

お前、お前ったら、何してるんだ?!

 

おおおおおおまえ、ゴロゴロ言いながら、おじさんに甘えてんの?

私には、こんな事、絶対しないのに?

 

私には、『おたまの奇跡』に出会えない・・・。


結局、トイレかよ!

2022年09月08日 | 日記

年を追うごとに、

可愛いものに心惹かれていくのは、なぜだろう。

 

おはようございます。

若い頃は、まるで魔女だった。

しかも、使っていたのは黒魔術だ。

というくらい、闇が似合う服装を好んだ。

露出狂のカメレオンみたいな時代もあったが、

落ち着くのは、全身真っ黒な装いだった。

『カッコいい』に憧れていた。

 

そんな私も、30代で、黄色のカーディガンを着てみたり、

ギンガムチェックのワンピースを着てみたりした。

髪も、「どうしたの?爆発事故に巻きこまれたの?」と思われるような、

パーマネントを掛けてみたりした。

あの時、私は美容師さんに、

「欧陽菲菲にしてください。」

とオーダーした。

イメージは、ワッフルヘアーのアメリカの女の子だったが、

どう伝えればいいか分からず、欧陽菲菲と言ってしまった。

 

40代になり、今度は米倉涼子に憧れて、

「米倉涼子さんみたいなボブにしてください。」と

オーダーした。

長い髪をばっさり切るという、かなり覚悟したオーダーだ。

ところが、その美容師だんが、

「ボク、テレビ観ないから、その人知らない。」

と言うではないか。

私は焦った。

焦り過ぎて、『ヘアーカタログ』ではなく『女性自身』を手に取ってしまった。

『女性自身』の中から米倉涼子を探したが、そんな時に限って、

当時、飛ぶ鳥を落とす勢いの米倉涼子の写真が見つからない。

その代わりに、別の有名人の写真を見つけ、

私は、それを美容師に見せて、オーダーした。

「IKKOさんにしてください。」と。

こうして私は、米倉涼子ばりのボブではなく、

IKKOばりのおかっぱになったのだった。

知らず知らずのうちに、IKKOさんのお洒落にも感化されていき、

色鮮やかなバッグなどを持ってみたりした。

 

けれど50になり、また髪を伸ばしている。

それを頭の上の方で丸めているのが常だ。

だからか、先日、弊社のドライバーさんに

「おかっぱちゃん、サザエさんのお母さん(フネさん)に似てるね。」

と言われた。

だからといって、和服を着ようとは思わない。

普段から、和服を着る生活には、憧れているが難しい。

今、私が現実的に「これ、可愛い」と思える洋服は、

気付けば、どれもこれも、大屋政子さんが着ていたようなワンピースだ。

どういう訳か、『やたらめったら可愛い』タイプのものに、

自分のアンテナが反応してしまう。

苺模様のワンピースなんて、お財布の中身が足りていたら、即買いするところだった。

 

家の中も、少しづつ、可愛いものが増えてきた。

私の暮らす家の理想は、シンプルを越えて、『もぬけの殻』だ。

そこは今も変わらないはずだが、

先日、100均でブランコを見つけたから、

こうして、カエルちゃんとうんこのネズミを飾っている。

「可愛い、うふふ、可愛い」とか言っちゃってる。

 

だから、たれ蔵も

どうしようもなく可愛いと思ってしまうのだろうか?

歳のせいなのだろうか?

 

たれ蔵は、まるで現実には存在していないように思える。

間違いなく、いる。

けれど、たれ蔵との時間は、現実味を帯びていない。

現実と夢の狭間にいるみたいな気持ちになり、

現実を確かめるために、たれ蔵に触れると、

その被毛は、信じられないくらい、滑らかで柔らかだ。

それはまるで、清流の緩やかな流れのようで、丘に吹く優しい風のようだ。

 

たれ蔵!

 

たーれぞっ!

 

たれちゃん?

