マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

『わたしはある。』  そして  『アブラムは、主の言葉に従って旅立った。』

2015-11-05 23:07:48 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

    今朝も、ランニング途中のプロテスタント教会の『掲示板』をチェックしました。

            『今週の一言』 = 『わたしはある』

      この『御言葉』は、モーゼに話された『神の言葉』ですよね。

     その神とモーゼの会話のシーンを再現してみます。 (出エジプト記3章1~15節より)

モーゼは
しゅうとの祭司であるエトロと羊の群れを飼いながら、その娘と結婚し男の子も産まれ、幸せに暮らしていました。
そんなあるとき。
羊の群れを荒れ野の奥へ追って行き、神の山ホレブに来たとき、燃え尽きない火のついた柴を見ます。

モーゼが道をそれて柴を見に来るのを見た神は、柴の間から声をかけます。
        「わたしはあなたの父の神である。」
      モーゼは、神を見ることを恐れて顔を覆います

『手に杖をもつモーセ』 15世紀ペルシアの細密画。          
                                この絵も、モーセは顔を覆っていますね。

    顔を覆うモーゼに、神は、突然に、命じます。
「私は、エジプトにいる私の民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの声を聞き、
           その痛みを知った。

 今、行きなさい。わたしはあなたをファラオ(イスラエルの民を圧迫するエジプトの王)のもとに遣わす
      わが民イスラエルの人々をエジプトから救い出すのだ。」

     モーセは、勿論、「どうして私が行かなければならないのですか?」と反論します。
          そのあと、神との会話の後に、モーセは答えます。

        「わたしは、今、イスラエルの人々のところへ参ります。
  イスラエルの民が『あなたを遣わしたその名は一体何か』と問うに違いありません。
           彼らに何と答えるべきでしょうか。」

    神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われた。
          
                                       以上。神とモーセの会話の一部の再現でした。

          「わたしはある。」
        英語で言えば『I am that I am。』
 『わたしは初めから終わりまで在る者。』 『造られずして在る者。』 『アルファでありオメガである。』 
                                                 という意味でしょうか?

       モーセが、神から突然に呼びかけられ、
エジプトの地に派遣され、エジプトから脱出して『カナンの地』に向かったのは、『紀元前13世紀』の頃の出来事です。

   何故? モーゼは、幸せな今の生活を捨てて、『神の呼びかけ』に従えたのでしょうか?
          私たちも、モーセと同様に、
    一見偶然と思える、種々の出来事や、人の声を通して、明確に語られる神に応え、
   
神を信じ、全信頼を寄せ、無条件に神の意志を受け止めるようになれるのでしょうか?

そして。
今日は『聖書の御言葉の分かち合いの会』の日。

   偶然にも。

   『今週の一言』 のモーセと同じように
    神がある日突然に、アブラハムに呼びかけ、召し出す出来事。 の分かち合いでした。

     『主は(突然にアブラハムに現れて)アブラハムに言われた。
  「あなたは生まれ故郷 父の家を離れて 私の示す地に行きなさい。
   わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。」
 
  アブラハムは、主の言葉に従って旅だった。出発したとき75歳であった。』
                                       創世記 12章1&2&4節

          アブラハムがが、神から突然に呼びかけられ、
   文明が発祥したメソポタミア地方カルデアのウル(現在のイラク南部)から出て、
モーセが向かったのと同じ
『カナンの地』に向かったのは、『紀元前1900年』の頃の出来事です。
        モーセの移動の時より、700年近く前の出来事です。


     私達は、日頃、何を信じ、何を頼りに生きているのでしょうね?
 御自分の能力ですか? 御自分の蓄えですか? 神の御言葉ですか? 神の力でしょうか?

     
       皆様!
       75歳になって、熟年の日々を楽しんでいる時に・・・
   神に、突然に、「私の示す(知らぬ)土に行きなさい。」と言われて、旅立てますか?


 私の聖書の表紙の裏に、はっきりと、『メモ書き』 が三つ書かれています。
            きっと・・・何十年も前に、どこかで読んだか聞いた『言葉』をメモしたのでしょう。

        『信仰とは?』
   『神の力と神の約束に信頼させる神からの賜物』
        『信仰を持つとは?』
『自分の周りの状況よりは、イエスの復活と、いと高き権威の座に就かれたその力にもっと信頼を置くこと。』
        『信仰を歩むとは?』
   『「目に見えるもの」によらず、信仰を持って歩む。』

    
    『メモ書き』から考えれば・・・

  モーセやアブラハム。
  神を信頼して、神の呼びかけに応えて、知らぬ土地に出発できるのは・・・
     神への信頼、神への信仰が神から与えられたから…できた。
ということですね。

    信仰は・・・
 神からの賜物です。 私達の努力だけで勝ち取れるものではありません。 
                   信仰の賜物を頂けるよう、神に祈ることはできますね。

                           以上。 神からの『二つの問いかけ』を考える一日でした。
                                                  写真はネットから拝借

 皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
『何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
 生まれる時、死ぬ時。 植える時、植えたものを抜く時。 愛する時、憎む時。 戦いの時、平和の時。』
                                                   コヘレトの手紙 3章1~8節
     確かに、私達には定めることが出来ない、神の領域ってありますよね!

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今日のラン・10㎞
 
5時半。 12度。 (どんなに気温が低い朝でも)ランニングから帰ると、ともかく暑い。 ”暑い暑い”の連呼です。
今日は、日中になって気温がぐんぐん上がり、一日中、”暑い暑い”の連呼でした。 西日本一部は夏日でした。
             
              11月のラン合計距離・22
㎞