マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

映画・・・『The Bible』:『天地創造』 そして 『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない。』

2020-07-17 03:30:00 | 大河ドラマ。テレビ。ラジオ。新聞。映画。
7月17日。金曜日。晴れ。

 
  朝早くから『映画』を観ていて
  今朝は遅いジョグ出発です。

               『公園を独り占め』


          いつもの5時半頃なら、いっぱいのお人がいる公園なのに、
               7時半頃は、私の独り占めでした。


今朝は、明け方から、2時間55分。
  『The Bible』:『天地創造』 を観ました。
米国とイタリア合作映画。1966年。54年前の作品。

『The Bible』:『天地創造』の『タイトル』に、
   ”何を中心に描くのでしょう?” 
 と、非常に興味深く、惹かれました。


   始まりは・・・

     旧約聖書1章3節・・・       『光あれ。』
 

    創世記。 1章の『天地の創造』 ~ 22章の『アブラハム、イサクをささげる』まで
     全聖書:『2364ページ』中の、 『31ページ』分だけ、 を語る 『映画』でした。
 
         新約聖書の『イエスキリストの系図 マタイ福音書1章 に至る前の、
       旧約聖書の、 『信仰の父祖達の『信仰』 が中心に描かれていました。  


   終わりは・・・

     旧約聖書22章16&17節・・・ 
           『わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。』
       
                『イサクの犠牲』    レンブラント作品

    『あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、
              あなたを豊かに祝福し、
       あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。』



             アメリカ映画、特にイタリア映画は、
              『神への恐れ』 が強く描かれること、
                又、
           『聖書の言葉』 に忠実に、聖書が語られるのが、
            いつもすばらしく、とても印象に残ります。


             わたしの『信仰』は、どうだろう?
        『あなたがこの事を行ったので、あなたを豊かに祝福する。』
             と、旧約聖書の信仰の先人達のように、
              主に言っていただけるだろうか?
            深い糾明を呼び覚ます映画でした。 感謝!感謝!


そして。

今日は7月17日。年間第十五金曜日。

『今日の入祭唱』

    『主は驚くべき御業を記念するように定められた。
    主は恵み深く憐みに富み、主を畏れる人に糧を与え、
       契約をとこしえに御心に留められる。』

          詩編 111章4&5節

そして。

『今日の福音 イエスの御言葉』

          『そのころ、  ある安息日にイエスは麦畑を通られた。
        弟子たちは空腹になったので、麦の穂を摘んで食べ始めた。

 
           ファリサイ派の人々がこれを見て、 イエスに、
   「御覧なさい。あなたの弟子たちは、安息日にしてはならないことをしている」 と言った。

そこで、イエスは言われた。
    「ダビデが自分も供の者たちも空腹だったときに何をしたか、読んだことがないのか。
          神の家に入り、 ただ祭司のほかには、
       自分も供の者たちも食べてはならない供えのパンを食べたではないか。


       安息日に神殿にいる祭司は、 安息日の掟を破っても罪にならない、
           と律法にあるのを読んだことがないのか。
          言っておくが、神殿よりも偉大なものがここにある。

  もし、 『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』
                                     マタイ福音書9章13節
               という言葉の意味を知っていれば、
          あなたたちは罪もない人たちをとがめなかったであろう。


            人の子は安息日の主なのである。」』
              マタイ福音書 12章1-8節


     ファリサイ派の人々に限らず・・・
     いつの時代にも、
       事情も確かめないで、 人の動機を疑い、 責める人がいます。



       ファリサイ派の人々は、
       『空腹になったので、麦の穂を摘んで食べ始めた』 イエスの弟子たちを、
         『神のための主日』に行動することを禁じた『律法』に背いたと、
            弟子たちではなく、 イエスを、醜くとがめ、裁きました。

       そんな時。

       イエスは、
       ご自身を弁護するのではなく、 弟子たちを弁護なさいました。


     人は、
     『規則』を絶対的な『基準』として人を裁くことは、 間違っている場合があります。
     しゃくし定規な『律法至上主義』で人を裁くことは、 苦境の人々の『苦しみ』を見過ごしてしまいます。
     人は、
     人が『規則』を背くときに、 どうしてその行いをするのか?  まずは『理由』を知る必要があるのです。


         イエスは、
         『あわれみ深い方』 であったので、
             『罪』を探すのではなく、 『人の心』を知ろうとなさいました。



         神が望んでおられることは、『裁き』ではなく、『憐れみ』 なのです。
 『安息日・主日』は、 裁きを行う日ではなく、 『安息日の主であるイエス』 に出会う日なのです。



  私たちも、イエス様に倣って、 
  お人を責めるのではなく、お人の心を学びながら、 お人と共に歩いていきたいものですね。
 


『今日の祈願』

      『喜びの源である父よ、
        キリストの復活を信じるわたしたちが、
  日々の仕事を通して神の国のあかしとなることができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
感動する『本』を読んだ後に、 ”私なら映画化するならこうしよう!” と考えますよね。
実際に『本』が『映画化』されて、”さすが私が考えるより上手!” 
なんて感動しますよね。 2倍の楽しみです。  お元気で!