7月22日。水曜日。晴れ。
人には『家系図』があります。
アブラハムから始まる・・・ 『信仰者の系図』
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アブラハムの子孫は、
①イシュマエルに続き、アラブ民族となり、イスラム教が広がっていきました。
②イサクに続き、その子のヤコブの12人のうちユダの子がアブラハムから全部合わせて
42代目のキリストに続き、キリスト教へと広がっていきました。
家系を見ると、家系のアイデンティチーが明白になりますね。
私たちキリスト者は、アブラハムのアイデンティチー、信仰を受け継ぐ者です。
ちなみに、私の父方の家系は教育者、
そのアイデンティチーは代々の子孫から我が娘に至るまで引き継がれて、学校の先生です。 環境ですね。
そして。
今日は7月22日。年間第十六水曜日。
今日も祖先の信仰を学びます。
今日は、 『聖マリア(マグダラ) 祝日 』
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『十字架の下のマリア』 アリ・シェフェール作品
マグダラのマリアはキリストに従う人たちの一人。
キリストが十字架上で亡くなられたときはそばに立ち、
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『十字架の下の聖母、聖ヨハネ、聖ジェローム、聖マリア・マグダラ』
マリアは、イエスの遺体に塗るために『香油』を持っており、
翌朝に墓を訪れた時に持っていることから『携香女』の称号も持つのです。
イエスの磔刑後の三日目の朝早く、 復活したイエスに最初に出会った人です。
エルサレム・ガリラヤ湖沿いの町・マグダラ
の裕福な家に生まれ、 幼くして両親を失う。
兄のラザロと姉のマルタといっしょに暮らした。
自由奔放な生活をし、やがて7つの悪霊につかれて苦しみ、
人々から「罪の女」というレッテルをつけられて疎まれるようになった。
そのときに、 イエスと出会い、 悪霊からも解放され、
『真の愛』を知って回心し、 徹底して『信仰の道』を歩みました。
復活したイエスが最初に現われたのは、このマリアにであり、
彼女が、他の弟子たちにイエスの復活を告げました。
イエスの復活後は、
使徒たちの宣教活動を助けて、
兄ラザロとともに南フランスに流され、
洞窟の中で、
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隠遁生活のうちに生涯を送ったといわれます。
『今日の入祭唱』
『わたしは、わたしの父であり、あなたがたの父である方、
また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る。』
ヨハネ福音書 20章17節
『今日の第一朗読 雅歌』
《おとめの歌》
『夜ごと、ふしどに恋い慕う人を求めても、求めても、 見つかりません。
起き出して町をめぐり、 通りや広場をめぐって、
恋い慕う人を求めよう。
求めても、 あの人は見つかりません。
わたしが町をめぐる夜警に見つかりました。
「わたしの恋い慕う人を見かけましたか。」
彼らに別れるとすぐに恋い慕う人が見つかりました。』
雅歌 3章1-4節
紀元前5~3世紀。
『雅歌』は、 ソロモン王の詩もいくつか含まれて、
色々の時代のいろいろな地方から詩が集められて、まとめられました。
『雅歌』 は
『愛の詩』
です。
『雅歌』は、男女の愛情の尊さを示しています。
男女の愛情は、 創造主なる神は人を男と女に創造され、 神に祝福されて美しいものである。
男女の愛情は、 二人を結ぶ絆であり、 時間をかけて育てていく努力が求められるのである。
愛し合う男女は、 互いに強制・束縛されることなく、 同等の立場にあり、平等である。
同様に。
『雅歌』 は 『神の愛の啓示』 です。
神の愛は、 恋人同士の情熱的な愛で示され、 最も優れた『愛の神秘』です。
『主なる神』 と 『選ばれたイスラエル』 との『愛の交流』をたたえる歌とされます。
神は愛によってイスラエルを選び、イスラエルの不忠実には触れず、
神とイスラエルの深いつながりを強調します。
今も、 この『神の愛』に、 私たちが応えるように求められるのです。
同時に。
『雅歌』は、
『キリストと教会』 又 『キリストとキリスト者』 との
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『愛の結びつき』をたたえる歌なのです。
『教会』 は 『キリストの花嫁』 なのです。
キリストは、 教会(私)を愛し、 教会(私)の望みをすべて満たしてくださるのです。
そして。
『今日の福音 イエスの御言葉』
『週の初めの日、 朝早く、まだ暗いうちに、 マグダラのマリアは墓に行った。
そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。
そこで、
シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って
彼らに告げた。
「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」
そこで、
ペトロともう一人の弟子は、外にで当て墓に行った。
それから、この弟子たちは家に帰って行った。
マリアは墓の外に立って泣いていた。
泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、