たれ蔵「ぴー」

 

うふふふふふふふふ、うふふふふふふふふふ

あっ、そうそう。

トイレのマット、替えました。

 

 


愛の言葉は、矢のごとく

2022年09月06日 | カズコさんの事

父は怯えていた。

 

おはようございます。

日曜の朝、いつものように実家へ行くと、

父も、いつものように、

「おい、ばば、おかっぱが来たで、どっか連れて行ってもらえ。」

と言うはずだが、この日は違った。

「今日は、どこか行くか?行くんなら気を付けてくれよ。」

などと言うではないか。

どうしたことだろうと聞いてみると、父は声を潜めた。

「あのよぉ、昨日の晩、ばばが、あいつが、

本当のこと、言うたろか?ってしゃべり出したんだ。」

当のかずこさんは、自分の部屋で出かける準備をしている。

父は、それを確認して、更に声を潜めた。

 

「わしは、あんたと結婚して良かった。って、言ったんや。

わしはあんたと結婚できて、幸せやっとも言った。

あのばばが、そう言ったんや。そんなこと言ったのは初めてだ。

それで、俺はゾッとした。

だから、とりあえず俺は当分、家から出ないように気を付ける。

お前も、気を付けてくれ。頼む。」

 

たしかに、かずこさんは、そんなことを言うような人間じゃない。

父の話を聞いて、当然、私もゾッとした。

「父さん、こりゃ、空から矢が降ってくるか、宝くじ当たるか、

どっちかだ。

それっくらいの奇跡が起きるに違いない。」

私は慌てて、仏壇に飾ってあった『サマージャンボ』を手に取って、

かずこと宝くじ売り場へ向かった。

「買って以来、存在を忘れていたサマージャンボ、当たっちゃってる~!」

私は、そう叫びながら運転した。

 

結果は、外れだった。

なんだよ、なんなんだよ。

あれは、なんだったんだろうか・・・

 

そんなわけで、我が家にも叫ぶのがいる。

あや「おばちゃ~ん」

なに?なんなの?

 

あや「おばちゃんってば~」

だから、なんなの?

 

あや「だから、おばちゃんってばってばてば~」

どうしたのっでばでば~?

 

あや「おばちゃーーーーーー」

なんだーーーーー

って、この騒ぎの中、よく寝ていられるな、おたまってば。

ちなみに、かずこさんも、あの騒ぎの中、我関せずだったという。


独走デイ

2022年09月04日 | カズコさんの事

かずこさんの

デイサービス・デイが決まった。

 

おはようございます。

毎週金曜日に通うことになった。

初日は、お迎えのバスではなく、私が送ることにした。

当分の間は、そうなるかもしれないし、

施設を早退することもあるかもしれないし、行きたがらなくなるかもしれない。

私は、そうなっても、決してガッカリしないように、

かずこさんを責めたりしないように、

今からイメージトレーニングをしようと思っている。

最低最悪パターンをイメージするのだ。

 

そうだなぁ。

かずこさんが、施設で暴れて暴言を吐き、

慌てて迎えに行ったら、とても陽気だったはずの、あの女性職員さんが、

見たこともないような悲惨な表情を浮かべて立ち尽くしている。

そんなイメージをしておこう。

私は歩きながら流れるように、土下座しよう。

まるで、人間の進化を遡るように、

玄関のホモサピエンスは、スリッパを履くついでに北京原人へもどり、

かずこの元へ辿り着く頃、アウストラロピテクスに遡り、

猿のように跪く。

完璧だ。完璧なイメージだ。

よし、やれる気がして来た。

 

たかがデイサービス、されどデイサービスだ。

私には我が子がいないから分からないが、

我が子を初めて保育園へ預ける母親の気持ちと似た心境なのかもしれない。

そして、どんどん分からなくなってくる。

どうして、かずこさんをデイサービスに行かせようとしているのか?

という、根本的な所で迷子になっているのだ。

 

ボケて何が悪いんだろう?

かずこがボケて、何が困るって言うのだろう?

人は、野生では生きられない。

ありのままで生きることが難しいということだ。

人間だって動物なのに、野生という言葉が最も似つかわしくない。

 

老い痴れて、片乳を放り出し、道を歩きながら便を垂れ流していたら、

何がどう、いけないというのか。

その人が、訳は分からなくとも、笑っていて、

凄く楽しいそうでいるのなら、それでいいんじゃないだろうか。

少なくとも私が、かずこさんに望んでいることは、

社会の中で行儀よく収まってくれていることじゃない。

かずこさんが、楽しくて笑っていられて、

時々、痛い苦しいがあったら、適当な薬でも飲んでみて、

それでもダメなら、少しでも心が和らぐように、

美しい極楽の話を聞かせて、最期まで極楽の夢を見ながら眠って欲しい。

 

などと、現実的じゃない、呑気な夢を見ているのは、私のほうだな。

そんな妄想めいた夢を頭の片隅に潜めつつ、

社会のルールにのっとったうえで、

かずこさんの今後がいい感じになれば、幸いだ。

きっと、私の心配も社会も秩序も何もかも、かずこさんならぶち破れる。

ぶち破って、どういう訳かうまい具合になって、

そうして、かずこさんはしたり顔で笑うのさ。

あの人は、自分の野生を決して捨てない。

だから迷子になどならないから、きっと大丈夫だ。

 

さて、我が家のちびっ子チンピラも、

相変わらず、独走している。

のん太「ちょっと、違う気がするんら」

何が違うの?

