『My愛車』 ”左に曲がるの?” 絵を見た夫の第一声。
なるほどね。 前輪が左カーブモードですね。
まいった!まいった!
オープンにして走っていたら・・・”これ以上は寒すぎる。屋根を閉めよう。”
ところが・・・何回やり直しても、屋根が閉まらない!!
弱ったバッテリーを、他の機能(自動で屋根を占める等等)を全面ストップして、走行には支障がないように、守るそうです。
安全走行のために・・・寒空でオープンカーです
積んであった毛布をかぶって・・・寒空でのオープン、雪がなくて良かった!良かった!
早速のバッテリーチェンジで、安堵。ほっ!
以上。母の愛車を運転した息子夫婦、帰宅後暖かい風呂に直行、正月のハプニングでした。
私の忘れられない車のハプニング。
免許取得直後。 2台がすれ違えない程の細い道にまぎれ込んだら前方からタクシー・・・どうしよう!
タクシーの運転手さんが車から下りてきて・・・私の車を運転してバックしてくれました!
以上。私もあれから運転技術を磨き・・・お人の車をバックして差し上げたり・・・。
そして。
今日は1月19日。年間第二火曜日。
『今日の福音 イエスの言葉』 今日のイエスは、ドライブではなく、麦畑を歩きます
『ある安息日、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは歩きながら麦の穂を積み始めた。
ファリサイ派の人々がイエスに、
「御覧なさい。なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか」と言った。
イエスは言った。
「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。」』 マルコ福音書 2章23~28節
安息日は・・・
昔、神のあわれみによって、モーセと共に、奴隷として酷使されていたエジプトの地から、
救い出されたイスラエル人が・・・
神に感謝をする日として・・・ 又 後に、日曜日に復活したイエスを記念し感謝する日として・・・
神とイスラエル人の間で結んだ『契約のしるし』です。
ところが。
イスラエルの民は、
安息日を、モーセの十戒・『7日目はあなたの神、主の安息であるから、何もしてはならない』日、を厳守するために・・・
律法化しました。 『安息日には、オリーブ山からエルサレムへの距離≒900m以上の距離を歩いてはならない』と。
イエスは、今日、人々に言いました。
「安息日は、人のために定められた。 人が安息日のためにあるのではない。」と。
つまり。
イエスは、別の時には、こんなことも言ったのです。
「もし、『私が求めるのは憐れみであって、いけにえではない』という言葉の意味を知っていれば、
あなたたちは罪もない人たちをとがめなかったであろう。」』 マタイ福音書 11章7節
交通規則も、律法も、それを守る人の行動を制限するものではありますが・・・
それらを守る人の幸せを確実に守るために…律法化したものなのです。
たとえば。
信号の交通規則がなく、どちらの方向から来た車も交差点に同時に入れるというのでは、大参事を招くことになりますよね。
交通規則も、『安息日』も、
人の幸せのために定められたものなのです。人が主役なのです。
『何もしないこと』で・・・主に感謝は捧げられないのです。 『善を行うこと』で・・・神に感謝し、賛美が出来るのです。
つまり・・・
『まず!律法・安息日ありき!』ではないのです。
『まず人ありき!』 『まず!人の幸せありき!』 なのです。
「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。」のです。
それにしても・・・
『安息日』を守れる生活は良いですよね。 体も心もゆっくりと・・・『心身リラックス日』です!
皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
全国的に、きびしい寒さが襲っています。お元気ですか? お風邪を召しませんようにお大事に!ご自愛ください!
私は、走って凍結の道で滑るようなことがあっては大変と、毎日、万歩で満足しています。 満足!満足!& 感謝!感謝!