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イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。
一人は頭の方に、 もう一人は足の方に座っていた。
天使たちが、 「婦人よ、なぜ泣いているのか」 と言うと、
マリアは言った。
「わたしの主が取り去られました。
どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」
こう言いながら後ろを振り向くと、
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イエスの立っておられるのが見えた。
しかし、それがイエスだとは分からなかった。
イエスは言われた。 「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」
マリアは、園丁だと思って言った。
「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。
わたしが、あの方を引き取ります。」
イエスが、 「マリア」 と言われると、
彼女は振り向いて、ヘブライ語で、 「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。
イエスは言われた。
「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。
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わたしの兄弟たちのところへ行って、 こう言いなさい。
『わたしの父であり、あなたがたの父である方、
また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』 と。」
マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、
「わたしは主を見ました」 と告げ、
また、主から言われたことを伝えた。』
ヨハネ福音書 20章1-2&11-18節
『雅歌』では、
恋い慕う人を求め探す乙女は、町をめぐる夜警に出会い・・・
「わたしの恋い慕う人を見かけましたか。」
と、夜警に言って、別れると、すぐに、『恋い慕う人』 が見つかりました。
同じように。
『福音』では、
マグダラのマリアが、墓の中にいなくなったイエス様を捜し求めるときに、天使に出会い・・・
「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、
どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」
と、言うと、すぐに、『恋い慕うイエス』 が後ろにいらしたのです。
愛する乙女達の『望み』を、 神様はすべて満たしてくださるのです。
素敵な神様ですよね。
イエスの磔刑の後の主日が開けた後、
マグダラのマリアだけが
『まだ暗いうちに』墓に行きました。
暗いうちで、まだ見えない・・・
それは、まだ、世には、
『信仰の光』がなかったのです。
『イエスの復活』が分からないので、
イエスを探しに行ったのです。
『復活の信仰』ができるために
イエスを『生きている方』として迎えない限り、
『本当の信仰』はできないのです。
イエスとの『直接の出会い』が必要なのです。
復活のイエスは、マグダラのマリアを、個人的に、『信仰』へと導かれるのです。
マリアは、天使から復活のメッセージを聞いても、
イエスのお姿を見ても、分かりませんでした。
復活のイエスは、マグダラのマリアを、個人的に、『マリアの名前』でお呼びになったのです。
マリアは、初めて、イエスだと分かりました。
イエスから呼ばれたことを認めて、『信仰』ができたのです。
復活のイエスは、『信仰』を持つことができたマリアに、
「わたしにすがりつくのはよしなさい。
まだ父のもとへ上っていないのだから。」 と言いました。
マリアは、 今までは、目でイエスを見、手でイエスを感じたのです。
復活後は、そういうことにすがりつき、こだわっては、イエスを見失うのです。
見えないイエスと、 個人的出会いを重ねて、 信仰を深めるのです。
復活のイエスは、 マリアの『本当の信仰』が生まれたことが分かり・・
復活の訪れを弟子たちに、『復活のイエス』を告げるために、遣わされたのです。
マグダラのマリアは、 初期キリスト教父たちから、
『使徒たちへの使徒』 と呼ばれ、今日に至っているのです。
神様は、見えないお方です。
イエス様も、復活して神の世界に入り、お姿が見えなくなりました。
イエスは、その後、わたしたちと一緒におられるために、聖霊を送って下さいました。
聖霊は、見えないお方ですが、私たちの中にいて、愛する力を与えて下さいます。
『今日の祈願』
『わたしたちの父である神よ、
マグダラの聖マリアは、復活の喜びを伝える最初の人となる恵みを受けました。
聖所の祈りと模範に支えられて、わたしたちも復活されたキリストをのべ伝え、
その栄光を仰ぎ見ることができますように。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
明日から4連休です。コロナウイルス感染が再び広がる日本列島です。
くれぐれも自粛生活で、穏やかな連休でありますように。 お元気で!
