maria-pon

お着物Enjoy生活からバレエ・オペラ・宝塚etcの観劇日記に...

イタリア映画祭2011 「われわれは信じていた」

2011-05-11 14:09:12 | FILM
今年も、有楽町朝日ホールで開催された Festival del Cinema Italiano2011
このイタリア映画祭も、今回で11回目になるのですね^^
大体5月の連休中に開催されるのですが、今年は4月29日(金・祝)から5月4日(水・祝)まで
一日3作品ペースで、イタリア映画の今を紹介します。
軽い恋愛ものから感動的な家族の歴史まで、様々なタイプのイタリア映画が観られるチャンス。

今回は、イタリア語学校の先生で映画を始め、文化全般に精通しているElizabettaのおすすめで、
Noi Credevamo「われわれは信じていた」
を観て参りました。



監督はマリオ・マルト―ネ(Mario Martone)。
1959年ナポリ生まれ、ですからベテランですよね。ドキュメンタリー中心に活躍している名監督だそうです。

今年がイタリア統一150周年、という記念の年であることもあり、リソルジメント(再興=イタリア統一)をテーマに
当時の混乱を3人の若者の人生を追うことで展開していく・・・といった大河ドラマ。
3人のうち、小作人の息子サルヴァト―レは若くして舞台から姿を消してしまうのデスが・・;;

170分の長尺は、長すぎる、という意見もありますが、こういうたっぷりとした歴史ドラマが好物のわたくしには、じっくりと色々な局面を感じられて満足。

統一前のイタリアは、ロンバルド・ヴェネト王国、サルデ―ニア王国、トスカーナ大公国、両シチリア王国、そして教会国家などが林立し、それぞれオーストリア、フランスなどの大国の影響下、しばしば戦場となり、人民は虐げられていた・・・というところから始まる、3人の若者の人生と、統一に向かって迷走するイタリアの現代史。

イタリアという統一国家を、という悲願こそ一つなれど、それを成し遂げる道筋(テロで現政権を倒せvs人民を教育することで下からの突き上げを)、政権の在り方(民主主義国家樹立vsイタリアの王、であれば王政で良し)など、ひとつひとつに多角的な視点とそれぞれの立場からの衝突があり、多くの誤解から来る、有意な人間の無残な死が累々と積み重なり、なおかつ、新しい政権が生まれたら生まれたで、良心の府としての政府のはずが、声の大きな成りあがりの跋扈する既得権奪取の場となってしまう・・・というアイロニカルな視点が現在の問題提起につながる重厚な作品。

印象に残る場面
① パリに住み、距離をおいてイタリアを俯瞰しながら、統一運動に資金提供を行い、人民民主化教育のプログラムに着手する優雅なサロンの女主人、クリスティーナ・ディ・ベルジョイオーゾ(フランチェスカ・イナウディ)の存在。



② 後にテロリストとなる貴族の子弟アンジェロの転落。と常にどこか追い詰められたような切迫感。(ヴァレリオ・ビナスコの神がかり的な名演!)
③ 静かなる語り部、全てを観、誠実に行動するもうひとりの貴族の子弟、ドメニコ(ルイ―ジ・ロ・カ―ショ)をめぐる人生の真実。
・ 政治犯として等しく拘留された牢獄内での、貴族階級と庶民の知的・実質的な生活レベルの深い溝
・ 人生の後半立ち寄った我が家の、自らの政治的立場から引き起こされた没落ぶりに接した時の彼とその家族の深い痛みと静かな諦念。
・ 庶民も貴族も参加、まさに国民軍として蜂起したガリバルディ軍に対する、彼らが救おうとしたまさにその民衆による、無知による反撃。

はぁ~ひとつひとつの場面の積み重ねが重くて・・・

とはいえ、現在イタリア映画界で望みうる最良の名優陣(低コスト映画なのに志願してきたそうです)をそろえたCASTが豪華絢爛!
「ナブッコ」、「オテロ」など効果的に挿入されたヴェルディの音楽が格調高く、歴史の哀歓を彩る様が素晴らしい

そして何より、名匠レナ―ト・ベルタが撮影監督を務めていることによる、美しい映像が、この重いテーマを持つ作品に イタリアならではの真実を伝えるための美を纏わせていて・・・正直、オープニングのタイトルロールの後に、彼の名を見つけたときにはテンションが上がりましたよ~
見事な仕事でした。

ちょうど日本でいえば、明治維新の頃のドラマを観るような思いがあるのでしょうか。
2010年作品ですが、イタリア国内ではHITして、かなりの動員を記録したとか。
この時代のフリーメーソン思想、マッツォーニ、ガリバルディ、クリスピ、カブール、といった歴史の立役者の名も出てきて・・・ちょっとこの時代のイタリアについて、改めてお勉強してみたくなった映画でした





最新の画像もっと見る

コメントを投稿