マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

2012-10-02 12:49:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
『師』
人は、生まれてから死ぬまで、一生、沢山の『師』との出会いで、自分の人生を全うしていく。 のではなかろうか?
言い換えれば
人は、生まれてから死ぬまで、一生、沢山の『師』との出会いが、その人の人生を決める。 ともいえるのではなかろうか?

両親
この世に生を受けた瞬間から・・・人生の師である、両親との出会いがある。
3才くらいまで、自分では何も出来ない100%の受身の状態で、両親の生き方が 体に染み付く。 
3歳を過ぎて、自分で行動が出来るようになれば、それまでに両親に染み込まされた生き方を 再現する。 それしか知らないのだから。

それから


幼稚園。小学校。中学。高校。そして大学までも・・・
学校の教師や数知れない人=『師』との出会いの中で、いろいろ学び、いろいろの人生があることを、知る。
学びや出会いが、自分の中にある才能を花咲かせるための、知恵となり知識となり、自分の中に内蓄されていく。 教養です。

学生生活が終われば・・・
学生生活時代の人=『師』との出会いで自分の中に内蓄されたすべてをかけての、その人独自の『個性』が出てくる。

その人独自の『個性』を出すには・・
自分の中に内蓄された知識や知恵を、教養を、自分なりの理念や人間性や人格に作り上げる作業が、必要となる。 のではないでしょうか?



2012年10月2日。火曜日。12時49分。

 私の 『魂の師』   C神父様。   

帰天されました。 死の時を迎えられました。  86歳。

24歳で司祭に叙階。 25歳の時にはすでに来日。 
それ以来62年間・・パリ外国宣教会員として、生涯を、日本での宣教に捧げられました。

「C神父様の生き方は、
母国・フランスのブルグヴェストの岩肌の厳しい自然環境にも似た、風にも雨にも負けない、岩のような信仰心でした。
そして
神への愛 隣人への愛に 満ち溢れた生き方でした。
神の国に帰天成された今・・
C神父様の隣人への愛と、人間コンピュータと言われた、抜群の記憶力で、
一人一人のお名前を呼びながら、神への執り成しをしてくださいますことでしょう。」
    と。 パリ外国宣教会の長の弔辞の一部でした。


私にとって
この現世の師が両親であったように、神の国の師、信仰の師がC神父様でした。


私の人格であり人間性であり、私の哲学であり理念であり、何よりも私の個性でもあるのが、『信仰』です。
揺るぎない自分を支えているのが、『信仰』です。

その私の信仰の歩みを振り返るとき、C神父との出会いなくして、今の私はありえない。 と、つくづく感じます。

40年間の長きにわたって、私の『師」として、私を導き続けてくれました。
勉学の師としては勿論のこと、人生の兄妹として、病院では父娘に間違えられて・・・。と。

C神父様の、岩のように、鉄のように、地に足が着いた強い信仰心こそが、
私の信仰心の『師』となり、
私の弱い信仰心をも、揺るぎない地に足着いた信仰心へと、成長させてくれました。


C神父様は、
信仰者としての、孤独な老人の毅然たる模範をも、身を持って、示してくれました。
試練に耐え、苦悩や死に打ち克つ心と信仰の深さを、身を持って、示してくれました。



先日も、信仰の『師』との、別れの時がありました。
そして
今日は、信仰の『師』との、死別の時を迎えました。

『師』たちが教え導いてくれたすべてを身につけて・・
背を伸ばして、『師』たちのように、一人で、信仰の岩の上に立ち上がる時が来ました。


『種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。』
              マタイ福音書 13章8節


『師』・C神父が、私の中にまいてくれた信仰の種を・・・一人で、神と共に、実を結ぶ時が、老年の私にも来ました。


    『師』・C神父様がこの世を去られた今
師が教え続けた信仰と、師が身をもって影響を与えた人間の本質とを・・私のものとして、
この世で命が続く限り・・この世で、私の心の中の『師』と共に、生きていきます

そして
     この世の命が終わる時・・『See you again!』




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記録 
今日・5日のラン距離・14km

  復活! 復活!

10月走行距離合計:14km