人には『家系図』があります。
アブラハムから始まる・・・ 『信仰者の系図』
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アブラハムの子孫は、
①イシュマエルに続き、アラブ民族となり、イスラム教が広がっていきました。
②イサクに続き、その子のヤコブの12人のうちユダの子がアブラハムから全部合わせて
42代目のキリストに続き、キリスト教へと広がっていきました。
家系を見ると、家系のアイデンティチーが明白になりますね。
私たちキリスト者は、アブラハムのアイデンティチー、信仰を受け継ぐ者です。
ちなみに、私の父方の家系は教育者、
そのアイデンティチーは代々の子孫から我が娘に至るまで引き継がれて、学校の先生です。 環境ですね。
そして。
今日は7月22日。年間第十六水曜日。
今日も祖先の信仰を学びます。
今日は、 『聖マリア(マグダラ) 祝日 』
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『十字架の下のマリア』 アリ・シェフェール作品
マグダラのマリアはキリストに従う人たちの一人。
キリストが十字架上で亡くなられたときはそばに立ち、
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『十字架の下の聖母、聖ヨハネ、聖ジェローム、聖マリア・マグダラ』
マリアは、イエスの遺体に塗るために『香油』を持っており、
翌朝に墓を訪れた時に持っていることから『携香女』の称号も持つのです。
イエスの磔刑後の三日目の朝早く、 復活したイエスに最初に出会った人です。
エルサレム・ガリラヤ湖沿いの町・マグダラ
の裕福な家に生まれ、 幼くして両親を失う。
兄のラザロと姉のマルタといっしょに暮らした。
自由奔放な生活をし、やがて7つの悪霊につかれて苦しみ、
人々から「罪の女」というレッテルをつけられて疎まれるようになった。
そのときに、 イエスと出会い、 悪霊からも解放され、
『真の愛』を知って回心し、 徹底して『信仰の道』を歩みました。
復活したイエスが最初に現われたのは、このマリアにであり、
彼女が、他の弟子たちにイエスの復活を告げました。
イエスの復活後は、
使徒たちの宣教活動を助けて、
兄ラザロとともに南フランスに流され、
洞窟の中で、
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隠遁生活のうちに生涯を送ったといわれます。
『今日の入祭唱』
『わたしは、わたしの父であり、あなたがたの父である方、
また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る。』
ヨハネ福音書 20章17節
『今日の第一朗読 雅歌』
《おとめの歌》
『夜ごと、ふしどに恋い慕う人を求めても、求めても、 見つかりません。
起き出して町をめぐり、 通りや広場をめぐって、
恋い慕う人を求めよう。
求めても、 あの人は見つかりません。
わたしが町をめぐる夜警に見つかりました。
「わたしの恋い慕う人を見かけましたか。」
彼らに別れるとすぐに恋い慕う人が見つかりました。』
雅歌 3章1-4節
紀元前5~3世紀。
『雅歌』は、 ソロモン王の詩もいくつか含まれて、
色々の時代のいろいろな地方から詩が集められて、まとめられました。
『雅歌』 は
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男女の愛情は、 創造主なる神は人を男と女に創造され、 神に祝福されて美しいものである。
男女の愛情は、 二人を結ぶ絆であり、 時間をかけて育てていく努力が求められるのである。
愛し合う男女は、 互いに強制・束縛されることなく、 同等の立場にあり、平等である。
同様に。
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神の愛は、 恋人同士の情熱的な愛で示され、 最も優れた『愛の神秘』です。
『主なる神』 と 『選ばれたイスラエル』 との『愛の交流』をたたえる歌とされます。
神は愛によってイスラエルを選び、イスラエルの不忠実には触れず、
神とイスラエルの深いつながりを強調します。
今も、 この『神の愛』に、 私たちが応えるように求められるのです。
同時に。
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『キリストと教会』 又 『キリストとキリスト者』 との
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『愛の結びつき』をたたえる歌なのです。
『教会』 は 『キリストの花嫁』 なのです。
キリストは、 教会(私)を愛し、 教会(私)の望みをすべて満たしてくださるのです。
そして。
『今日の福音 イエスの御言葉』
『週の初めの日、 朝早く、まだ暗いうちに、 マグダラのマリアは墓に行った。
そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。
そこで、
シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って
彼らに告げた。
「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」
そこで、
ペトロともう一人の弟子は、外にで当て墓に行った。
それから、この弟子たちは家に帰って行った。
マリアは墓の外に立って泣いていた。
泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、
