7月7日。火曜日。雨。
今日は梅雨真っ只中。
『七夕』
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『朝露が似合うあじさい』 我が家のあじさいもぼつぼつ終わりです。
年に一度の『牽牛と織姫の出会い』は、 雨のために中止。 悲しいね。
朝5時半に走り出した私も、 雨が降ってきて30分で中止。 残念。
孫息子は、
コロナ禍のために、6月の運動会が中止。
孫息子の学校の運動会では、
小学生全員で競う・・・
『全校一番早い走者』 を決める競技がある。
昨年・・・
4年生の孫息子は、6年生に負けて、
『学校二番に早い走者』になった。 残念。
5年生になった今年は、
強者・6年生は卒業したので、
『全校一番早い走者』は『僕である!』と、
今年こそはと、 狙っていた孫息子だが・・・
運動会が中止で、 『夢』は消えた!
来年は6年生。
チャンス到来!・・・と思っていたら、
『超早走者』が転校してきたらしい。
『全校一番』になるということは、 難関である。
『年一回』というのも、 七夕同様、何事もチャンスは、 難関である。
私は、走るのが好き。
私の子どもたちも孫たちも走るのが好きで、本当によかった。
走ることは、
非常につらいが、
精神が集中し、心が満たされていく・・・私はそれが好き。
達成の喜びは大きい・・・私はそれが好き。
『一番』になることは、
『目的』達成のためには・・・
大変な努力がいるが、
そこへ到達するまでの、 『無私』と『緻密な計画』 の 『厳しい道中』 がある。
・・・私はそれが好き。
結果が『一番』でなくても、 私のような超アマチュア・ランナーでも、
『厳しい道中』は、 努力した者だけが知ることの出来る 『宝物』 となるのです。
今日は7月7日。年間第十四火曜日。
『今日の入祭唱』
『わたしは神が宣言なさるのを聞きます。
主は平和を宣言されます。
御自分の民に、主の慈しみに生きる人々に。』
詩編 85章9節
そして。
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、 悪霊に取りつかれて口の利けない人が、
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イエスのところに連れられて来た。
悪霊が追い出されると、
口の利けない人がものを言い始めたので、
群衆は驚嘆し、 「こんなことは、今までイスラエルで起こったためしがない」 と言った。
しかし、
ファリサイ派の人々は、
「あの男は悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」 と言った。
イエスは 町や村を残らず回って、
会堂で教え、 御国の福音を宣べ伝え、
ありとあらゆる病気や患いをいやされた。
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『目の見えない人を癒すイエス』 エル・グレコ作品
また、
群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、 打ちひしがれているのを見て、 深く憐れまれた。
そこで、 弟子たちに言われた。
「収穫は多いが、働き手が少ない。
だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」』
マタイ福音書 9章32-38節
イエスの『宣教目的』は、
『弱者の味方』になることです。 心貧しい人たちの『救い』です。
イエスの『宣教方法』は、
歩く方法。 村や町を回って『弱者』を自ら見つけ、 彼らと話をなさいました。
イエスの『宣教方法』は、 歩き回って、 限界がありました。
皆に、話ができるわけではありません。
パウロは言いました。
『世は自分の知恵で神を知ることはできませんでした。
そこで神は、 宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、
お考えになったのです。』
コリントの信徒への手紙Ⅰ 1章21節
イエスもおっしゃいました。
『何を言おうかなどと心配してはならない。
言うべきことは、聖霊がその時に教えてくださる。』
ルカ福音書 12章11&12節
イエスは、 『信仰の恵み』を、
どんな方法も可能であったのですが、
『宣教という愚かな方法』 で、 沢山の人に伝えたいのです。
恐れ多いことですが・・・
私の走り同様に、
弟子たちの宣教も、
『宣教』の『実り』を見るまでには、
『無私』と『緻密な計画』 の 『厳しい道中』 があることでしょう。
そして、
その『厳しい道中』は、
努力した者だけが知ることの出来る 『宝物=深い信仰』 となるのでしょう。
そこで、
『収穫は多いが、働き手が少ない。』
『だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。』
と、弟子たちに願われたのです。
神は、『神の言葉』を、
『宣教』=『人間を通して、人間の言葉を通して』 の方法で伝えることを望まれました。
私たちも、
神の望みに応えて・・・
イエスの弟子たち同様に、『福音=神の言葉』 を伝えることができると良いですね。
お人に 『信仰の恵み』 をお伝えできると良いですね。
『今日の祈願』
『いのちの源である神よ、
主のうちに結ばれた私たちが、平和と一致のために働くことができますように。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
記録的大雨で大変な被害がでました。一人一人が何ができるか考えてまいりましょう。
引き続き、厳重な警戒も続けてまいりましょう。 お元気で!
