マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

『責任』

2009-02-20 14:00:00 | 父の日。母の日。結婚記念日。
『責任』 が生じるのは、自らの『選択』 の結果でしょうか?

『義務』 が生じるのは、『権利』 の結果かしら?

『権利』とは、と、山鳥 重 氏は述べます。
「権利とは、社会が自分に許しているある種の行動で、
その考え方に沿って行動した時に、たとえ誰かと衝突することになっても、
誰からも非難・攻撃されることのない行動」 同意されますか?

憲法で、『権利』を保障します。
基本的人権の享有、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利、思想及び良心の自由、学問の自由・・・等々の権利を。

憲法は、『権利』を保障するその同じ条項で、数々の『義務』を、請求します。

今日は、聖書通読クラス(聖書100週間)でした。

神の預言を、初めて文章にして記述した預言者・アモスの書いた「アモス書」を読みました。

神は、アモス書のアモスの言葉を借りて、イスラエルの民に、請求します。
神は、『愛と救い』を保証するその同じ条項で、『愛神愛隣』 を、請求します。
神は、神に従うことを『選択』 した選民に、『責任』 を、請求するのです。

神は、ご自分の気持ちを、
『責任』を果たさないイスラエルの民に、ほえたけります。

「あなた達は、
私の民・神の民となることを『選択』 したのに、
”心を尽くし、魂を尽くして、あなたの神、主を愛する”、
『責任』 を果たしていない。」 としかるのです。

初めて記述をした預言者・アモスの言葉は、
『選択』は『責任』を伴う、との神の厳しい言葉の伝達でした。
勿論、最後には、それでもイスラエルの民を許し愛に包み込む言葉を、伝達します。

選択は、権利と違い、人と人との約束事でもあります。

アモスは、イスラエルの民に語りかけると同時に、今の私たちにも語ります。

夫との結婚の選択をした私は、順境の時だけでなく逆境の時にも、
それに伴う絶対なる責任を、夫に果たしているか? 夫は?

神に従うと洗礼を『選択』した私は、順境の時だけでなく逆境の時にも、
それに伴う絶対なる責任・愛神愛隣を、神に果たしているか?

自分の日々を、多いに反省させられる、今日の「アモス書」の私の感想でした。

13人の感想は、まるで違います。これが面白く、100週間の醍醐味です。 
同じ本を読んでも、本から学ぶことは、人それぞれ。 
「ふ~ん。そう感じたんだ~~。」って、人の感想からも学びます。 

「人が感じていることは、何も分かっていない。」と、自戒しなくては、
って思わされる、毎回の分かち合いです。

ちなみに、娘の中・高・大学のモットーは、『愛神愛隣』でした。
     娘は、『責任』を、ちゃんと果たしていますように!