マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

運転免許更新 そして  『聖ボナベントゥラ司教教会博士 記念日』・・・『神は、これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。』

2020-07-15 07:00:00 | 
7月15日。水曜日。曇り。時々晴れ間。

晴れ間を見計らって・・・
今朝のジョグはフルコース。

   終えて家に帰ると・・・

      晴れ間の青空に      『サルスベリ』
 
            ほっとする。 疲れた体が癒される。 今年も咲き出した。

               
今日は『運転免許更新』 です。
私は、走るのも、車も、大好きです。
両者は、同じくらいの期間、欠かせない『私の足』です。
車の『忘れられない思い出』があります。懐かしい。  


  18歳。 父が「女の子の運転は危険が多いので、免許取得はもう少し後でも・・・」と言いました。
          母が「女の子だから・・とは何をおっしゃるのです。 女と男に差があるのですか?
   世の中はそんな考えをするからこそ、 私達の娘には18歳で取らせましょうよ。この子なら大丈夫です。」 
            母の勝利で、 私の『運転免許』となりました。嬉しかった。

19歳。 東京・渋谷のど真ん中の細い道で、Taxiと真っ正面となり、 新米の私はにっちもさっちもいかなくなった。
     Taxiの運転手さんが降りてきて、太い通りまで、 私の車をバックで運転してくださった。 Safe!! 感謝。

  28歳。 アメリカ・ロスで、 夫の車でなく、 『Myアメ車』に乗り始めた。
     ロスの広い高速に入ったら・・・真っ正面から、私に向かって、車がビュンビュン来るではありませんか!!
            私は、慣れない高速で、 『逆走』 していたのです!! 
          私は、逆走のまま、片方4車線の一番はじのレーンを、次の出口(実は入り口?)まで走った
巾広いロスアンジェルスの高速では、『片方4車線の高速』が当たり前で、 
               対向車は私をよけてくれて 私は命拾いをしたのです。
                                          本当に有り難いことでした。感謝。感謝。

  米国の車道はなんとも広いのです。   高速を走った思い出を一つ。
        
         『サンフランシスコフルマラソン 途中の ゴールデンゲートブリッジ』
              米国の車道はなんとも広いのです。
マラソン当日は、 『8車線のゴールデンゲートブリッジ』の、
          半分は『ランナー’s道』 & 半分は『Car’s道』、 となります。
  更に・・・『ランナー用4車線』の、 
     半分をランナーが『上り方向』へ走り、半分をランナーが『下り方向』 へ走るのです。
          ランナーは、ゴールデンゲートブリッジを往復するのです。
    車から・・・”頑張れ~!” と、 応援の声が聞こえ、 クラクションが鳴らされるのです!
          ちなみに・・・その時60歳だった私は、サンフランシスコマラソンでは、『60代の4位』になりました


30歳。 アメリカ・ロスで、『赤信号で右折』で、 隠れていた白バイに捕まって、 『切符』を切られました。
       「そんなはずはない」と言う私に、 「文句は法廷で言いなさい!」と白バイ警官。
  私は『切符』を持って法廷に出向き、文句?を言い、 裁判官は、「Not guilty!」と言ってくれました。安堵。


            私は、 沢山の人に助けられて・・・ 守られて・・・
   何十年間『事故』はなし、 安全運転が続けられています。有り難いことです。感謝。
      ただ・・・『スピード違反』で、3回も捕まっています。反省。

        今回の『運転免許更新』で、 私の『車人生』も熟年です。
                               感謝!感謝!
              
そして。

今日は7月15日。年間第十五水曜日。

            『ボナべントゥラ司教教会博士 記念日』
 
             
           神学と哲学に関する多くの優れた著書を残し
     『スコラ学派の神学者』と称され、 『セラフィム的博士』とも呼ばれる。



  1217年。  中央イタリア・トスカナの貴族の家に生まれる。
          幼いころ、重病にかかった彼を、両親はアシジの聖フランシスコのもとに連れて行き、
          もし病気が治ったならば修道会にささげるというをかけた。
1942年。25歳。 病気が治り、願をかけたとおりに、フランシスコ会に入った。

            パリで神学と神学を修め、教授資格を取得。
            学んだのち司祭となり、多くの書物を著し、大きな成果を収めた。

1952年。35歳。 フランシスコ会の総会長に選任される、
1960年。53歳。 でアルバーノの枢機卿に任命される。

      彼は学識が高く、地位も高かったが、とても謙遜であり、多くの人々から尊敬された。

1274年。56歳。 リヨンで死去。
                 『毎日の読書』より


『今日の入祭唱』

   『主に従う人は、 口に知恵の言葉があり、 その舌は正義を語る。
      神の教えを心に抱き、 よろめくことなく歩む。』

           詩編 37章30&31節

そして。

『今日の福音 イエスの御言葉』

         『そのとき、イエスはこう言われた。

     「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。
   これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、 
     幼子のような者にお示しになりました。


       そうです、父よ、これは御心に適うことでした。

        すべてのことは、父からわたしに任せられています。
             父のほかに子を知る者はなく、 
    子と、子が示そうと思う者のほかには、 父を知る者はいません。」』
             マタイ福音書 11章25-27節



        『知恵ある者や賢い者』 と 『幼子のような者』
        イエスは、両者を、はっきりと、区別なさいます。
        イエスの言われる『両者の違い』は何でしょう?


『知恵ある者や賢い者』とは
律法をよく研究した律法学者、
財産を多く持地金持ち、
権力の座にある人たち で、
『人の助けを求めることのない人』 や
『イエスの話を受け入れる必要がないと思った人』たちです。

一方。

『幼子のような者』とは、
律法を研究できない人、
律法を守ることができない人、 で、
『知恵ある者や賢い人から助けを期待できない人』や
『救われることはないと思っている人』で
『ィエスの話を受け入れ、イエスを信頼する人』 や、
『イエスから救いを期待している人』 たちです。

  
            神は、ご自分のすべてを、イエスに託し、
       神は、イエスを通して、『神の愛』 を現わされるのです。
         そして。
            『幼子のような者』=『小さな者』は、
              『神とイエスの愛』を信じて・・・
          『神から大切にされている』ことが解かるのです。

           イエスがいつも心にかけてくださる人たちなのです。
 

 イエスは、このような『幼子のような者』=『小さな者』 の中から、弟子を選ばれたのです。
   ですから。
イエスは、『弟子たちを受け入れる人はイエスご自身を受け入れることになる』 と言われるのです。
                     マタイ福音書10章40節


    私たちも、ボナべントゥラ司教のように『謙遜』を身に着けて、
           幼子のように『素直な心』で、
     『イエスの話』を受け入れることができるように、祈りましょう。


『今日の祈願』

 『神よ、あなたは、キリストの救いを告げる使徒として聖ボナべントゥラを選び、
         聖霊の光で照らしてくださいました。
   救いの神秘を祝うわたしたちに、信仰の光を豊かに注いでください。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
コロナ禍で自粛の日々、『日々の生活をコツコツたゆまずに続けていくと、
気分も落ち着いていきますよ。』と、作家で精神科医の帚来蓬生氏の言葉です。
   試してみましょうか?  お元気で!