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イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。
一人は頭の方に、 もう一人は足の方に座っていた。
天使たちが、 「婦人よ、なぜ泣いているのか」 と言うと、
マリアは言った。
「わたしの主が取り去られました。
どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」
こう言いながら後ろを振り向くと、
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イエスの立っておられるのが見えた。
しかし、それがイエスだとは分からなかった。
イエスは言われた。 「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」
マリアは、園丁だと思って言った。
「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。
わたしが、あの方を引き取ります。」
イエスが、 「マリア」 と言われると、
彼女は振り向いて、ヘブライ語で、 「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。
イエスは言われた。
「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。
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わたしの兄弟たちのところへ行って、 こう言いなさい。
『わたしの父であり、あなたがたの父である方、
また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』 と。」
マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、
「わたしは主を見ました」 と告げ、
また、主から言われたことを伝えた。』
ヨハネ福音書 20章1-2&11-18節
『雅歌』では、
恋い慕う人を求め探す乙女は、町をめぐる夜警に出会い・・・
「わたしの恋い慕う人を見かけましたか。」
と、夜警に言って、別れると、すぐに、『恋い慕う人』 が見つかりました。
同じように。
『福音』では、
マグダラのマリアが、墓の中にいなくなったイエス様を捜し求めるときに、天使に出会い・・・
「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、
どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」
と、言うと、すぐに、『恋い慕うイエス』 が後ろにいらしたのです。
愛する乙女達の『望み』を、 神様はすべて満たしてくださるのです。
素敵な神様ですよね。
イエスの磔刑の後の主日が開けた後、
マグダラのマリアだけが
『まだ暗いうちに』墓に行きました。
暗いうちで、まだ見えない・・・
それは、まだ、世には、
『信仰の光』がなかったのです。
『イエスの復活』が分からないので、
イエスを探しに行ったのです。
『復活の信仰』ができるために
イエスを『生きている方』として迎えない限り、
『本当の信仰』はできないのです。
イエスとの『直接の出会い』が必要なのです。
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マリアは、天使から復活のメッセージを聞いても、
イエスのお姿を見ても、分かりませんでした。
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マリアは、初めて、イエスだと分かりました。
イエスから呼ばれたことを認めて、『信仰』ができたのです。
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「わたしにすがりつくのはよしなさい。
まだ父のもとへ上っていないのだから。」 と言いました。
マリアは、 今までは、目でイエスを見、手でイエスを感じたのです。
復活後は、そういうことにすがりつき、こだわっては、イエスを見失うのです。
見えないイエスと、 個人的出会いを重ねて、 信仰を深めるのです。
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復活の訪れを弟子たちに、『復活のイエス』を告げるために、遣わされたのです。
マグダラのマリアは、 初期キリスト教父たちから、
『使徒たちへの使徒』 と呼ばれ、今日に至っているのです。
神様は、見えないお方です。
イエス様も、復活して神の世界に入り、お姿が見えなくなりました。
イエスは、その後、わたしたちと一緒におられるために、聖霊を送って下さいました。
聖霊は、見えないお方ですが、私たちの中にいて、愛する力を与えて下さいます。
『今日の祈願』
『わたしたちの父である神よ、
マグダラの聖マリアは、復活の喜びを伝える最初の人となる恵みを受けました。
聖所の祈りと模範に支えられて、わたしたちも復活されたキリストをのべ伝え、
その栄光を仰ぎ見ることができますように。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
明日から4連休です。コロナウイルス感染が再び広がる日本列島です。
くれぐれも自粛生活で、穏やかな連休でありますように。 お元気で!