今日は梅雨真っ只中。
『七夕』
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『朝露が似合うあじさい』 我が家のあじさいもぼつぼつ終わりです。
年に一度の『牽牛と織姫の出会い』は、 雨のために中止。 悲しいね。
朝5時半に走り出した私も、 雨が降ってきて30分で中止。 残念。
孫息子は、
コロナ禍のために、6月の運動会が中止。
孫息子の学校の運動会では、
小学生全員で競う・・・
『全校一番早い走者』 を決める競技がある。
昨年・・・
4年生の孫息子は、6年生に負けて、
『学校二番に早い走者』になった。 残念。
5年生になった今年は、
強者・6年生は卒業したので、
『全校一番早い走者』は『僕である!』と、
今年こそはと、 狙っていた孫息子だが・・・
運動会が中止で、 『夢』は消えた!
来年は6年生。
チャンス到来!・・・と思っていたら、
『超早走者』が転校してきたらしい。
『全校一番』になるということは、 難関である。
『年一回』というのも、 七夕同様、何事もチャンスは、 難関である。
私は、走るのが好き。
私の子どもたちも孫たちも走るのが好きで、本当によかった。
走ることは、
非常につらいが、
精神が集中し、心が満たされていく・・・私はそれが好き。
達成の喜びは大きい・・・私はそれが好き。
『一番』になることは、
『目的』達成のためには・・・
大変な努力がいるが、
そこへ到達するまでの、 『無私』と『緻密な計画』 の 『厳しい道中』 がある。
・・・私はそれが好き。
結果が『一番』でなくても、 私のような超アマチュア・ランナーでも、
『厳しい道中』は、 努力した者だけが知ることの出来る 『宝物』 となるのです。
今日は7月7日。年間第十四火曜日。
『今日の入祭唱』
『わたしは神が宣言なさるのを聞きます。
主は平和を宣言されます。
御自分の民に、主の慈しみに生きる人々に。』
詩編 85章9節
そして。
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、 悪霊に取りつかれて口の利けない人が、
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イエスのところに連れられて来た。
悪霊が追い出されると、
口の利けない人がものを言い始めたので、
群衆は驚嘆し、 「こんなことは、今までイスラエルで起こったためしがない」 と言った。
しかし、
ファリサイ派の人々は、
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「あの男は悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」 と言った。
イエスは 町や村を残らず回って、
会堂で教え、 御国の福音を宣べ伝え、
ありとあらゆる病気や患いをいやされた。
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『目の見えない人を癒すイエス』 エル・グレコ作品
また、
群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、 打ちひしがれているのを見て、 深く憐れまれた。
そこで、 弟子たちに言われた。
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「収穫は多いが、働き手が少ない。
だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」』
マタイ福音書 9章32-38節
イエスの『宣教目的』は、
『弱者の味方』になることです。 心貧しい人たちの『救い』です。
イエスの『宣教方法』は、
歩く方法。 村や町を回って『弱者』を自ら見つけ、 彼らと話をなさいました。
イエスの『宣教方法』は、 歩き回って、 限界がありました。
皆に、話ができるわけではありません。
パウロは言いました。
『世は自分の知恵で神を知ることはできませんでした。
そこで神は、 宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、
お考えになったのです。』
コリントの信徒への手紙Ⅰ 1章21節
イエスもおっしゃいました。
『何を言おうかなどと心配してはならない。
言うべきことは、聖霊がその時に教えてくださる。』
ルカ福音書 12章11&12節
イエスは、 『信仰の恵み』を、
どんな方法も可能であったのですが、
『宣教という愚かな方法』 で、 沢山の人に伝えたいのです。
恐れ多いことですが・・・
私の走り同様に、
弟子たちの宣教も、
『宣教』の『実り』を見るまでには、
『無私』と『緻密な計画』 の 『厳しい道中』 があることでしょう。
そして、
その『厳しい道中』は、
努力した者だけが知ることの出来る 『宝物=深い信仰』 となるのでしょう。
そこで、
『収穫は多いが、働き手が少ない。』
『だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。』
と、弟子たちに願われたのです。
神は、『神の言葉』を、
『宣教』=『人間を通して、人間の言葉を通して』 の方法で伝えることを望まれました。
私たちも、
神の望みに応えて・・・
イエスの弟子たち同様に、『福音=神の言葉』 を伝えることができると良いですね。
お人に 『信仰の恵み』 をお伝えできると良いですね。
『今日の祈願』
『いのちの源である神よ、
主のうちに結ばれた私たちが、平和と一致のために働くことができますように。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
記録的大雨で大変な被害がでました。一人一人が何ができるか考えてまいりましょう。
引き続き、厳重な警戒も続けてまいりましょう。 お元気で!