 

のん太「ちゅごく、ずれてる」

えぇっ?

 

のん太「こうちて」

 

のん太「ほいちょ、こうちてやるんら」

 

のん太「よち、完璧ら!」

ちゅごく、ずれてまちゅけど~?


白いユリが枯れるころ (追記)

2022年09月02日 | 日記

8月になると、

あちらこちらの道端に、白いユリをよく目にした。

 

おはようございます。

9月になり、白いユリはすっかり枯れていた。

調べてみると、

あれは、タカサゴユリというらしい。

外来種だそうだ。

庭に咲くなら許されるが、外に咲く花はよそ者扱いになる。

まるで、猫と似ている。

 

我が家にいる白い猫は、大元は会社付近で暮らした野良猫のおかげだ。

当時私は、その野良猫をシロと呼んで、追いかけ回していた。

白くて美しい雌猫だったからではない。

会社付近で、子猫を産んだからだ。

 

シロに避妊をしてもらうべく、私はまず、餌付けを始めた。

彼女は、そもそも飼い猫だった猫だ。

引っ越しのついでに捨てられた訳で、生粋の野良猫じゃない。

だから私は、

「もう一度、人間を信じて。」

と願いながら、毎日餌を持ってシロを探した。

避妊をしてもらうからには、シロの一生を保証する。

私にとって、それは最低限の誓いだった。

 

実際、シロは人間とのコミュニケーションを知っていた。

「シロ」と呼ぶと、小さく鳴いた。

まるで、育ちのいい純血種みたいな声だった。

しかし、距離は一向に縮まらないまま、1年過ぎた。

毎日、餌を用意しても、シロが私を訪ねてくるのは、週に2度ほどだ。

それ以外の日は、おそらく他のどこかで糧を得ていたのだろう。

その1年の間に、シロが産んだ子猫の中に、、我が家のおたまがいた。

餌については、私を最優先に頼ってくれないくせに、

シロは、どういう訳か、我が子の中から、おたまを私に渡した。

そう、私はあの時、シロに託されたっと感じたのだ。

見た目可愛い子猫だったが、これがなかなか子猫の頃から

すでに気難しい猫だった。

おたまを託されたのは、10月の良く晴れた日だった。

 

その翌年の夏も、シロは3匹の子猫を産んだ。

けれど、2週間過ぎた日、道に散った。

灰色のアスファルトの上に横たわるシロは、

まるで、子供の悪戯で、道に打ち捨てられた白ゆりみたいだった。

不思議なことに、シロが死んだ、あの年だけ、

シロの縄張りだった駐車場の片隅の高台に、白いユリが一輪だけ咲いた。

それは、まるで見慣れた風景に見えた。

高台からジッと目を逸らさず私を見る、シロの姿のようだったからだ。

私は、そのユリの前で、手を合わせて誓った。

「シロの最後の子猫達は、必ず幸せにします」と。

 

あの時の3匹は、

まだ歩けもしない幼い子猫だったから、シロが死んで間もなく難なく保護できた。

今でも、我が姉の家で、幸せに暮らしている。

2匹は、シロによく似た真っ白で美しい猫、残りの1匹は黒猫だ。

けれど、シロとの付き合いの中で、保護しきれなかったシロの子は何匹もいた。

のん太やたれ蔵は、その生き残りの血を引いているに違いない。

 

猫は、外にいれば野良猫だ。

けれど、彼らだって美しい猫だ。

そして、白いゆりは、庭に咲く時だけ美しく見えるのだろうか。

私は、白いゆりが枯れていく姿を見ると、

すこし、皮肉めいたことを考えてしまう。

 

さて、我が家の白い猫達は

のん太「あっ、かかぁら!」

ねえ、そこ大丈夫?

 

落ちないかしら?

 

のん太「かかぁ・・・かか・・」

 

こっちは

おたま「あっ、おばちゃんだ。」

う、うん。

 

おたま「よぉ!」

よ・・・よぉ?!

どっちも変な恰好しがちなのは、シロの血か?