マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

努力した者だけが知ることの出来る『宝物』 そして 『収穫は多いが、働き手が少ない。』

2020-07-07 05:30:00 | スポーツ・ランニング・自転車・水泳・ゴルフ・散歩・・・
7月7日。火曜日。雨。


今日は梅雨真っ只中。

                        『七夕』
 
                『朝露が似合うあじさい』       我が家のあじさいもぼつぼつ終わりです。

         年に一度『牽牛と織姫の出会い』は、 雨のために中止。 悲しいね。
         朝5時半に走り出した私も、 雨が降ってきて30分で中止。 残念。


孫息子は、
コロナ禍のために、6月の運動会が中止。
孫息子の学校の運動会では、
小学生全員で競う・・・
『全校一番早い走者』 を決める競技がある。

昨年・・・
4年生の孫息子は、6年生に負けて、
『学校二番に早い走者』になった。 残念。

5年生になった今年は、
強者・6年生は卒業したので、
『全校一番早い走者』は『僕である!』と、
今年こそはと、 狙っていた孫息子だが・・・
運動会が中止で、 『夢』は消えた!

来年は6年生。
チャンス到来!・・・と思っていたら、
『超早走者』が転校してきたらしい。

『全校一番』になるということは、 難関である。
『年一回』というのも、 七夕同様、何事もチャンスは、 難関である。


          私は、走るのが好き。
          私の子どもたちも孫たちも走るのが好きで、本当によかった。

          走ることは、
          非常につらいが、
          精神が集中し、心が満たされていく・・・私はそれが好き。
          達成の喜びは大きい・・・私はそれが好き。

          『一番』になることは、
                 『目的』達成のためには・・・
          大変な努力がいるが、
          そこへ到達するまでの、 『無私』と『緻密な計画』 の 『厳しい道中』 がある。
                                       ・・・私はそれが好き。

          結果が『一番』でなくても、 私のような超アマチュア・ランナーでも、
『厳しい道中』は、 努力した者だけが知ることの出来る 『宝物』 となるのです。




今日は7月7日。年間第十四火曜日。

『今日の入祭唱』

        『わたしは神が宣言なさるのを聞きます。
            主は平和を宣言されます。
        御自分の民に、主の慈しみに生きる人々に。』

             詩編 85章9節


そして。

『今日の福音 イエスの御言葉』


 『そのとき、     悪霊に取りつかれて口の利けない人が、 
 

             イエスのところに連れられて来た。
                悪霊が追い出されると、    
            口の利けない人がものを言い始めたので、

群衆は驚嘆し、  「こんなことは、今までイスラエルで起こったためしがない」  と言った。
 しかし、
          ファリサイ派の人々は、
        
         「あの男は悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」   と言った。


 イエスは  町や村を残らず回って、
            会堂で教え、 御国の福音を宣べ伝え、 
            ありとあらゆる病気や患いをいやされた。
 

              『目の見えない人を癒すイエス』        エル・グレコ作品 
 
  また、
群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、 打ちひしがれているのを見て、 深く憐れまれた。

       そこで、      弟子たちに言われた。
     
            「収穫は多いが、働き手が少ない。
  だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」』
             マタイ福音書 9章32-38節


       イエスの『宣教目的』は、
         『弱者の味方』になることです。 心貧しい人たちの『救い』です。

       イエスの『宣教方法』は、 
       歩く方法。 村や町を回って『弱者』を自ら見つけ、 彼らと話をなさいました。

        
      イエスの『宣教方法』は、 歩き回って、 限界がありました。
                皆に、話ができるわけではありません。
             
   
   パウロは言いました。

            『世は自分の知恵で神を知ることはできませんでした。
        そこで神は、 宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、
                      お考えになったのです。』

                       コリントの信徒への手紙Ⅰ 1章21節

   イエスもおっしゃいました。

              『何を言おうかなどと心配してはならない。
           言うべきことは、聖霊がその時に教えてくださる。』

                   ルカ福音書 12章11&12節


         イエスは、 『信仰の恵み』を、
               どんな方法も可能であったのですが、 
           『宣教という愚かな方法』 で、 沢山の人に伝えたいのです。


恐れ多いことですが・・・ 
私の走り同様に、
弟子たちの宣教も、
『宣教』の『実り』を見るまでには、
『無私』と『緻密な計画』 の 『厳しい道中』 があることでしょう。
そして、
その『厳しい道中』は、
努力した者だけが知ることの出来る 『宝物=深い信仰』 となるのでしょう。


        そこで、
    『収穫は多いが、働き手が少ない。』
    『だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。』

                               と、弟子たちに願われたのです。

   神は、『神の言葉』を、 
   『宣教』=『人間を通して、人間の言葉を通して』 の方法で伝えることを望まれました。

   私たちも、
   神の望みに応えて・・・
   イエスの弟子たち同様に、『福音=神の言葉』 を伝えることができると良いですね。
         お人に 『信仰の恵み』 をお伝えできると良いですね。


『今日の祈願』

     『いのちの源である神よ、
  主のうちに結ばれた私たちが、平和と一致のために働くことができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
記録的大雨で大変な被害がでました。一人一人が何ができるか考えてまいりましょう。
引き続き、厳重な警戒も続けてまいりましょう。 お元気で!